「自殺は刑法上違法か」という問いにあなたならどう答えますか?
ある行為が「国家・社会的倫理規範」に違反するかどうかは、社会的相当性から逸脱しているかどうかという観点に置き換えてみます。「法益の侵害、危殆化」とは害する、危険にさらすことの意味。法的な保護に値する利益が侵害される、あるいは危険にさらされているということなのです。
では自殺の場合における法益とは何でしょう。
生命は殺人罪の保護法益です。自殺によって生命が失われるという事実からすれば法益に対する侵害が存在することになるから自殺は違法と言あるかもしれません。
ところが一方で、自殺とは法益の放棄であるともいえます。法益の放棄が認められるのであれば法益はそこには存在しないから法益の侵害はあり得ないことになります。
法益には帰属主体が必要です。帰属主体がいなくなればどんなに価値があっても法益とはなりません。自殺とは本当に生命の放棄なのでしょうか。所有権と同じように「生命を放棄した」と解釈できるのでしょうか。
人には生まれながらに有する基本的人権というものがあります。これを放棄することができるのか。放棄できない権利ではないのか。ものを壊すことは処分の一種なので、所有者が所有物を壊すことは権利の侵害ではなく権利の行使ではないのかという見解があります。だとすれば、死ぬことも生きる権利の行使ともいえなくもない。
憲法 13 条「幸福追求権」には自己決定権が備わります。自殺の選択は自己決定権で保障され、自殺は権利の
行使であって侵害ではないのでしょうか。
短絡的に言うと、自殺は処罰されません。そもそも構成要件がないからだと言えます。構成要件に該当しなければ違法か否かを論じても意味がありません。では本問の出題の意図は何か?
ここでは自殺未遂や自殺幇助がなぜ罪になるのか、その区別を論証することに問いの意図があります。つまり、違法性の実質についての学説の対立を理解し、共犯の従属性についての知識が問われているのです。
このように法の構造を知れば知るほど、人間の理性の深さに気づかされます。
【例題】「慶應通信と私とどっちが大事なの?」
この問いかけに真正面から答えてはいけません。
その問いの真意はそこにはないからです。この場合は「寂しかったんだね、ごめんよ」と抱きしめると【合格】💮がもらえます。