とりあえず、こんばんわ。局長です。

もう6月かよって、あっという間だなーって思います。

震災から5ヵ月、そんでもって岸田クソ内閣による

改悪政治もずーっと続きに続いているなぁと・・・。

 

というわけで、前回の続きでも。

昔の駅事務室や蒸気機関車の展示などを見て行った局長。

前者は、パソコンとか無き昔の駅事務室であり

タイガー計算機やら火鉢やらが置かれていて

時代を感じるよなあー・・・って思いましたね。

今では、小さな駅にもコンピューターありますし。

そんでもって、蒸気機関車の展示のコーナーは

実車のメーターの展示とかがあったのですが

局長的には60kg以上ある石炭の塊が印象的だなと・・・

てなわけで局長は、次なる展示を見て行く事に・・・。

 

続いては、九州の名門列車となった『つばめ』のコーナー。

大宮や名古屋、京都といった鉄道博物館において

ある1つの列車に限定した展示って無かったような・・・。

そんな名門列車『つばめ』の展示が九州鉄道記念館にはあります。

 

局長「そういうわけで、今や九州を走る名門列車となった『つばめ』の歴史をここで見て行くぞ」

このみ「特定の列車名の歴史が紹介されているコーナーがあるのね」

奈緒「こういう展示って珍しい感じがするなぁ」

局長「これまで行ったことがある鉄道博物館において、特定の車両の紹介展示はメインであっても、特定の『列車名』に関する展示は見られなかったからな」

茜「ねぇねぇ、こういうのって『茜ちゃん』に関する展示があるみたいな感じでいいのかな?」

局長「つまり、ミリマスの『野々原茜』に絞った展示がある、という事でええな。よーしっ、それじゃ『つばめ』の展示をあらためて見て行くとしよう。名門列車『つばめ』を知る旅に、ヒア・ウィー・GO!」

 

まずは初代『つばめ』の紹介をパチリと1枚。

特急の名前として登場したのは1930年10月、

前年の特急列車の愛称募集において『富士』・『櫻』と共に

超特急用として大切に保管されていたのが『燕』でした。

 

説明にあるように、東京~神戸間を9時間で結んでおり

これは当時運行されていた特急『富士』より2時間20分も早く、

その俊足ぶりから『超特急』と呼ばれていました。

 

奈緒「今となっちゃ、東京~神戸が9時間ってめっちゃ遅いと思いますけど、この列車が登場した当時は速かったんですよね」

局長「そうだな。最高速度は時速95kmに達し、平均時速は65.5kmをマークしている」

このみ「20年以上この記録は破られなかったってすごいわよね」

局長「それに、初代『つばめ』が速く走れたのは速度が要因ってだけじゃない。東海道本線はこの当時、東京~国府津間で電化されていて、従来の特急や急行は国府津で電気機関車と蒸気機関車を交換していたんだが、その交換時間も惜しいので敢えて東京~名古屋まで蒸気機関車で向かって行ったんだ」

このみ「東京~国府津まで電化されているのに、交換時間を短縮する為に蒸気機関車で東京~名古屋まで行ったのねぇ。それで、名古屋から先はどうしたのかしら?」

局長「京都の梅小路に配備されていたC51形蒸気機関車に交換されていたみたいだな。ちなみに、丹那トンネル開通後は国府津より西にある静岡県沼津市の沼津駅で列車交換をしていたみたいだな」

茜「沼津って言えば、局長ちゃんがこの前行ってきた場所だよね!茜ちゃん達が不可侵出来ない聖地・・・!」

局長「すまねーなぁ・・・沼津だけ会話記事の担当が某集団でな」

 

他にも給水停車を省略したり、交代要員の乗務員を列車内に乗せる事で

ノンストップ区間における乗務員交代の運転停車をせずに

走行中の車内で乗務員交代を行ったりしました。

 

また、運転開始時の東海道本線は御殿場経由であり

急勾配区間があったので補助機関車を必要としました。

上り列車は沼津から、下り列車は国府津から補助機関車を繋いで

御殿場駅まで走る必要があったのですが、

補助機関車を連結する際の作業時間を30秒にまで切り詰め、

外す時は御殿場駅付近を通過中に

外すという大胆な事をしてました。

 

茜「えっ、列車が走っている時に補助の機関車を外すって、なんか危なくない?」

局長「まるで映画みたいな事をしてるよな。今の鉄道業界じゃありえない話だと思うけどね」

奈緒「しかし、所要時間を短くするための努力が色々とあったわけなんやなぁ」

局長「全くだな。そいじゃ、次を見て行くとするか」

 

続いては戦後の『つばめ』をパチリと1枚。

2代目つばめは、戦後初の特急列車として東京~大阪間を

運行していた『へいわ』というのがありましたが

愛称公募にて1950年に『つばめ』と変更されました。

 

当初、東京~大阪間は9時間を要していましたが

ダイヤ改正で8時間に短縮、さらに東海道本線の全線が電化すると

青大将と呼ばれたカラーリングを身に纏ったEF58形牽引となり、

所要時間は7時間30分と大幅に短縮されました。

 

局長「ちなみに、2代目つばめの頃は関西方面の旅客が増加したので、特急券の入手が困難になっていた。所謂プラチナチケットと化したわけだな」

奈緒「めっちゃ人気があった特急列車なんですねぇ」

局長「その人気っぷりから、この時代から転売ヤーが現れるほどだったんだ」

このみ「えっ!?今から60年以上前に転売ヤーがいたって事?!」

局長「せやな。この時は、当時の価格で400円だった特急券を買い占めて、900円以上で売りさばいていたブローカーが後に逮捕されているんだ」

このみ「信じらんない・・・。今の転売ヤーと変わらないことをしてた人がいるなんて」

茜「そういう人がいるから、乗りたい人が乗れないんだよね!」

局長「そうなんだよな~。だから買い占めとかすんじゃねーよ転売ヤー共が!!」

 

そして、1958年に国鉄初の特急電車である151系が登場し

『つばめ』にも充当されました。最後尾の展望車は無くなりましたが、

代わりにパーラーカーというのを連結していました。

 

その結果、速度面でも設備面でも旧型客車を用いて

機関車牽引していた『はと』・『つばめ』は見劣りしており

1960年からは151系に置き換える事となりました。

これによって、東京~大阪間の所要時間は6時間半にまで

一気に短縮されました(神戸発の『つばめ』もありました)

さらに、1962年には広島駅まで乗り入れるつばめも登場しました。

 

局長「そして、1964年10月1日に東海道新幹線が東京~新大阪まで開業すると、『つばめ』は新大阪~博多までの区間を走る昼の特急列車として新たに走り出す事となったんだ」

このみ「そうなのね。でも、この頃はまだ大阪~九州を結ぶ列車だったのね」

局長「そうなんだが、1965年に運転区間を名古屋~熊本にした『つばめ』が登場したんだ」

このみ「名古屋~熊本って、また長い距離を走るわねぇ・・・。既に名古屋から新大阪まで新幹線が開通してるのに、それに並走する特急になったって事ね」

局長「せやな。そして1965年には交直流列車の481系が導入され、名古屋~熊本間の全区間を補助機関車無しで走れるようになったりした。しかし、1972年に山陽新幹線が新大阪~岡山間で開通すると、運行区間はグッと短縮して岡山~博多・熊本間の特急となったんだ」

奈緒「新幹線が出来ていくと同時に、特急で走る区間も減っていったんですね」

局長「そうだな。これが特急の宿命なんよ」

茜「そうなんだねぇ。特急が新幹線に速さで勝てるわけ無いからねぇ・・・」

局長「そして、1975年に山陽新幹線が博多まで全線開通すると、国鉄における特急『つばめ』の役割は失った。そして、1975年3月に特急つばめは長い歴史に幕を下ろしたんだ」

奈緒・茜「「へぇ~・・・」」

局長「ちなみに、1981年リバイバルトレインとして『つばめ』が7月25日と26日に限って復活してからは、何度か走ったケースはあるみたいだな」

このみ「それって、完全に消えたってわけじゃないのね」

局長「そういう事になる。それじゃ、次の展示を見て行くとするか」

 

そんなわけで、4代目『つばめ』と5代目『つばめ』をパチリと。

国鉄は『この名称に釣りあうだけの格式ある列車がない』として

1975年の廃止からしばらくその名が消えていましたが、

国鉄分割民営化後、JR九州が1992年に鹿児島本線の特急として

787系で運用する車両の名前に『つばめ』を採用したのです。

 

つばめという名前を復活させるにあたって

JRグループ各社に了承を取るという徹底ぶりを見せ、

そして17年ぶりにその名は蘇りました。

 

奈緒「つばめって名前が九州を走る特急列車の名前になったのは分かったんですけど、なんでJR九州が復活させたんですか?」

局長「これについての詳細は不明なんだが、『国鉄が無くなったというのを感じられたのは、つばめが九州を走った時。つばめは分割民営化したJR九州の象徴だ』と語るJR九州の幹部は多いらしい」

このみ「つまり、九州にとって特別な思いがある列車の名前って事なのね」

局長「そういう事になるかな。JR九州の社長も、『九州に残したい』と熱い思いを見せていたからな」

奈緒「そういう話があったんやなぁ・・・」

 

そして、2004年に九州新幹線が新八代~鹿児島中央まで

開業した際に800系に用いられた名前も『つばめ』でした。

ちなみに、得票数では1位の『はやと』よりずっと下の5位でした。

 

茜「ねぇ、なんで1位『はやと』じゃなくて5位の『つばめ』が新幹線の名前で採用されたの?」

局長「この時点で、2002年に東北新幹線が八戸駅まで延伸開業していて、その際に『はやて』という名前を採用していた事で『はやと』では紛らわしさがあった事、『はやと』は漢字で書くと『隼人』だから、九州より鹿児島県単体のイメージが強すぎたことがあるんだ

茜「そうなんだ。いや~、トップなのがそのまま名前として決まるわけじゃないんだねぇ・・・」

局長「そして、つばめに決まった理由は列車名としてスピード感があり、南から飛んできて春を告げるイメージが鹿児島から北上する九州新幹線に最もふさわしい』というのがあったんだ」

このみ「なるほど・・・つばめは春を告げる鳥だものね。新幹線が開業する事を春だと思うと、しっくりくる名前よね」

局長「そういう事だな」

 

なお、つばめは東海道・山陽新幹線では採用されなかったですね。

 

つばめのヘッドマークをパチリと、1つだけ円形じゃなくて

四角いのがありますが、これはボンネットタイプの151系などに

装着されていたものだったりしますね。

他は客車時代の最後尾に装着されているものだったり

機関車牽引時代に蒸気機関車や電気機関車に装着されていた

円形状のヘッドマークだったりしますね。

 

歴代の『つばめ』で使われた車両たちをパチリと1枚。

左から順に・・・

 

・C51形蒸気機関車(初代)

・EF58形電気機関車(2代目)

・ED73形+サヤ420形+151系(3代目)

・787系特急電車(4代目)

・800系新幹線(5代目)

 

という並びとなっています。

 

琴葉「あの、3代目の所だけ電気機関車とかが繋がってますよね?これってどういう事なんですか?」

局長「1964年の東海道新幹線開業時、『つばめ』の運行区間が新大阪~博多までとなったんだが、その際に使われた車両は151系だったんだ。151系は直流用特急電車であり、九州の路線は交流電化によって整備されていたので、下関~門司までの関門トンネル区間はED30形が牽引し、門司から先は交流電気機関車のED73形が直流用の151系を牽引して行ったというわけなんだ」

琴葉「そうだったんですね」

恵美「それじゃあ、その電気機関車の後ろにあるサヤ420形ってどんな車両なの?」

局長「機関車で牽引する下関~博多までで繋いでいた電源車だ。車内の電気やら空調を働かせるための補助の補助だと思ってもらって良いぞ」

恵美「へぇ~。3代目からは機関車がいらないって言ってたのに、下関から九州へ入る時はなんか昔みたいな感じになるんだねぇ」

局長「直流と交流の違いから生まれる、特殊な事情があるからな。しかし、先ほど説明したように1965年に交直流対応の481系が登場してからは、補助機関車は要らなくなるってわけだな」

 

新八代駅のジオラマをパチリと、2004年に九州新幹線の

新八代~鹿児島中央間が先行開業した際の風景となっています。

ジオラマの左側が鹿児島中央方面、右側が博多方面となっており

真ん中には『リレーつばめ』が停車する在来線ホーム、

奥の方には新幹線が停車する新幹線ホームが設置されていました。

 

恵美「新幹線と特急電車が一緒に並ぶって、電車好きな子供とかすごく喜びそうだよね」

局長「それだけじゃない。この当時、九州新幹線は新八代~鹿児島中央までしか出来ておらず、博多~新八代までは特急で行く必要があった。そこでJR九州は利便性向上も含めて、新幹線と特急が対面で乗り換えできるように整備したってわけなんだ」

琴葉「だから、新幹線と特急電車が並んでいる光景が出来たんですね」

局長「そういう事。最も、八代~西鹿児島までは1991年に『スーパー特急方式』で建設がすすめられ、後に八代から新八代へ起点が変更され、そして2000年には博多~鹿児島中央までのフル規格、要は普通の新幹線で整備する事が決まったんだ。その結果、新八代駅~鹿児島中央駅間が部分開業し、新八代駅はこんな形になったというわけなんだ」

琴葉「新八代駅で特急と新幹線が並ぶのには、そういう理由もあったんですね」

恵美「この並びに、そういう事情があったのは初めて知ったよ。ちなみに、局長はこの時の九州新幹線には乗ったことあるの?」

局長「ない!九州新幹線の車両ですら2020年の四国旅で初めて乗ったっていうのによ・・・」

 

800系新幹線のフロント部分の写真をパチリと。

こんな感じで前の部分を見ると独特ですよね。

これについては、2日目に博多駅で実物を見てきましたよ(*´ω`*)

というか、一度乗ってみてーよなぁ・・・。

 

局長「ちなみに、800系は全国各地で運行されている新幹線車両の中では唯一、東京駅にまだ一度も来たことが無いんだ」

恵美「そうなの?!じゃあ、九州とかでしか見れないって事?」

局長「そういう事になる。ちなみに、800系は現在博多~鹿児島中央間でのみ運行されていて、同じ九州でも小倉駅には行ったことが無いしな」

琴葉「九州新幹線の車両なのに、小倉まで行かないなんて・・・」

局長「構造上は山陽新幹線に乗り入れ可能だし、新山口~新下関の間で試運転は行っているから、本州に行ったことはあるんよ。でも、今のところは博多以東への運行は見送られてるってわけだな」

 

九州エリアを走った蒸気機関車や電気機関車をパチリと。

上2段が蒸気機関車、下2段が電気機関車とディーゼル機関車ですね。

画像右上には流線形の蒸気機関車もあるんですが

その見た目は欧米の要塞じみた蒸気機関車な感じもしますね。

 

続いては『九州を走った列車たち』をパチリと。

鉄道は多くの人たちの夢や希望、物などを運んでいきましたが

それは鉄路が敷かれた九州でも同じ事です。

ちなみに、写真に写っている電気機関車はED75形であり

ヘッドマークには『みずほ』が採用されていますね。

 

ここで、九州を走った列車たちのヘッドマークやら

写真やらがあるのですが、局長チョイスによって

ヘッドマークのみの紹介に留めておきます。

 

瑞希「ちなみに、この時の局長のカメラのバッテリーが少なかったのでこんな感じになってしまいましたとの事です」

杏奈「局長・・・毎度のことながら・・・バッテリー減と闘ってる・・・ね・・・」

局長「色々と写真に収めねーとと思ってシャッター切ってると、バッテリーが半分くらいになるという恐怖!わっかんないかな~?」

百合子「局長は写真撮りすぎな部分もあるんですよ」

局長「しくしく・・・それじゃ、ヘッドマークを見て行くとするか」

 

ヘッドマークをパチリと、このうち『さくら』と『みずほ』は

九州新幹線の名前として使われていたりしますね。

はやぶさは東北新幹線が使ってますし・・・。

あかつきは京都・新大阪~長崎・佐世保を結ぶ寝台特急として

2008年まで活躍していたりしていました。

 

百合子「今では新幹線に使われている名前もあるんですね」

局長「せやな」

杏奈「上にある・・・サザンクロス・・・って名前・・・カッコイイね・・・」

局長「サザンクロスこと『パノラマライナーサザンクロス』は、1987年に登場した列車で、旅行形態が多様化したこの時代において、幅広い層の客がくつろぎながら旅行を楽しむことができ、そんでもって会議などの多目的な用途にも活用できるゴージャスな列車として開発されたんだ」

杏奈「そういう・・・列車だったんだね・・・」

局長「最後尾のパノラマラウンジカーは、文字通りラウンジとなっていてカラオケも出来た」

百合子「列車の中でカラオケって、今の時代の列車では絶対に見かけないですよね・・・」

瑞希「昔の列車は装備がすごいぞ・・・」

局長「ステージ背面にはマジックミラーも導入されたって話だな。マジックミラーというと、一般女性の意外な一面を見るための某マジックミラーな車があるわけだが」

杏奈「局長・・・死刑・・・」

百合子「真面目に見る気ありますか?」

瑞希「煉獄さんに斬られてください」

局長「しくしく・・・」;つД`)

 

てなわけで、駆け足気味になってきていますが・・・・

明治・大正時代のレールとやらを見て行くとしましょう。

今でこそ、鉄道用のレールは日本でも作られていますが

その昔は外国からの輸入に頼っていました。

そんな昔、日本に敷かれていた外国のレールを見て行きましょう。

 

局長チョイスで1つ、フランス製のレールをパチリと1枚。

ウエンデル製の線路ですが、種類も多くてレールマークが

ハッキリとしているそうですが、どこのマークがあるねんと・・・。

見た目は結構ズシっとしている感じがしますね。

 

日本刀の展示みたいに、外国のレールがズラリと並んでいます。

国産のレールが誕生して日本各地の鉄路に敷かれるまでは

こんな感じで外国産のレールが日本の鉄道を支えていたのですね。

 

というわけで、ここまで。ではでは