「自分」って言葉を使って
話を進めるとき、その「自分」って、いったい誰のことを
言ってるんだろう。


ここを、きっちり押さえて話をして行かないと、
話が、余計にややこしくなる。


エゴという3次元での限られた自分と、
宇宙意識としての大いなる自分と、

表裏一体のようであり、分けて見ることもできるという、
「自分」。


偽りの自分とか、真の自分とか、
あるいは、自分は始めっから存在しないとか、、、


本で読んでも、人の話を聞いても、
どの自分の視点で語られてるのかを、
しっかり認識して理解していかないと、
全く、意味不明になってしまう。


エゴの自分しか知らない人は、
宇宙意識としての自分って言われても、
そこからして、ちんぷんかんぷんだろうし、

エゴの自分と、真の自分があるっていうことを、
知識として知っている人でも、

さて、今思って感じて考えてるのは、

いったいどっちの自分だろうと、

これまた、余計にややこしくなってるかもしれない。



インスピレーションや、直感などは、真の自分から来ると
いわれてるけど、真の自分のふりをするエゴもあるし、、、


ああ、わけわからーん!




っていうのが、少し前までの私。


この「私」も、どの「私」っていうことなんだけど、、、


おおきなくくりの「私」ということで、、、感じて下さい。




瞑想を始めてから、なーんとなく、区別が付き出したような、、、



また、なーんとなくなんだけど、、、



とっても、いい加減。




慣れ親しんだ「自分」と、ちょっと異質な「自分」を区別できるように
なってきた。


そして、その異質な「自分」に従ってるのが、最近の「私」。





ほんと、言葉には限界があって、言葉にするとおかしくなることも
多いけど、

初めに言葉ありきなんていうのもあるし、


これまた、わけわからへんけどね。


感覚としては、理解できてるってこともあって、、、



その感覚を、じっくり味わってると、そのうち適切な言葉が
出てくるのかもね。