◆ 旧山陰道を歩く25日目;その2は、東青原駅を通過し、徳城峠までを紹介します。
国道9号線から左の旧道へ
青原郵便局前を進む旧山陰道
再び、国道9号線へ
高津川に沿って、国道9号線は延びる
国道9号線;津和野へ7kmの表示
小瀬洞門横の側道を進みます
進んできた道を振り返ります
大木・鹿の谷の表示
表示前を右へ進むと、
数軒の集落と徳城峠への入口がありました
<2022.10.22(土)に計画段階で
ブログにアップしたものを以下に再掲>
江戸期、津和野へ通じる地区が天領だったので、街道を通せず、山中を山陰道が通っていました。津和野へ行くには、京都方面から徳城峠、鬼ケ峠、〇〇峠、経世羅峠、カシミノ峠の五つの峠をこえなければなりません。
下図の右斜め上の東青原から徳城峠へと上り、
左斜め下の津和野城跡のある所へと山中を抜けて行きます
先人の歩き人の2010年の記録(シングル親父の気ままな一人旅)を読むと、地元の方の支援を受けてようやっとの峠越えでした。また、2018年の記録(山陰道地図:ゆっくりと歩いて日本を見る徒歩旅)では、単独行で藪道、獣道と化した山陰道を踏破されました。
いずれにしても、この峠越えは地元の方でも歩けない危険な道となっているようです。石見横田から中国山地を越えて津和野へ進む道は難所です。熊の出没も昨年の旧山陰道歩き旅でよく耳にしました。怖気ついています。私には無理です。国道9号線を迂回しようと思います。
<再掲は以上>
ただ、徳城峠の入口はどうなっているのか?、様子をうかがうために入口へと進みました。
徳城峠入り口に建つ説明板
下の説明板には、
文化八年二月十日、伊能忠敬一行は津和野城下を出発し、
山陰道を測量しながら徳城峠を越えて青原の宿場で
一泊したと「測量日記」に記されている‥。
伊能忠敬が歩いた道!是非とも歩きたい!
と、説明板前に建っていると、地元の方に遭遇
すると、その方から徳城峠に詳しい方を紹介していただく
お世話になったお二人です
※ 徳城峠は熊、イノシシが出るので単独行はやめた方がいい。3日前にも熊が出た。熊は早朝と夕方に出るのでピストンなら大丈夫だと思うが‥、峠から先の林道まで下りていくのはやめておいた方がいい。
一週間前に地域の方々とで古道の整備をしたところなので歩きやすくはなっていると思う。まぁ、1時間もあれば峠のピストンはいけますよ。必ず、帰りにもう一度ここに尋ねてきてくださいね。心配やしね‥。
ということで、峠へ向かいます
薄暗いですが、道はきれいに整備されていました
突然です、左の茂みから獣が横切ります
一気に心拍数が跳ね上がりました!
ほんの目の前を数頭の猪が横切ったのでした
初めての経験でした
熊ではなかったのが救いでした
ここからは、
大声を出しながら、手で鈴を鳴らしながら‥
峠を目指します
史跡;徳城往還の表示
茶屋跡の表示に従い、古道を離れ、右へ
いつに間にか茶屋跡を通り過ぎ古道に合流
古道は、緩やかに上っていきます
古道は幅が狭まり、さらに先へ
開けた所に出ました
そこは青野山山頂でした
※ 済みません!青野山山頂と上に記しましたが、青野山は津和野のシンボルとして津和野八景に位置付けられている山です。上の表示は、この山中を矢印の方へと進めば、津和野の青野山へと進める!と言う表示でした。間違いを訂正します。青野山については次号に記します。
山頂からはここだけ開けていました
下りへと変わり、先へ続いているようですが…
※ グーグルマップでは、この先は林道を横断し、「やなぎ会館」、その先の「宿谷集会所」で県道124号線を横断するのですが、その先が今では廃道となっているので、先へは進めません。そこで、忠告通り徳城峠のピストンだけで「徳城峠入口」へと戻ることにしました。
徳城峠入口へと戻ります
徳城峠入口へと戻ってきました
アドバイスをくださったお二人の住まいが見えます
お二人に戻ってきたこと告げると、「帰りが遅いので心配していましたよ」と笑顔で迎えていただきました。タオルで頬かぶりしている私の姿の事情を告げると帽子をくださりました。感謝です。
昨晩、猪に荒らされた自家農園から
「気を付けて~!」と見送っていただきました
呉へ旅行した際に買ったというキャップです
大和ミュウジアムの思い出の帽子をいただきました
これでタオルで頬かぶりとはおさらばです
津和野まで9号線をぐるりと迂回します;冨田洞門
高津川に沿って、9号線は進みます
<その3へ続く>