こんにちは

梅雨入りして2日目

朝から雨です




本日は6月23日

夫の故郷 沖縄では

「慰霊の日」として

学校も銀行も休日です


たまたま日曜日と重なりました


沖縄戦
どんな戦いだったかは


住民を巻き込んだ

「地獄」の戦場となった事は

ある程度の知識として知っていました


実際

沖縄の亡き義父は

沖縄戦に


従軍医として参加しております


亡き母も女学校時代
顔に墨を塗り

戦地の中を逃げまどったと聞いております




昨年の6月22日の

朝日新聞で取り上げられた沖縄戦の内容


改めて読みました


「沖縄戦で何が起きたか」





今から78年前(今年だと、79年前)

沖縄は戦場となった


太平洋の島々を奪った米国は

次に沖縄を占領して

日本本土を攻めるため

前進基地として使おうと考えた


日本は、日本本土を守るため


沖縄になるべく米軍を引き留めて


時間をかせぐ


「持久戦」の作戦を立てた

こうして起きたのが 沖縄戦である



1944年10月沖縄空襲死者668人
1945年、特攻攻撃始まる
数ヶ月で2500人死亡



1945年3月

米軍慶良間諸島に上陸


4月1日、沖縄本島西海岸上陸


ここから3ヶ月にわたる戦いを


沖縄戦と呼ぶ



沖縄戦は

軍隊と軍人が戦うというだけでなく


10代前半の子供も含む住人が


足りない軍人の代わりに手伝いをさせられたり

武器も持たされないまま


軍人として戦わされた地上戦


南部に追い詰められてからは


特に米軍の無差別な攻撃に


軍人も住民も

次々と命を奪われ


軍人よりも住民の命が多く失われたという戦い


沖縄戦の教訓


「軍隊は住民を守らなかった」と

語り継がれている


米軍は空から陸から海から


総攻撃

「ありったけの地獄を集めた」戦場と呼んだ


米軍55万人

日本軍10万人

武器の量、性能を合わせると

10倍の差があった



日本軍の10万人の軍人のうち

その4分の1の 2万数千人は

沖縄にいる

一定の年齢の男子を

急遽 兵隊として集めた

中学生や高校生の年齢の学徒隊も混在

なんの軍隊としての訓練も受けず

武器もない戦いに参加


なんと悲惨なことでしょう






戦死者


米国側 1万2520人

日本側は

その15倍

18万8136人が亡くなり

一般の住民は12万2000人以上が亡くなった


県民の4人に1人が亡くなったことになります


これらはいずれも

推計した数字


戸籍も焼け


亡くなった人の数も

はっきりわかっていない


家族全員が亡くなった家もたくさんある



戦没者の名前を刻む


「平和の石礎(いしじ)」には

名前もわからないまま

〇〇さんの「長男」とだけ


彫られている人も。


当時、子供だった人の中には


両親が亡くなり


生年月日も名前さえわからない人もいる



戦争による

銃弾や砲撃で亡くなっただけでなく


自ら死を選ぶ「自決」
餓死や栄養失調、マラリアで死亡した人も多数


沖縄では本日6月23日は

「慰霊の日」として休日となっている

米軍が沖縄戦を終えたと宣言したのは

1945年7月2日

日本が全面降伏に調印したのは9月7日


1972年の

本土復帰まで

米軍統治下に置かれた沖縄

日本各地の米軍基地はどんどん減らされたが


沖縄にある米軍基地は


新たに作られたり


広げられたり

その結果日本の米軍基地の


7割が

沖縄にあるという現状です




今も沖縄の土地の下には

何千もの遺骨が埋まったまま

不発弾も2千トンが

地中に残ったまま


不発弾の爆発事故


遺族の元に帰れない遺骨が新たに見つかる


米軍基地も大きくは減らず


様々な被害が続く


「まだ戦(いくさ)は終わっていない」という人が

少なくない理由は


こうしたことにある







夫は沖縄で生まれ育った人


戦後生まれとはいえ


親の様子や

地域の年長者の話を聞いて育った人


戦争は絶対反対!の姿勢は


夫の核として


その人生を貫いている



そして

夫の父

義父は


「慰霊の日」

本日が命日

今日は義父の命日でもあります





初めて義父に会った時から


私は義父のこと大好きでした


私のこと、子供達のこと

とても可愛がってくれました


夫は多感な青春時代

父親とは

確執がありましたが


結婚してからは 


父親との良き関係を


築くことができました


義父の亡くなった時

初めて夫の泣く姿を


見たと義姉に聞かされました


沖縄の両親には


どれだけお世話になったことでしょう


感謝しかありません


慰霊の日は

亡き父を偲ぶ日でもあります

今ここに亡き父がいたら


肩揉み、マッサージ

足揉み

どんだけでもしてあげたいろここです



こうして


戦さのないこの地で

暮らすことができている私


先人の犠牲の元に

成り立っている平和

その平和を

この先

無くすことないように




世界では今も

戦争が続いています


世界の平和を祈りながら


亡くなった人の御霊が

安けくあらんことを祈ります


読んでくださったみなさまに


感謝申し上げます


暑かったり

蒸し蒸ししたり

気温も変化著しいですが



どなた様も


お元気でありますように










ではではまた^_^



ろここ