卒業論文指導調査票を作成するにあたって私が困っているのは、指導を受ける教員の希望を書けることです。
書く以上はその先生がどのような研究成果をお持ちなのか知る必要もあり、著書の一冊も読んでおかないと失礼なのではと考えてしまいます。それとその先生の他にも専門の先生がいるのかリサーチしないといけないし、1回目の指導の前にあれこれ調べているうちに書きたいテーマが変わってしまうこともあり得るからです。だとすれば自身が書きたい論文の指導にもっとふさわしい先生が別にいるのかもしれません。準備が不足するとそんな心配事が次から次へと浮かんで来てしまいます。
法学部の時(2013年頃)は、指導を希望する先生がいる場合はその名前を鉛筆で書いていても構わないという程度のもので、あまり深刻に考えていませんでした。ですから指導教員が決まった時には「この人誰?」という衝撃でした。
私は甲類だったので先生も法律学系の先生が当たるものだと思っていたので、乙類のどちらかといえば社会学系の先生に指導いただくとは想像だにしておりませんでした。甲類である以上は論文も法律学をベースにした論文に仕上げないといけないと思い、論文テーマも強引に憲法や独禁法に絡めたものにしたからなおさらです。
結果的には素晴らしい先生と巡り合い、ジャーナリズム論の本質に触れることができたのですからこれほどありがたいことはありませんでした。
どのように指導教員が決まるのかそのプロセスは知る由もありませんが、この先生じゃないと駄目だと決めつけないで、広い視野を持つ事務局や学部の選考に委ねることも大切かなと思いました。
それから普段から慶友会の講師派遣や試験後の講演などには積極的に関わり、また慶友会等で学友をたくさん作って彼らから様々な情報を得ることがとても大事だと思います。
慶應通信の値打ちは卒業論文を書くことにあります。それはその時点での研究の集大成なのですから。(世に出た途端に自分の知見の不足を感じて恥ずかしくなってしまい、二度とページを開かない気分になってしまうものですが)
他者から評価される論文を残すことが「良い学歴」につながるのだと思います。
「あの大学で学べばこんな論文が書けるのか」
それが「学歴」の価値だと私は思うのです。
せっかく要卒の単位を満たしながらも卒論でつまずいてしまい卒業できなかったという不幸だけは避けたいものです。