「自分」って言葉を使って
話を進めるとき、その「自分」って、いったい誰のことを
言ってるんだろう。


ここを、きっちり押さえて話をして行かないと、
話が、余計にややこしくなる。


エゴという3次元での限られた自分と、
宇宙意識としての大いなる自分と、

表裏一体のようであり、分けて見ることもできるという、
「自分」。


偽りの自分とか、真の自分とか、
あるいは、自分は始めっから存在しないとか、、、


本で読んでも、人の話を聞いても、
どの自分の視点で語られてるのかを、
しっかり認識して理解していかないと、
全く、意味不明になってしまう。


エゴの自分しか知らない人は、
宇宙意識としての自分って言われても、
そこからして、ちんぷんかんぷんだろうし、

エゴの自分と、真の自分があるっていうことを、
知識として知っている人でも、

さて、今思って感じて考えてるのは、

いったいどっちの自分だろうと、

これまた、余計にややこしくなってるかもしれない。



インスピレーションや、直感などは、真の自分から来ると
いわれてるけど、真の自分のふりをするエゴもあるし、、、


ああ、わけわからーん!




っていうのが、少し前までの私。


この「私」も、どの「私」っていうことなんだけど、、、


おおきなくくりの「私」ということで、、、感じて下さい。




瞑想を始めてから、なーんとなく、区別が付き出したような、、、



また、なーんとなくなんだけど、、、



とっても、いい加減。




慣れ親しんだ「自分」と、ちょっと異質な「自分」を区別できるように
なってきた。


そして、その異質な「自分」に従ってるのが、最近の「私」。





ほんと、言葉には限界があって、言葉にするとおかしくなることも
多いけど、

初めに言葉ありきなんていうのもあるし、


これまた、わけわからへんけどね。


感覚としては、理解できてるってこともあって、、、



その感覚を、じっくり味わってると、そのうち適切な言葉が
出てくるのかもね。
理由は分からないけど、うまく言葉では説明できないけど、


なんとなーく


そう思うのよねえ。


っていうことありますよね。



言葉で説明できないことって、エゴは介入できません。




エゴは、言葉を使って、理路整然とたたみかけてきます。



なので、3次元で生きてる自分は、いとも簡単にそれに
屈服してしまいます。


ところが、なーんとなくっていうのは、

見過ごすことが多いし、説得力がないので(ないように感じることに
慣れてるので)

スルーしてしまいます。



だーけーどー



最近の私は、なーんとなくという感覚にしっかり従ってます。



なーんとなく気になる。
なーんとなく行ってみたい。
なーんとなく読んでみたい。
なーんとなく会ってみたい。
なーんとなく言ってみたい。
なーんとなく食べてみたい。


思ったことは、ことごとく、行動してます。


写経、ウエサク祭、これらもその結果です。


6月は、すでに3つ決まってます。


どうなるかは、行ってのお楽しみ。



有り難いことに、すべてのことが、安価です。


500円だったり、お心付けだけでだったり、
交通費もかからず、

これらの設定は みごとです。



私に必要なことや物は、安価で来るっていうのが信条です。


今の私には、高価なものは必要ないっていうことです。


これは、とてもシンプルで分かりやすい。



私にとって、すごい恩恵を与えてくれている本も
図書館で借りるので、無料です。


どういう本が、私の前に現れてくるかで、今の自分の立ち位置が
わかります。

読みたいと思って探すのではなく、

書棚をスキャンしていくうちに、なーんとなく手に取っている。


それが、まさに今の自分にフィットする物ばかり。


外の世界は、自分の内の世界の現れだということに、
全く、納得しています。


幸せとか、豊さとかは、心が感じるものなんだから、
心が豊かで幸せでなければ、そう感じないのは当たり前。

外側がどんなに整っていようが、それと内側はリンクしない。


あれ? 外側が整っているのは、内側が整ってるからじゃないん?


外側が整ってるって、どういうこと?


お金があって、パートナーがいて、大きな家があって、高級車に乗って、
そういうこと?

それは、エゴの見る外側の世界。 物質世界。



他にも、外側の世界ってあるやん。



外側の世界の見方もいろいろ。


どの角度で見るか。



そういうことも、「なーんとなく」に任せていれば、
少し、変わってくるかなあ、、、

ポジティブ思考とネガティブ思考を表す例として、
コップの中の水がよく出てきますよね。


コップに水が3分の1あったとして、


3分の1しかないって思うか、3分の1もあるって思うか。



よく引き合いに出される例です。



この現実の捉えかたひとつで、その後の人生が全く違って来るとしたら、、、


そのことを知ってるのと知らないのとでは、これも全く違ってくる。



3ぶんの1しかないって瞬時に思ったとしても、

いやいや、3分の1もあると思おう!


それだけでも、随分違ってくるはず。




私が、腸内視鏡で写された癌の映像を見せられた時、

瞬時にこれは癌だと思い、あちゃ!って思ったけど、


こういうときは、理由は分からなくていいから、


ありがとう! ついてる! っていったらいいよって

教えてもらってたので、とにかく言っとこうって。


それより先に、癌にごめんねって、謝ってましたけど、、、



とにかく、ああもうだめだとか思うより、ずっといい。


お陰で、5年経った今も、ぴんぴんしてる。




何か、大変!って思うことに出くわしたときは、


とりあえず、ありがとうって言っておこう。



 

まだ、3分の1もある。