頑張ることより好きであり続けることが大事だと思う | 慶應通信で実学を学ぶ

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【第78期】2024年4月に文学部1類に入学しました。学びに終わりはありません。

電通過労死問題を語る中にこんな一文を見つけました。

「なぜ頑張るのか。悪い結果が出た時に、頑張った人は、運が悪かったと考えて運の神様を恨みながら一生を暮らせば良いが、頑張らなかった人は過去の頑張らなかった自分を責めながら一生を暮らすことになるから」(塚崎公義)

「頑張ることは尊いのだ」と言いたいのか?

そもそも自分がこれまで頑張ってきたのか、頑張らなかったのかの評価は、自分自身でできるものなのでしょうか?いや、そんな反省がそもそも必要なのでしょうか?

目一杯の練習をして臨んだフルマラソンで目標タイムを達成できなかったからといって運の神様を恨んだりするでしょうか?私は頑張りが足りなかったからといって自分を責めたりしません。

結果の良し悪しを「頑張った・頑張らなかった」で決めつけるのはしんどいです。そんなこといちいちを考えていたら、人は一生頑張り続けなくてはなりません。

好きなことを好きなだけやる。嫌いになったら止めればいい。

これくらいの気持ちであり続けることが人間壊れなくてちょうどいいかなと私は思っています。

さて、来年は好きなことがいくつ見つかるか。今やっていることを好きでいられ続けられるか。

今年一年間、気ままなブログを読んでいただいてありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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