卒論をテーマに高次元の議論が広まり、皆さまのブログを読ませていただきながら有意義な1週間を過ごしました。
読み手をウンウンと唸らせる論理性、わかりやすい文章力に脱帽です。こういう人たちと学んできたことが私の刺激となり、また誇りとなります。
今度はもっと優れた論文が書けるかなと武者震いがしました。
一年前の卒業試験で思い出すのは、試験当日に時間が空いたので書店に立ち寄ったところ、私の論文のほぼ同じテーマで同時期に書かれた著書(放送大学の修士論文が下地となっている)が出版されているのが目に留まったことです。
書棚の前で呆然と立ち尽くし、目がテンになりました 《・ ・》
書かれたのはライバル社を定年して放送大学で学んだ知識を論文に仕上げた大先輩でした。
おかげさまで2時間後の卒業試験はその内容の偉大さに圧されて試問での説明はグチャグチャになりました(爆笑)
私の論文の底の浅さが試験を受ける前に露呈してしまったのですから仕方ありません。試験を受ける前に外部から最強の副々査が立ちはだかったのです。
その時はこの著書の存在を恨みましたが、今となってはこのことがきっかけで研究というものの価値を知り、書店や図書館に通うことの醍醐味を知りました。一冊の本との出会いがこれから進む方向を示してくれたような気がしています。
おそらくは千部程度の初版本(自主出版かも)でしょうからあの時間、あの場所に導いてくれたのは神の仕業だったのでしょうか?いや福澤先生かもしれません。
救われたのはこの著書が、私が卒論を大学に提出した日付よりも後に出版されていたことでした。もし提出の何ヶ月か前に出版されていたのなら私は重要な先行論文を見過ごしていたことになります。
無事に卒業が決まってから私はその著者にお礼が言いたくて、発行元に自身の論文とお礼の手紙を出したところ、しばらくして著者から返信がありました。そこには私の論文の感想とこれからも共に研究を進めていきましょうと書かれていました。
私たちが手がけるのはあくまでも学士論文なので気負う必要はありません。執筆過程の中で新たな疑問や発見が次から次へと出てきます。これらを卒論の中で消化していくことには限度があります。
私は、その新たな問題意識を発見し、提起するだけでも学士論文のレベルは充分に達成していると思います。
これなら書けそうだというテーマが日常の問題意識の中で芽生えて来ることでしょう。
これから卒業試験を受けられる方、卒論の提出許可をもらった段階で合格は内定しています(たぶん)。当日、不真面目な論争をふっかけない限り取り消されることはありませんから体調管理に配慮して落ち着いて集大成の最終試験に臨んでくださいね。
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