帰国まで~ヘモグロビンUP作戦、の巻~ | 白血病だって100まで生きてやる。

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21歳で慢性骨髄性白血病と診断され、2年以内に分子遺伝的寛解達成!
留学先で風邪で入院し、採血したらまさかの白血球26倍(26万個)。
すぐにマルク(骨髄穿刺)でその日のうちにたった一人で外国語で病名告知されました。

そして、帰国が延びた私たち家族は、来週の帰国を目指して、


更に観光に力をいれる(?)


こととなりました…(おい。



母と親父は、毎日毎朝ホテル周辺をぶらついたり、

街を散歩したり…

スーパー行って、向こうのもの物色したり

(ドレッシングや調味料見てるだけでも楽しかったらしい。)


私と妹は大学行ってました。

(妹は確実にイケメンハントだと思われる笑)



しばらく、こんな遠いところまで来れないだろうし、


留学なんてそうそうできないだろうから…


短かったけど、目に焼き付けておこうと思い、大学内を散歩しました。




行く先々で、私の友達が

「妹いくつ?」

とか、英語で

「How old?」

とか聞かれていたのですが、


妹は


「トゥエルブ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


と答えてました。


私も気づかなかったのですが、


トゥエルブってよくよく考えてみると、


twelve…



「ねぇ、アンタ20だよね…それってトゥエンティじゃね?」


って言ったら


「そうともゆう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


って笑顔で返されました。



おいおいおい…


ちなみにtwelve(トゥエルブ)は12です。

まあ、私も気づかなかったのですが←おい


そして、来週までにヘモグロビンを上げるため、いろいろ調べました。


まず思いついたのは、レバーやほうれんそうの鉄分摂取ですが、

ここにはない。(涙)

 

薬局行っても、サプリメントなどもない…


というか、実はあんときの医者に


「そんな一週間で増えるもんじゃない。どうせ来週輸血することになるのだ」


とか言われて


イッラーきて、

絶対覆したるわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


って思ってましたが、


実際…


まあそう簡単に増えるもんではなかった…



とりあえず、


緑茶はよくないとか、有酸素運動がいいとかネットで見たので、

(↑確かかどうかは分からないが、なんでもいいから試すしかなかった)

早速日々歩いて歩いて、体力つけようとしていました。


あと、肉食べるようにしてました。

もう、なんでもいいから、血になりそうなことやってました。


とはいえ、散歩しても、5分歩いて、15分休憩する、とかが多かったです。


今思えば、体力どころか、ヘモグロビンがなかったし、

ヘモ数値5、なんて、ぶっちゃけいつ倒れてもおかしくなかったんじゃないかと思います。


危ない橋渡ってたなー。


そして、お世話になった人たちに、


病気になったこと、帰国することになったこと、

あ、これ妹です(オマケ)、と挨拶しに行きました。


もう、そうやって自分のことを言うたび、

悔しくて悔しくてたまらなかったです。


一緒に来た同期はみんな健康なのに、なんで私がって思いました。



それでも、日本に帰る楽しさを見つけて、我慢してました。



節約するためにも、毎食私の寮でムリヤリ日本食を作って食べたりしていました。

(朝はホテルの朝食の食べてましたが)


体重も、ガンガン減っていたので、

それと同時に体にもガクンと負荷がきていたので、


もうとにかく食べれるまで食べてました。

(こんなに食べることがきついと思ったのは初めてでした。)


日本なら食べたいものたくさんあるのにな笑


スパゲッティには助けられましたー。


トマトって栄養価高そう音譜



あと、グリベックの副作用なのか、

どんどん肌が白くなっていったのはびっくりしました。

(グリベックって色白効果あるのだろうか?)


そういえば、タシグナにしてから肌色に戻った気がします。



そして、目の下のクマもひどくなっていったので

(もともとクマは高校くらいから、ひどかったのですが)


顔色ワルーッ!ザ・病人やなー。


と思いました。



グリベック飲んだ直後は、ガガガッとヘモとか白血球とか血小板下がるんですよね。


私は、まずこのようにヘモが減って、

帰国してから血小板が減りました。


白血球は、ゆるやかに下がっていきました。


三つとも、タシグナに変えるまでずっと三つ揃って「Lowマーク」でした。



毎日、早く帰国したいなーーーーーって思ってました。

日本にいる安心感を得たかったのかな。


言葉の壁も大きいかも。


母や妹の観光心も、すぐ飽きてしまったようで、

後半は寮の掃除したり、帰国の準備をしたり、デパートうろついたりしてました。


ここだけの話、ケンカもたえなかったです。。。



そして、運命の通院日(2回目)。




このときの記憶は実はあまりないのですが…


次回、書こうと思います。


この二週間は短いようで、長かったな。

帰国するって保障もなく、これ以上帰国が延びるようなら、

家族の滞在の保険が切れるため、家族は先に帰国しなければならず、


まーーーーたひとりぼっちかい。

そーーーーれはイヤだぞ。


と思ってたので、


まあもうだめだったらあの先生に従って。。。

輸血するしかないなーと思ってたのですが。


では、次回に続くもみじ