とりあえず、こんばんわ。局長です。
ゲーセンのレースゲームには遠慮なく課金していくのに、
スマホのゲームに課金は遠慮してしまうんですよね。
というわけで、前回の続きでも。
駅弁や記念切符の展示とやらを見て行った局長。
局長的に、駅弁の展示は他の鉄道博物館においても
いっぱい紹介されているのは中々無いよなと・・・。
テニス弁当とか印籠の形をした弁当とか初めて見ましたもん。
そんでもって、記念乗車券という類も色々あるよなと。
その中で、東海道新幹線の試乗記念の乗車券があったのを見て
『こんなんあったんや( ゚Д゚)』って思ったり。
てなわけで、他には硬券や腕木式信号機を見て行った局長は
次なる展示を見て行く事に・・・。
続いての展示は『昔の駅事務室』、今の時代は小さな駅でも
コンピューターが設置され、切符の発券を行ったり
列車制御集中装置とかも置かれていたりするもんですが
それらは昔、手作業でやっていたものだったりします。
ここでは、昭和30年代の駅事務室が再現されているようです。
では、ちょいと見て行くとしましょう。
てなわけで、昭和30年代の駅事務室をパチリと1枚。
今の駅事務室と違い、コンピューターの類はまずありませんし
扇風機がかなーり古いといった違いが一番目に入りますね。
というか、駅事務室って一般ではめったに入れませんので
その違いってのがピンと来ない人もいるでしょうし・・・。
翼「これが昔の駅事務室なんですね~。パソコンとかは置いていないんですね」
局長「1955年~1969年くらいの駅事務室だからなぁ。パソコンと言ったコンピューターは、まだこの時代の小さな駅の事務室には置いてないみたいだな」
志保「なんか、こういうのって田舎の駅っぽい感じがしますね」
局長「なるほどね、ちょっと寂れた田舎の駅って感じな。でも、こういうのってJRとか第三セクターの一部駅ぐらいだろうな。今じゃ、小さな駅でもコンピューターとか置かれていたりするし、そもそも無人駅になってる事もあるしなぁ」
再現された昭和30年代の駅事務室の備品一覧をパチリと。
暖房機器が火鉢や簡易ストーブというのが時代を感じさせますね。
他には画像右手にタイガー計算機というのもありますが
電卓が無かった頃はこれが電卓代わりになっていたそうです。
志保「さっきの駅事務室の所、テーブルの上に黒いのがありましたけど、あれがタイガー計算機だったんですね」
局長「タイガー計算機は1970年頃まで、日本でも多く使われた機械式計算機だな」
翼「今の電卓と違って、めっちゃ難しそう・・・」
局長「局長含む今の若者には、タイガー計算機はすぐには使いこなせん。やり方について興味があるなら、一度調べてみると良いぞ」
一方で、手旗信号とかで使われる旗なんかは
今でも稀ですが見かける事はあるようです。
局長的にはJRの教材ビデオである『股尾前科』シリーズにて
手旗信号が出てきたりするので、そこで知る人も多いかも。
局長「ちなみに、モデルとなった駅は筑肥線の鳥飼駅である。鳥飼駅は1983年に福岡市営地下鉄空港線が開業した事で、博多~姪浜は廃止となり、この駅自体も廃駅となっているようだな」
志保「じゃあ、今は無い駅の事務室なんですね」
局長「そういう事になる」
翼「ところで、鳥飼駅ってどこにあった駅なんですか?」
局長「福岡市城南区にあった駅だな。現在、駅の跡地には城南区役所が建っているぞ」
翼「そうなんですね~」
志保「鳥飼・・・そういえば、大阪にそんな名前の地名とかありましたよね」
局長「あれは鳥飼(うかい)な。字は一緒だけど、読み方が全然違うぞ」
局長チョイスで駅事務室に置かれていたものをパチリと。
これは通票閉塞器という装置であり、駅で行違うタイプの単線区間で
閉塞運転を行う際に重要なモノであったりします。
歌織「その際には、通行証とかがいるんですよね」
局長「せや。タブレットという通行証が必要となる。通行証を持たない列車は単線区間へ進入する事を許されないので、単線区間において上りと下りの列車が正面衝突する・・・というのを防ぐことが出来るんだ」
可奈「そういう仕組みなんですね!」
のり子「今は信号とかそういうのがあるから、こういうのは一部を除いて無くなったんだよね」
局長「そうだな。そんなわけで、在りし日の単線における閉塞運転がどういう風にやっていたのかを見て行くとしよう」
通票閉塞による安全運行、というので説明をパチリと1枚。
局長のブログより100倍分かりやすく書かれてますね(笑)
ちなみに、細かく書くとこんな感じです。
★閉塞運転開始のやり方★
1.A駅の閉塞器の『送信プランジャー』を3回押す
↓
2.B駅の閉塞器の電鈴が3回鳴るので、
B駅も送信プランジャーを3回押す。
↓
3.A駅の閉塞器の電鈴が3回鳴る。
この時に閉塞器に備え付けの黒電話でB駅に連絡する。
↓
4.電話を受けたB駅は、A駅から来る列車に対しOKする。
↓
5.B駅から電話でOKを貰ったA駅は、
閉塞器の送信用プランジャーを2回押す(これで閉塞の合図となる)
↓
6.B駅の閉塞器の電鈴が2回鳴るので
閉塞器の総信用プランジャーを2回押す(これで閉塞の承認となる)
↓
7.A駅の閉塞器の電鈴が2回鳴る。
この後、A駅は閉塞器の送信用プランジャーを押し続ける。
↓
8.B駅の検電器(閉塞器にある大きなメーター)が
『半開』となるので、その間に解錠用プランジャーを押しながら
下部引手を引き出す(半分しか開かず、タブレットは取り出せない)。
これにより、電気回路が構成される。
そして、閉塞器の送信用プランジャーは押し続ける。
↓
9.A駅の閉塞器に付いている検電器が『全開』を指す。
その間に閉塞器の解錠用プランジャーを押しながら
下部引手を引き出す(全部引き出せ、タブレットが取り出せる)。
その後、閉塞器の送信用プランジャーを1回押す
↓
10.B駅の閉塞器の電鈴が1回鳴り、閉塞完了となる。
↓
11.A駅の閉塞器から取り出したタブレットをタブレット入れである
『キャリア』に入れ、運転士に手渡しする。
そんでもって、A駅の出発信号を進行にすれば発車となります。
↓
12.その後、定時に列車が発車すればA駅の駅員は閉塞器の
送信用プランジャーを1回押す(これで定時発車の合図となる)。
局長「という流れになるぞ」
可奈「すごく複雑ですね。慣れるまで大変そう・・・」
のり子「めっちゃややこしいよね・・・」
可奈「そうですよね・・・」
局長「せやかて、これをA駅とB駅の駅員は1分でこなしちゃうから驚きだよな」
のり子「この手順を1分でこなすってのはすごいよね」
局長「ちなみに、ここではB駅に電車が到着した後の事は書かれていないな」
歌織「そうですよね。列車がB駅に到着したらどうするんですか?」
局長「それについては、こういう感じになるぞ」
★閉塞運転解除のやり方★
1.B駅に到着した列車の運転士が、キャリアを渡してくるので
そこからタブレットを取り出す。B駅の駅員は閉塞器上部の
上部引手を引き出し、タブレットをはめ込んでから引手を押し戻す。
これにより、さきほど、半開状態だった下部引手が
押し込めるようになるのでこれも押し込んでおく。
そして閉塞器の送信用プランジャーを4回押す(閉塞解除の合図)
↓
2.A駅の閉塞器の電鈴が4回鳴る。
A駅も閉塞器の送信用プランジャーを4回押す(閉塞解除の承認)
↓
3.B駅の閉塞器の電鈴が4回鳴る。
B駅の駅員はこの後、送信用プランジャーを押し続ける。
↓
4.A駅の駅員は解錠用プランジャーを押す(電気回路の構成)。
その後、閉塞器下部の引手が全開状態なのが押し込めるようになるので
押し込んでおき、その後に閉塞器の送信用プランジャーを1回押す。
これで解除完了の合図となる。
↓
5.B駅の閉塞器の電鈴が1回鳴る。閉塞解除完了だ!
歌織「解除の方も覚えなければいけない作業があって大変そうですね」
局長「でも、閉塞運転開始時より少し楽だろう。このタブレット閉塞は通票のある側からしか出せない『スタフ閉塞式』や『票券閉塞式』と違って、自由度の高いダイヤグラムを実現できるのが長所なんだ」
可奈「そ、そうなんですね・・・」ぷしゅー
局長「あちゃー・・・可奈の頭から湯気が出てんな」
のり子「普通に理解しようと思っても難しいよ・・・」
局長「そうだよな。こういうのは、1回やってみると面白いんだけどな」
モデルとなっている駅事務室は廃駅となった鳥飼駅ですが、
その中には大隈駅の時刻表なんかもあったりしました。
旅している時点では、この駅事務室は鳥飼駅の物じゃなくて
大隈駅の物なのかと思ったぐらいですからね(;^ω^)
大隈駅は福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)にあった駅で、
1988年に廃線となった上山田線の駅の1つとなります。
上山田線は福北ゆたか線の飯塚駅から日田彦山線の豊前川崎駅を結ぶ
ローカル路線でもありますが、筑豊本線に直通する列車もあり
行先には門司港や下関といった駅名も書かれています。
また、よーく見てみると博多や熊本方面の列車もあり
ローカル線にしてはアクセスは・・・まぁまぁですかね。
続いては『走れ!蒸気機関車』というわけでして
蒸気機関車に関するコーナーへとやってきました。
パチリと1枚、画像真ん中にはD51やC57といった
蒸気機関車のプレートが5枚展示されています。
局長「九州の鉄道開業は1889年、博多~千歳川仮停車場間での運行で始まったが、当然ながら蒸気機関車が採用されているぞ」
美也「昔は蒸気機関車がいっぱい走っていたって、おじいちゃんが言っていましたからね~」
局長「ちなみに、北海道はアメリカ製の蒸気機関車で開業したのに対し、四国と九州はドイツ製の機関車で開業したという経緯があるんだ」
莉緒「そうなの?四国と九州はなんでドイツ製の機関車を採用したのかしら?」
局長「筑豊炭田など九州北部の炭鉱開発に、ドイツの技術を導入した経緯があるからなんだ。これにより、ドイツ人技師の『ヘルマン・ルムシュッテル』の指導を受けて九州最初の鉄道が開業したってわけだな」
莉緒「なるほどねぇ。ドイツの技術があったからこそ、機関車もドイツの物を採用したって事なのね」
局長「そういう事になる。45形と10形という蒸気機関車を走らせていたが、最初の頃の九州鉄道の路線は資金不足によって曲線や勾配が多い低規格路線だったので、新橋~横浜まで鉄道が開業して17年経過したのにも関わらず、低性能な蒸気機関車でもあったんだ」
美也「九州の鉄道開業時は線路の状態も悪く、蒸気機関車の性能が低かったんですな~」
局長「しかし、開業後に利用客が増加した事で線路の改修や高性能の蒸気機関車も導入された、ってわけだな」
美也「そうなんですね~。局長、まるでその当時にいた人のようですね~」
局長「その当時に生きてたら、今頃ギネスに載るくらいの年齢やろな」
クッソデカいですね、こんなのが人や車に直撃したら
タダじゃ済まないレベルのデカさです。
てなわけで、『石炭の塊』をパチリと1枚。
1953年に台湾で採れたものとなっているのですが
その重さは60.4kgと
めちゃんこ重いです。
莉緒「とても大きな塊ね・・・。これが、蒸気機関車の燃料に使われる石炭なんでしょ?」
局長「せやな。これだけの塊を石ころサイズにカットしているわけなんだよな」
美也「そうですよね~。とーっても、大きな塊をそのまま入れるのは大変ですもんね~」
局長「そうだよなぁ・・・。このままぶち込むのは無理があるな」
蒸気機関車の運転台のパネルの所には、
ボタンを押すと音が出るというのが設置されてました。
どんな音が出るのか、これに関しては是非とも
九州鉄道記念館に行ってお確かめくださいませ(おい)
蒸気機関車の部品集をパチリと1枚。
画像下側、左から順に速度計・圧力計のメーターがあり
画像上側、左から順にブレーキ弁(単独ブレーキ弁)、
ブレーキ弁(列車全体用)、ボイラー安全弁があります。
局長「蒸気機関車の運転はシミュレーターでやったことがあるけど、普通の電車と違って難しいんだよな~」
莉緒「そういえば、埼玉の鉄道博物館でやったって言ってたわね」
局長「減速する時が一番難しくてな、ブレーキをちょっとでも雑に扱うと、すぐに急減速するねん。ナイーブすぎるやろ・・・」
美也「それは、局長の操作が下手なのかもしれませんね~」
局長「(´・ω・`)」
ブレーキ弁(単独ブレーキ弁)のブレーキレバーをパチリと。
これを見てると、蒸気機関車のシミュレーターを思い出しますな・・・
というわけで、ここまで。ではでは