こんにちは。

今日はちょっと長文です(いつも長いけれど、今日はもっと長い)

 

量産型について書きます。最近若い女の子を中心に流行っていますね。

ファッションに興味ない方は、量産型って何?ザク?ガンダム???ってなるかもしれません。

 

ここ最近言われている量産型とは、白やピンクを基調とした、フリルやレース、リボンをあしらったトップスに、ピンク、黒、グレーなどの色合いのボトムスを併せる、ガーリーで可愛らしい格好のことです。

上差しこんな感じです。夢展望のサイトがわかりやすいと思います。パソコンからだとこの特設ページ見れないっぽいので、商品ページのURL張っておきます。

量産型 ディアマイラブ(DearMyLove) | かわいいレディースファッション通販の夢展望【公式】 (dreamvs.jp)

どこ発祥かがわからないのですが、ジャニーズの現場や歌舞伎町に行けばこの量産型の格好をしている女の子をわんさか見ることができるのだろうと予想します。私はどちらも言ったことないけれど、量産型はジャニオタ、地下アイドル、ホストクラブ行っている人のイメージです。

とにかく可愛いんです。量産型と地雷系というファッションが一緒に語られることが多いです。地雷系は黒を基調としてちょっとゴシック要素が入っていますね。化粧も濃い色のアイシャドウで目の周りを囲っていて特徴的な格好だと思います。

 

この量産型ですが、私が大学に通っていた頃、2013年頃は違う意味合いでこの言葉を使っていました。それは、流行りの格好をする人の総称でした。

私は女なので女性に対しての言葉かと思っていましたが、対男性にも使われていたようです。

「量産型大学生」と画像検索すればそれらしき写真が出てくると思います。この頃は確かに似たような格好をする人は多かったです。女性ならベージュのブラウスにキャメルのミニスカート、フリルのついた白ソックスに先が丸いローヒールを合わせる、男性なら薄い色のデニムジャケットにカットソーはボーダー、ベージュのチノパン、みたいな感じ。髪色は決まって茶髪でした。私は髪の毛を染めたことないのですが、染めている人によれば茶髪にも黄色系とか赤系とかピンク系とか種類があるようですね。でも、髪の毛を染めない人間には全部一緒に見えます。

夏には、白黒ボーダーのワンピースにピンクや黄色などのハッキリした単色のカーディガンをプロデューサー巻きにする格好が流行りましたね。この格好はめちゃくちゃ見かけました。うちの大学には標準服があるのかと思ったほど。

このような頭の先からつま先まで流行っている格好で全身固めている人を「量産型」と呼んで嘲るというか、蔑むというか、あまり良くない意味合いで使われていました。

 

この量産型と並んで出てきた言葉が「個性的」というものでした。

個性という言葉自体は昔からありますが、この頃頻繁に使われていた印象があります。ファッションだけに限らず使われていました。プレジデントファミリーという教育雑誌で「子供の個性を伸ばそう」という特集記事を読んだことを覚えています。

量産型ファッションをすることの問題としてみんな同じに見えてしまうというものがあります。同じ髪色、同じ化粧、同じファッション。一人一人の区別がつかない。個性的なファッションの登場は量産型へのアンチテーゼでした。

上差し個性的なファッションの例です。『東京ファッションクロニクル』(著:渡辺明日香、株式会社青幻舎)より、1枚目113ページ、2枚目114ページ、3枚目116ページ。

 

原色を多用して明るい色使いの服を着て、髪色に赤や緑といったカラーを用いていて、少し奇抜な格好を主に個性的と呼んでいたように思います。

原宿系の代表的な存在になったきゃりーぱみゅぱみゅがいい例です。

私は歌手デビューする前の、読者モデル時代のきゃりーぱみゅぱみゅが大好きでした。私が彼女を知ったのは『HR』という高校生向け情報誌を読んだことでした。関東圏に住んでいる高校生が複数紹介されていて、恋愛やファッションの話がたくさん載っていました。きゃりーぱみゅぱみゅはその雑誌の中だけでも頭一つ抜きん出る存在でした。校則で髪の毛を染められないなら明るい色のウィッグを被ればいいという考え方や銀色のタイツを履いたり文化屋雑貨店で売っているようなアクセサリーを身につけるなど、この雑誌に載っている他の高校生達とは明らかに違う、きゃりーぱみゅぱみゅだけの考え方をファッションに投影させていたと思います。

きゃりーぱみゅぱみゅは『HR』だけでなく『Zipper』『KERA!』といったいわゆる青文字系の雑誌でモデルをしていました。青文字系とは、『CanCan』『JJ』といった赤文字系と呼ばれるコンサバな格好を紹介する雑誌の反対にある存在として使われている言葉です。この青文字系こそが個性的な格好を紹介していました。

 

きゃりーぱみゅぱみゅが歌手デビューをし、お茶の間に広まると、きゃりーぱみゅぱみゅのような格好をする人が増えました。そのような格好をする人には、量産型にはなりたくない、個性を大事にしないと、という考えがあったと思います。でも、私にはきゃりーぱみゅぱみゅの二番煎じのように見えて仕方ありませんでした。己の個性を主張しているのではなく、「個性的」というジャンルの型にはまっているように思いました。

個性的なファッションと呼ばれるものはどれも奇抜さがありました。奇抜にすることだけが個性なのでしょうか。量産型、あるいは個性的という言葉にとらわれて自分自身の本当の個性を見失っていないかと思いました。

 

ここ何年か、黒色の就活スーツについて「みんな同じで個性を感じられない。スーツや髪色を自由にして個性を出させてほしい」という声を耳にします。確かに、内定式や入社式の写真を見るとみんな同じに見えます。顔立ちや体型の違いはあれど遠目から誰が誰だかわかりません。40年くらい前の就活の様子の写真を見ると一人ひとり違うスーツを着ていることがわかります。スーツのデザインも中に着ているブラウスのデザインもバラバラです。『イタズラなKiss』という漫画に主人公が高校の教育実習に参加するシーンがありますが、明るい色のスーツを着用しています。昔はスーツは自由だったのに、なぜ今は黒一色なの、と思います。

それを悪いように言う方は多くいらっしゃいますが、私はそうは思いません。タイトルは忘れましたが、とある就活についての本で「黒色のパンツスーツを着た女性と赤色のワンピースを着た女性2人を面接したらどちらを採用するか」という質問にほとんどの企業が「赤色のワンピースを着た女性を採用する」と答えたという話が載っていました。この質問をした時は80年代で女性は女性らしくあれと言われていた時代です。パンツスタイルを履く女性は女性らしくないから採用しないというわけです。

服装だけで合否を判断されるってこれ以上ない屈辱のように思います。しかし、それだけ見た目から得る情報を大事にされるということだとも思います。私たちは、どのような形の服を着ているか、どのような髪色や化粧をしているかなどで人の内面を見ようとします。みんな同じ格好をすることで外見からの情報を少なくすればその人の内面にある性格や感性、思想といった個性がより見えてくるのではないでしょうか。

 

みんな同じでは個性がない、では人と違う格好をすればそれが個性になるのでしょうか。

みんながいわゆる量産型と呼ばれる流行りの格好をしている中で1人だけ髪の毛を緑に染めていたりロリータ服を着ていたりすれば確かに個性的に見えるかもしれません。

でも、髪の毛を緑色に染めている人が同じく緑色に染めている人達の集団に混じれば、その集団の中ではみんな同じに見えます。田舎でロリータ服を着て街を歩けば大変目立ちます。でも、原宿に行ったりロリータ服愛好者のお茶会に参加すれば、ロリータ服でいることがスタンダードな場所にいれば、人と違う格好ではなくなります。

個性的なファッションというのは本当に個性的なのでしょうか。奇抜な格好=個性的というジャンルがあると私は考えます。

 

私は高校生の頃、たいそうな天邪鬼でした。

人と同じことが嫌でした。誰とも被らないことを望んでいました。服装に関しては、ブスな自分はお洒落をしちゃダメという思い込みから人からもらったお下がりなんかを着て無難にしていましたが、読んでいるファッション雑誌は『KERA!』と『Zipper』でした。高校を卒業したら髪を染め派手な色のカラコンを入れる気満々でした。人と同じが嫌だから、きゃりーぱみゅぱみゅに惹かれたし、きゃりーぱみゅぱみゅが歌手デビューして有名になると好きじゃなくなりました。

この頃私はちょっと変わった雑貨を集めていて、筆箱もわざわざ大阪に旅行に行ったときに買ったりエジプト展で売っていたツタンカーメンのマスクのような見た目をした缶々を使ったりしていました。

そんな私を同級生達は「個性的だね」と評価してくれました。私は個性的を目指していたわけではなく、人と同じが嫌なだけでした。個性的と言われた時、褒めてもらっているのに嬉しくありませんでした。私が持っている変わった雑貨は、私じゃない人が製作して、私はそれを買っただけです。個性的なのはその雑貨を作ったクリエイターであって、私じゃないんです。私を個性的と評価するのは間違っていると思いました。

そもそも、私一人が個性が強いわけではありません。高校3年間、小さい学校で平日は長期休暇を除いて常に一緒に過ごしていたから言えることですが、同級生達みんな一人一人違うんです。みんな個性を持っているんです。私はあえて人と違うことを目指していたから違いが個性的という形で表に出ていただけで、一人一人個性を持っているという点ではみんな同じです。

 

個性って服装だけで表せるものではないと思います。流行りの格好をしていてつまらない見た目でも、実は5カ国語喋れる人かもしれないし本をたくさん読んでいて会話の引き出しが多い人かもしれない、反対に見た目は奇抜で個性的でも中身がペラペラで面白味にかける人かもしれない。その人と深く関わっていかないと外見だけで個性があるとかないとか判断できないと思います。

 

量産型と個性的の本質は同じじゃないかと思います。

『できる女性はおしゃれがうまい』(著:川木淳、ビジネス社)という本の88ページに書いてあった文を引用します。

「おしゃれというのは、流行のすべてを組み合わせるのではなくて、一点でも何点でもいいからプラスしてみることです。」

「流行品は飛びつくものではなく、利用して魅力を発見して初めて価値があるのです。」

2013年頃の量産型と称された人達がなぜ嘲笑の対象になってしまったか。それは、流行品に飛びついていたからではないでしょうか。個性的と呼ばれる格好をしている人達に今ひとつ個性を感じられないのもまた、個性的というジャンルに飛びついていたからではないでしょうか。

 

今でも服装で個性を表現しよう、というネット記事など見かけますが、自分でどう表現するか考えずにそのような記事を参考にしてしまっている時点で個性的とは思えません。ただ、センスがないとお洒落に着こなすことができないのがファッションというものです。

大学生の時、私はファッションについて研究することを放棄していました。自分の感性だけで服を選んでいました。きっと個性的だったでしょう。しかし、周囲からは個性的には映らずダサい人と思われていたことでしょう。

何も参考にせずに自分で選んで買った服達です。誰とも被らない服装だと思います。でも、決して褒められるスタイルではありません。

髪の毛も、高校生の時は染めたいと思っていましたが大学生は染めている人が多かったから、差をつけようと染めませんでした。カラコンも、流行っていたからやめました。もっとお洒落でいたかったのに、人と違うことを目指して結果ダサい格好をしていました。

 

奇抜な格好をすることが悪いと言いたいのではありません。服装で個性を出そうと思っても雑誌やモデルなどを参考にしているうちは個性と呼べないし、完全に人と違う格好を目指すことは難しい、また、お洒落でいると個性的にはならない、というのが私の考えです。

個性的と言われる格好もお洒落だから成り立っているんです。お洒落をするには誰かの真似をしたり色彩やファッションについて研究したりそれなりの努力が必要です。だから奇抜ながらもファッションとして成り立たせることができるのです。

誰かの真似をするというのは流行りの格好をする人達がやっていることと同じです。流行りの格好をするには何かしら参考にしているものがあるはずです。

お洒落でいることはいいことだと思います。ファッションを楽しんでいるということです。

 

私は今お洒落をしています。大学生の時は読まなかったファッション誌を読みファッションの歴史を学んでいます。人と違うことにこだわらなくなりました。うちはうち、よそはよそ、という考えができるようになったからです。自分自身が今、量産型・地雷系という流行りを自分の格好に取り入れていますし、流行りの格好をしたところで自分が没個性的になるわけじゃないと身をもって体感しました。私はファッションで、個性を表現するのではなく「可愛い格好をするのが好き、めかし込むのが好き」ということを発信しています。人と違うことを目指し、だからと言って個性的と言われることに違和感を持っていた高校生・大学生の時よりも今の方が楽しいです。

 

量産型という誰かを馬鹿にするような言葉が、ガーリーな格好という一つのジャンルを指す言葉として成り代わり定着しつつあるのもいいことではないでしょうか。『Zipper』や『KERA!』などの雑誌が休刊して青文字系ジャンルが廃れつつあるような気もしますが、人の格好を量産型と言って馬鹿にすることも減ったし「個性を大事に!」なんてキャッチコピーのような言葉を耳にすることも減ったと思います。人と同じ、あるいは人と違うということにとらわれない生き方の方がより自由で、より人々が持つ内面の個性を感じ取りやすくなったと思います。

 

まとまらない文章になりましたが、私はずっと個性的という言葉に違和感を持っていました。高校生の時から今日まで感じていたことをここに書かせていただきました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

以上。