小学生女子の体育事情 | 歩クあの子、とる子

歩クあの子、とる子

田舎者のとる子と申します。

東京に生息しております。
田舎~東京
とる子の半生をご覧くださいまし。

とる子は小学生の頃、運動神経がすこぶる良かった。


やる気はないけど、やったら結構上位に食い込む体育。



跳び箱はMAX8段では足りず、
通常の8段の上に更に1段目を乗せて、

ガムテープでがちがちにして男子に混ざって飛んでいました。


ジャンプ台を跳び箱から1mくらい離し、
助走しまくって飛びます。

飛び過ぎて壁にそのままダイブすることはよくあることでした。



さらに高さが足りず一段をガムテでとめた上にさらに
運動マットを2枚置いて

高さプラス、
跳んだ時に開脚しないと

超えられないようにしてたりもしました。




なかでもドッヂボールが好き過ぎて
小学校3年生の時に大嫌いな先生にお願いし、
市の大会に出させてもらう事にしたのです。


その時の写真がアルバムから出てきて、兄のちきをが一言


ちきを「え、とる子、副キャプテンだったんじゃないの?
めっちゃ端っこいるやん。本当は脇役のくせに嘘ついてんべ?」



とる子「それ集合写真だべ?プレイ中の写真みてみぃや。
全部センターに立っとるやろ?
試合中に誰を内野に入れるかとか
ボール出すタイミングとか
全部とる子がやってたんやで。
そして時間見ておいて試合終了時には
とる子は確実に内野にいるからなキメてる




小学校3年生の秋、
朝、昼、放課後とドッチボールの練習をし、
臨んだドッチボール大会は

男女ペア優勝でした。






しかし

この有終の美を飾った小学校3年のドッチボールは
厳しい審査に合格すると大会に出られるシステムだったのですが



出られなかった子供の親が苦情を入れ、
翌年から誰でも参加できるようになり、
見事に一回戦敗退になったのです。




なぜ……
下手くそなのにドッチボールしたいのかがマジで不明でした。
体育の時間ドッヂめちゃくちゃ嫌がってたやん。
ボールに当たると毎回泣くやん。
放課後しか練習来ないやん。




優勝がしたいのか?

ドッチボールはフォロー難しいので
相手のボールが取れない、当てられないとなると、
外野に出た瞬間もうゴミなのです。



外野のゴミにパスを回し、
内野に戻るチャンスを与えても、
あっさり敵にボールをキャッチされると
反撃されるターンになるのです。


内野の優良味方のピンチがまた訪れます。
永遠にこれの繰り返しになってしまいます。


試合開始前のフォーメーションで3列を作り
内野側と外野側に上手い子を配置し、
あまり上手ではない子をサンドする感じでセットし、
出来るだけ体力を消耗しないよう
腰を落とし、細かく動くようにします。


上手ではない子はボールが相手に渡ると
フォーメーションを崩し、

走り回って逃げてしまうのです。








お願いだから
大人しく守られてろよ!!





初年度の強いチームだった時は
余計なことを考えず
ただボールを取ること、当てることだけに集中できたのに、


味方を守りつつボールと取ることは非常に難しかったです。
何故なら相手チームは全員強いからです。

うちらのチームだけ余計な仕事増えてね?


とる子はこの年を最後に二度と
ドッヂボール大会へ出場することはありませんでした。


翌年も出場した仲間からは




友達「なんでとる子出ないん?余裕で負けたんだけど」

とる子「あのレベルなら授業の体育と変わらんから出たくないわ」

友達「とる子出たら勝てるかもしれんやん」

とる子「いや、とる子だけじゃどうにもならない泣くうさぎ




悲しい最後でした。
大好きなドッヂから自分から離れるのはつらかったです。
朝も昼も放課後だってドッヂがしたかった。




そんなドッヂボールは今も大会があるらしく、
YouTubeで見てみると、
ハイレベル過ぎて、とる子が小学校3年の時にこのレベルだったら
出場すら出来ないくらい今の子供たちはすごかったです。

サッカーもそうですが、
どんどんレベルが上がっておりますなぁ
遊びからスタートしていた昔とは違って
親が本気でやらせるのが早いんでしょうかな。

とる子のドッヂは親は全く興味なかったもんなぁ。



勝手にやってこーい!

って感じでいい意味で放任主義で
好きな事は何でも勝手にやってこいという感じでした。

活かせてなくてごめんよ、両親。。


中学に入学し、
胸が膨らみ、ボールを取りずらくなり、
あっさりとドッヂはやらなくなりました。

あんなに好きだったの嘘のよう😊
もうすぐ春でポカポカになったらどこへ行きましょ💜