『ゆるく生きれば楽になる』
60歳からのテキトー生活
和田秀樹
『恥ずかしい』と思う気持ちが恥ずかしい
わたしは48歳です。
夫にお願いされて
ミニスカ、ビキニ、着る事があります。
確かに、恥ずかしいです。
けれどわたしは変たい質なのでw
好意的にエロい眼差しで見られると
見られていると感じると
濡れてしまう事もあります。
LARA
「いい年をしてあんな格好して」などと言う人は、本当にそう思っているのではなく、自分にとって耳障りの良い言葉を発しているだけ。本当はうらやましいのではありませんか。
歳をとることや、自分の好きなように行動することは全く恥ずかしいことではありません。本当の気持ちを素直に出せなくなることの方が恥ずかしいことだと私には思えます。
和田秀樹
『他人の不幸は蜜の味』は自分を不幸にする
他人の不幸を美味しいだなんて思った事はないけれど、不幸に遭遇した身近な人に、感情移入し過ぎて落ち込む事は度々あります。
不確かな情報をもとに、他人事に感情移入をして疲弊し過ぎないようにしたい。
相手が話せるよーになるまで待つ。見守る。寄り添う。
LARA
不確かな情報をもとに、他人事に首を突っ込んで、一斉に誰かを叩いてしまう事は、自分では正義に従って行動しているつもりかもしれませんが、自分自身をも縛って苦しめる行為です。そして「あれはいけない」「これはいけない」と主張する人たちが多ければ多いほど息苦しい世の中になってしまいます。さらに、そういう考え方が、自分を縛ることにつながりかねません。
和田秀樹
『人に嫌われないようにする』は叶わない望み
いい人でいたい、人から好かれたいと思うと、すべての人から好かれたい嫌われたくないと思ってしまうかもしれません。けれども、現実的には全員に好かれるなど絶対に無理な話です。「人に嫌われないようにしよう」と言うのと「人が嫌がることをやめよう」と言うのは似ているように見えて、全く違うものです。
「人が嫌がることをやめよう」と言うのは、自分の力だけでできることです。相手のことを考えて、これはしてはならないと思ったら、やめればいいだけの話です。
けれども、「人に嫌われない」と言うのは、自分が頑張ったからといってどうなるものでもありません。誰かの嫌がることをしないようにしても、それがかえって気に食わないと言う人もいます。
和田秀樹
全くその通りだと思います。
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「読む人が不快になるコメントはやめよう」と考えながらポチポチしていますが、不快に思う人だっているかもしれません。
分かり合える、相思相愛、そんな相手と文章、映像だけで出会える奇跡に感謝しています。
LARA