マルチメディア
私が大学を卒業するころ、だから、今から12、3年前、
「マルチメディア」という言葉がはやり、そして、それをタイトルにした本がベストセラーになった。
マルチメディア。
言葉どおりの解釈ならば、単に、複数の媒体といった意味なのだろうか。
当時は、インターネットが産声をあげ、日増しにその存在感が増していたころ。
そして、携帯電話とPHSが爆発的に普及してきたころ。
山一証券が倒産し、経済が大混乱している中、電子立国日本を立て直すけん引役として、そういったメディア技術にいやがうえにも期待がもたれていたころだ。
私も、80年代からPCに親しんでいた人間だったので、そういった、いわば秋葉原的な世界のお話、もしかすると幻想に、こころを躍らせた人種の一人であった。
が、当時の私は、ときあたかも就職活動中。
今年の学生も大変だろうが、私の世代は、ベビーブーマーでもあり、そして、山一倒産に象徴されるようなバブル崩壊後の大経済混乱期。
超、超、超、超、就職氷河期だった。
そのころ私は、マルチメディア時代、というものは何を指し示しているのか、自分なりに考えていた。
PCにしろ、携帯にしろ、それらは単に人間の意志を遠隔地の人間に伝達するツールに過ぎない。
そこで営まれている、意思の伝達という行為そのものは、太古の昔からなにも変わってはいない。
だから、そのツールをどんなに使ってたとしても、それが「○○時代」といわれることは常識的にいってありえない。
とたえば、電話が一気に家庭に普及した時代を人類はすでに経験しているにもかかわらず、だからたといって「電話時代」なんて言葉は一切発せられなかった。
それと同じはずである。
でも、現実は違う。
マルチメディア時代という言葉が発せられ、新たらしい時代が到来することを、私を含め多くの人が期待していた。
学生時代に、私が考えたマルチメディア時代とは・・・
たとえば、メディアを使った人間の挨拶が、実際に面と向かって行った挨拶と同価値になる時代
と、考えた。
電話で挨拶をすること、それと、わざわざ足を運んで挨拶すること、今の世の中では、当然後者の方に重きを置く。
たとえば、お詫びに行く場合、電話ですましてしまうような人と、実際に会いにくる人がいたならば、お詫びされる側としては、どうしても後者の方に好印象を持ってしまう。
でも、もしこれが同価値と捉えられるような時代になったならば、そのときこそ、マルチメディア時代だと思ったのです。
同価値と思え!という強制的な規範が確立されることではなく、あるいは、電話でなにが悪いの?と開き直った人間を認めるということではなく、ごくごく普通に生活している人々が、自分の誠意をこめたお詫びという行為であっても、メディアを使うことに何の躊躇も感じない時代。
そして、お詫びされる方もまた、メディアを使われることになんの抵抗も感じない時代。
そんな時代こそが、マルチメディア時代だと思ったのです。
とはいえ、最近、マルチメディアなんて言葉はまったく目にしなくなりましたが。。。。