昨日の、憲法がご専門の慶應義塾大学駒村教授による「安保国会を振り返るー1972年政府見解をきちんと読むー」(最終回)はこれまでのあやふやな理解を深められ、大変勉強になりました。
法学部時代に提出した卒論は駒村先生の指導ではなかったが、講師派遣の時の話が私の論文テーマを決定づけることになったのだから、先生は私にとっての第二の恩師でもある。だからそのことは卒論の謝辞にも書かせていただいた。
「集団的自衛権」は現行憲法のもとでは認められず、そのことは71年政府見解で示されており、歴代の政権はこの立場を踏襲してきた。歴代の法制局長官もこのことを言明してきた。にもかかわらず安倍政権においては、閣議決定でこれを覆し、言うことを聞かぬ法制局長官の首をすげ替え、集団的自衛権の限定行使は現憲法下でも合憲の範囲であるとしたことは「立憲主義」に反するというのが駒村先生の立場である。
さらに踏み込めば、国際紛争の中で国家の存立、国民の生命が危険にさらされる急迫、不正の事態が迫っているのであれば、一連の安保法案を「戦争法案」と明確に位置づけて国民的議論を行い、憲法改正を行なった上で法整備をすべきであるとした。
先生は、憲法9条があるから「戦闘」という文言は馴染まないとして他に言い換えて真実を覆い隠し、本質を欠いた議論に終始する国会のあり方を「欺瞞」であると喝破した。胸をすく思いがした。お見事だ。
我々は意思決定の方法として民主主義を選択した。民主主義はより多くの数を得たものが勝利する。だからポピュリズムに陥る。そんな脆弱な性質を持った政治システムだから権力者の暴走を抑止する機能が備わっていなければならない。それが憲法であり、三権は立憲主義のもとで存立しなくてはならない。三権以外にも政権のチェックのために法制局があり、マスコミがある。
ところがトランプ政権や安倍政権はこれら政権にとって厄介なものを骨抜きにし、排除することに成功したかに見える。
政治を国民の手に取り戻すには、もはや賢明な国民の意思にしかない。
憲法学者の叫びを聞いた三時間であった。
「雑学から法学へ」
シリーズのタイトルも素晴らしい。
法学部生のみならず他学部の塾生のお顔を拝見して私はとてもうれしかった。
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