不安になる、心配する、羨ましがる、
好き嫌いを言う、期待する、後悔する、優越感、劣等感、
これらは、すべて、エゴから来ている。



なーんだ、私は、ずーっと、エゴで生きてきたんだ。



たいしたことないなあ、、、って、またエゴが思う、、、




このエゴを超える境地に立ってみたいもんだ。




「空」という境地。



理解できるけど、まったく知らない。



知ろうと思っても、知れるもんじゃない。



努力して、知れるもんじゃない。




知る時が来れば、知るようになる。






それは、さておき、エゴを見つけては、嫌な気分になってる
エゴって、始末悪いなあ、、、


どうしたもんだか、、、、



「空」の境地にたてば、エゴは消えるのに、「空」を求める
のは、エゴ。


エゴって、ばっかじゃない。 自分が消えることが分からないらしい。



って、こんなことばかり思考してるのもエゴ。



どこまでいっても、エゴだなあ。






瞑想してる時は、これがかなり減少してるみたい。



かなり思考は、排除されている。



静かで、穏やかなひととき。



寝る前の30分。



なにがどういいかは分からないが、
ただ、続けて行こうと思う。



瞑想すれば、何かが変わって、実生活に反映されるのかもって
いう欲で最初はやってたけど、

そういう期待や、~のためにするっていうんじゃなく、


ただただその30分を楽しもうに変わってきた。





~のために~をするっていうのばっかりで、生きてきた。



もうやめよう。 そんなの、、、





花のように生きていく。



っていうと、いいイメージかもしれないが、


人間にとっての花は、美しく可憐だけど、
虫にとっては、餌かも知れないし、ねぐらかもしれない。


どう認識されようと、花という存在には変わらない。



ただ、輝いて咲くことだけ、、、、



それが、命。



なんの意味も価値もない。



それにどうのこうのと価値を塗りたくるのは エゴ。



人生っていう単語自体が、妄想。 実体はない。




言葉ひとつひとつを、吟味してみるのもおもしろい。



いかに、言葉に踊らされてるか分かる。







てなことで、見える世界がすこーし変わってきてる。













すこーし、仏教の本を読んでます。


やっぱ、仏教とは、相性がいいみたいです。




で、エゴ、我、っていうことが、ちーっと、分かってきました。



ということは、いままでは、わかっていなかったあせる



すると、私は、ずーっと、エゴでしか生きてなかったことが
判明しました。



がっかりです。



も、ちーっと、ましかと思ってましたが、、、、、、、







人生(これも、実在ではなく概念だけのものですが、)を、不幸せの
方向に向かわせる、「怒り」のエネルギーの捉え方も広がりました。


私には、「怒り」は少量だと認識していましたが、
あるわあるわ、とんでもないです。


私が、癌になったのも、正にこの「怒り」のエネルギーの
なせる技でした。


勉強のためにとか、他人の痛みが分かるためとか、神が与えた試練だったとか、
そういう解釈は、エゴが勝手に美化して付けただけで、

まったくの幻想でしかなく、因果応報、エゴの作りだしたマイナスエネルギー
の結果だったのです。



ただ、癌になった後の生き方は、結構よろしかったみたいで、、、



よしよしということに、しておきましょう。





まだ、ざっと読んでるだけで、わかってはいませんが、、、




いままで、いろんな成功法則を実践しても、いまいち
腑に落ちなかったことが、なるほどって感じですよ。





良かれと思って、私もいろいろやってるんですね、いままで。



でもね、その割には、不満だらけで、、、


まったく、思う現実には、程遠い。



そう思うのも、エゴで生きてるからです。




こうあるべきっていうのがあるからです。



こういう暮らしがしたい、こういう仕事ならいい、
こういうパートナーならいい、

あれがあれば、これがあれば、

あれがあったから、これがあったから、


すべて、すべて、「怒り」です。



この「怒り」がある限り、永遠に幸せにはなりません。



ということが分かりました。




で、どうするよ!  っていうことですけど、、、




やっぱり、瞑想しかないらしいです。
これは、師についてやっていかないと、
自己流は無理だと感じてます。


が、初歩的な段階では、時間を決めて、できるかも、、、




まあ、いかに、あるがままに見ていないことか、、、





ほとんどすべてのことに、自分なりの解釈と、注釈と、
思いこみと期待と、好きだの嫌いだの、
ありえるとか、あってはならないとか、


それはもう、いーっぱい衣を着せて見ている。



自分が、いーっぱい衣を着ているんだから、
その自分が見るんだから、

仕方ないんだけど、、、、




ああ、これが、幻想に生きるってことなんだって、
少しは、分かる。





たとえば、向こうからバイクが走ってくる。


私はそれを見ている。


自分の前を通り過ぎて、しだいに遠ざかって行く。




さて、これも、幻想的な見方です。




「遠ざかって行く」は、解釈です。



ありのままは、「小さく見えて行く」です。



えーーーーって、思うでしょ。



でも、そういうことみたいです。




乗ってたのが、男の人だとか、
イケメンそうだったとか、
金持ちそうだったとか、
ヤンキーじゃん!とか、

そういうことは、勝手な憶測です。


でも、そういうことを、付けて見てます、普通は。


無意識に。





ありのままを見て行けるようになると、
とってもシンプルになっていくのは、分かります。


が、なかなかできません。




この瞑想の道場があるみたいです。



そのうち、行って来ようと思います。