とりあえず、こんばんわ。局長です。
最近、なか卯がソバをまた始めたので夜勤明けの仕事帰りに
立ち寄ってズズズっと啜って食べています。
やっぱり、朝食べるソバは滅茶苦茶美味しくてええよね。
それにしても、なか卯って冬シーズンはざるそばやってないけど
それなりに美味いから通年でやってほしいですね。
というわけで、前回の続きでも。
九州旅で一度行ってみたかった『九州鉄道記念館』へと訪れた局長。
485系のレッドエクスプレスや銀色のEF30やEF76形の
前頭部展示を見て、レッドエクスプレスは本で見たことあるので
懐かしいなーって思ったり、銀色のEF30は全国でも独特な
電気機関車なので生で見れて良かったなーって思ったり。
他にも旧0哩標や59634の車番が与えられた9600形に
C59といった蒸気機関車を見て行った局長、
さらに野外展示の列車たちを見て行く事に・・・。
まずはEF10形電気機関車をパチリと1枚。
1934年に製造された電気機関車となっているのですが
ここに展示されているモデルは関門トンネル用に作られた個体です。
最大の特徴は、前回の記事に登場したEF30形と同じく
車体にステンレスが用いられている事です。
恵美「あれ?車体にステンレスが用いられていたEF30ってのは、銀色一色だったじゃん。このEF10形ってのは色が茶色なんだね」
局長「展示されているのは35号機で、この35号機は他の27号機、37号機、41号機はこれと同じ『ブドウ色』に塗装されたんだ。一方で24号機だけは、前回紹介したEF30形と同じく無塗装で銀色一色だったんだ」
恵美「へぇ~、そうだったんだねぇ」
局長「ちなみに、詳細不明なんだがその24号機がこれと同じ色に塗装されたという情報もあるらしい。しかし、現時点においてEF10形は九州鉄道記念館にある35号機しか現存していないから、その真相は闇の中って感じだな」
奈緒「その、EF10形ってここにしかない機関車なんですねぇ。めっちゃ貴重な車両やんか~!」
局長「まさに、ここでしか見られない車両だな。しかしながら、窓枠が変更されているなど、現役時代のとは全然違っていたりするぞ」
奈緒「う~ん・・・1つ言うていい?窓枠とかそんなん絶対気づかないと思いますよ」
局長「意識して見てないと分かんないしな」
恵美「いや、意識してても分かんないよ!」
奈緒「全員が局長みたいに電車に詳しいわけちゃうしなぁ」
局長「いや、よほど詳しくないと気が付かない部分やで」
EF10・35号機の説明板をパチリと1枚。
開発当初の山陽本線と鹿児島本線は電化されてませんでしたが、
海底トンネルである関門トンネルは急勾配と距離の長さにより
蒸気機関車での運用は困難なので、関門トンネル区間(※)だけは
直流1500Vで電化される形となりました。
※・・・正確には幡生操車場~門司操車場までです。
局長「これにより、関門トンネルを抜けて本州から九州へ、九州から本州へ行く時は、EF10形電気機関車に客車を接続して関門トンネルへと入って行ったんだ。だから、電化された下関駅~門司駅までの区間で使われたというわけだな」
奈緒「はぁ~、なるほどなぁ。下関~門司までは関門トンネルが電化されていて、下関より東側と門司より西側は電化されてなかったから、その電化された場所だけ電気機関車で走らせたっちゅうなんですね」
局長「そういう事だな」
恵美「そういうのってさ、局長が数年前に行ったアレとちょっと似てるよね」
局長「あれ・・・あぁ、碓氷峠のか。あれは勾配対策だからなぁ」
恵美「でも、電化っていうと電気で走るって事だよね。蒸気機関車って石炭とか燃やして走るから電気とか要らないじゃん、関門トンネルも蒸気機関車で走る事って出来たんじゃないの?」
局長「さっき言ったけど、急勾配であり距離が長かった。1928年には福井県と滋賀県の境界線上にある『柳ケ瀬トンネル』にて、機関車が勾配で空転して立ち往生し、そんでもってトンネル内に煤煙が充満した結果、上り列車の車掌・荷扱手・機関助士の3名が窒息して亡くなるという悲惨な鉄道事故が発生したんだ。それを踏まえたかどうかは分からないが、関門トンネルとその周辺区間は先に電化され、その区間のみをEF10形が走ったというわけだな」
恵美「へぇ~、そういう事があったから電気機関車が使われたんだね」
局長「そういうこった。そんでもって時代は進み、1961年には山陽本線側が直流15000V、鹿児島本線側が交流20000Vで電化した事で、交直流で走れる電気機関車ことEF30形が開発され、直流専門だったEF10形はその役目を後継機に譲ったわけだな」
奈緒「なるほどなあ。局長、ホンマにこういうの詳しいですよね」
局長「何度も言うが、調べているかんねぇ」
続いてはED72形電気機関車をパチリと1枚。
これを見て、ブルートレインとかを思い出した読者の皆様、
多分ですけど年齢がバレちゃいますよ。
というのはさておき、ED72形電気機関車は1961年に登場し、
鹿児島本線の門司港~久留米間の交流電化の際に投入され、
交流電化な九州地区向けの電気機関車として活躍しました。
局長「この電気機関車には、当時の九州の鉄道事情に合わせた装備があってな、そのうちの1つに『SG』たるものが装備されていたんだ」
未来「えすじー?わさびなら知ってますけど・・・」
局長「それはエスビー」
翼「じゃあ、一体何なんですか~?えすじーだなんて言われても、私たちには分かりませんよ~!」
局長「学校で習わんのか?」
静香「あのですね、普通に考えて習いませんよ・・・」
局長「これだから日本の学校教育は腐ってんだ。まぁいいか、『SG』とは『列車暖房用蒸気発生装置』の事だ」
未来・静香・翼「「「列車暖房用蒸気発生装置??」」」
局長「よくピッタリ合わせて言えたな。列車暖房用蒸気発生装置、SGとは蒸気機関車以外の機関車に牽引されて走行する客車にて、蒸気暖房を行う際に必要な水蒸気を発生させる装置の事だ。簡単に言えば車内の暖める空調システムって事だな」
翼「それって、暖房って事で良いんですよね」
局長「そういう事になるな。蒸気暖房っていうと、蒸気機関車の高圧蒸気をホースを用いて客車に送る事で、蒸気暖房っていうのが容易に行えた。しかし、電気機関車には蒸気機関車みたいに煙突もついてないし、そもそも電気で走るってのは分かるよな」
静香「ええ。これが蒸気機関車じゃないってのは分かるんですけど・・・」
局長「そうなると、蒸気暖房っていうのは電気機関車やディーゼル機関車では不可能なんだ」
翼「でも、寒い時に電車に乗ると暖房とかちゃんとついてますよ?」
未来「そうそう!ちょっと暖房が効きすぎって時もあるけど」
翼「わかる~!走ってきた時なんかに、暑いって思う時もあるよね!」
局長「未来や翼が言うてる今どきの暖房は電気暖房ってやつだが、これは1925年に東海道本線や横須賀線が電化された事で、電気暖房対応の電車を連結し、電気機関車から電気暖房用の電力を供給して運用するという所から始まったみたいだな」
翼「そんな昔から今と同じような暖房があったんですね~」
局長「そういうこっちゃ」
ED72の横っちょをパチリと、1という数字は1号機の事で
1961年に東芝で製造された試作機となっています。
試作機には当時の国鉄新性能電気機関車の特徴である
『クイル式駆動』を採用したりしていました。
局長「それはさておき、この列車に装備された蒸気暖房について、続きを話すとするかな」
翼「いつものように、眠たくならない程度でお願いしまーす」
局長「寝るなっての。はぁ・・・、蒸気暖房は蒸気機関車特有の装備で電気機関車やディーゼル機関車では不可能だって所まで行ったな。その蒸気暖房を電気機関車やディーゼル機関車で使うには、蒸気機関車を新たに連結するか、ボイラーを装備した暖房車を連結するしか無かったんだ」
未来「そうなんですね!ED72っていう電気機関車にさっき見た蒸気機関車が繋がってるとか、なんかすごそうですよね!」
局長「絵面はすごいと思うが、効率面では超非効率なんよ。暖房をつけるためだけに、蒸気機関車やボイラー付き暖房車を連結すると車両の長さが長くなり、さらには列車重量が重くなったりするからな」
未来「そっかぁ、重くなると速く走れないですもんね!」
局長「止まるのにも気を遣うしな。それはともかく、これらを解消するために電気機関車の中に水蒸気を発生させる装置を搭載すればええんやないか、というわけで作られたのがSGというわけだな」
翼「つまり、電気機関車の中に客車へ暖かい空気を送れる装備を搭載したって事なんですね」
局長「そういう事になる。ED72形電気機関車が登場した頃の九州エリアでは、非電化区間がまだまだ多かった頃なので、電気機関車牽引の旅客列車においても、蒸気暖房を継続使用するというお達しがあったので、ED72形電気機関車には蒸気暖房が装備されたというわけなんだ」
静香「蒸気暖房っていう装備1つ、紐解いていくとそういう話があるんですね」
局長「これぞ、明日使えて眠れる豆知識だな」
ちなみに、蒸気暖房って効率をよくするために作られたので
そりゃー効率良くなったでしょ・・・って思いますが
蒸気暖房にはちょっとしたデメリットが存在します。
静香「デメリットって、どんなのがあるんですか?」
局長「ED72形にも搭載された蒸気暖房、その蒸気暖房自体にはいくつかデメリットがあってな、そのうちの1つに『両数が長ければ長いほど暖房の効きが変わる』というのがあるんだ」
静香「えっ・・・?両数が長いと暖房の効きが変わっちゃうんですか?」
局長「そうなんだ。長ーい編成になるほど、前後で暖房の効きが変わってしまうアンバランスが発生した。それは効きが悪いという点で済まされないレベルであり、北海道の根室本線において13両編成で運行されていた『まりも』や『狩勝』において、『外は氷点下20度なのに、最後尾には暖房が効いていない』という事態に陥ったんだ」
翼「氷点下20度ってめっちゃ寒いのに、それで暖房が効いていなかったら死んじゃいますよ~!!」
局長「だから、冬には補助機関車を最後尾に連結して解決していたみたいなんだ」
翼「へぇ~・・・昔の鉄道って冬乗る時大変だったんですね」
局長「今と全然違うからなぁ。他にも『機関車交換時に早めに暖房を切らないと係員が蒸気管で火傷する』とか『電気暖房に比べると機関車交換後にどうしても暖房の効きが遅くなる』、『運転手とは別にボイラー技士の有資格者を持つ人員が必要となる』というのがある」
未来「蒸気暖房ってこんなデメリットもあるんですね」
局長「それと未来、蒸気暖房を電気機関車で使うとある懸念が浮かぶんだが、それがなにか分かるか?」
未来「えっと・・・」
局長「蒸気暖房って何を発生させる装置だったかな?」
未来「えっと・・・水蒸気!」
局長「そう。その水蒸気を発生させるのに必要なものは?」
未来「それって、水ですよね?」
局長「その通り。じゃあ、後は分かるかな?」
未来「えっ!?そんなの分かりませんよ~!!」
局長「・・・次ICOCA」
未来「え~っ!!」
ED72・1号機の説明板をパチリと1枚。
九州初の交流電気機関車であるという説明のほか、
動力の伝わらない中間台車があるという説明もあります。
局長「さて、水蒸気を発生させるのに必要な水を用いた蒸気発生装置、それを電気機関車で使うとある懸念が浮かぶと言ったな。その懸念、未来はまだ分かんねーか?」
未来「分かりませんよ~!水を発生させる装置が電気機関車に対してある懸念が浮かぶって、どういう事なんですか~?!」
静香「落ち着いて未来。ねぇ、手が濡れた状態でコードとかコンセントに触るとどうなるかしら?」
未来「ええっ、それって・・・感電とかするよね」
静香「そうね。濡れた手とかでコードやコンセントに触れると、最悪感電したりする」
未来「それがどうしたの?ますます分かんないよ~!」
翼「未来~。多分局長は、水を使う機械を電気機関車の中に装備すると、それで機械が故障したり感電したりするって言いたいんじゃないの?」
未来「そうなの?!局長、そうなんですか!?」
局長「その通り。感電という部分は無いが、電気機関車としては水そのものによる漏電によって、機械が故障したり影響が出ることに懸念したんだ。だからこそ、出来るだけ搭載したくなかった・・・というのがあったんだ」
未来「なるほど~、そういう事だったんですね!」
局長「そいじゃ、次ICOCA」
なので、蒸気発生装置を電気機関車で運用するうえで
水による漏電で機械が故障するんじゃねーかという
デメリットも存在していました。
また、装置自体が移動式ボイラーとして扱われてしまうために
労働基準監督署に『ボイラー設置報告書』、『ボイラー明細書』、
『ボイラー変更届』などの書類を設置・改造・休止・復活の度に
いちいち提出しないといけないというクッソ面倒な事もありました。
なんか・・・車両の紹介というよりもED72に搭載された
蒸気発生装置が話の中心になっちゃいましたね(;^ω^)
それでは、次の展示を見て行きましょう。
鉄道模型において、田舎の風景なんかで使えそうな1両ですね。
てなわけで、国鉄キハ07形気動車をパチリと1枚。
ちょっと大きめな路面電車みたいな感じであり、
前面部は当時の流線形ブームに則って半円形が用いられてます。
ちなみに、このデザインはちゃんと空気抵抗低減に繋がっていると
東京大学航空技術研究所の模型を用いた研究により立証されています。
展示されている車両は、大分県の恵良駅から熊本県の肥後小国駅を
結んでいた宮原線(1984年廃止)で走っていた個体です。
HPTの聖地である豊後森機関庫で眠っていたそうですが
後に大分運転所へ移動し、そして修復されて2003年に
この九州鉄道記念館へ展示になったというわけです。
説明板をパチリと、写真は後にHPTの聖地になった
『豊後森機関庫』にあった時代のものですね。
キハ07形は1935年に65両が製造され、
ガソリンで動くモデルとして登場した『キハ42000形』と、
1937年にディーゼル機関で動く派生モデルとして登場した
『キハ42500形』の2種類があったりします。
このうち、『キハ07形』となったモデルは
戦後まで残存していた車両をガソリンからディーゼル機関に
再換装して再生改造を行った戦前からの生き残りグループと
それらに準じて戦後に追加されたグループで構成されています。
千鶴「戦前から残ったのを改造したのと、戦後になって追加されたのがキハ07形というのですわね」
風花「キハ07形って、その経緯とかが複雑な感じですね」
局長「終戦後の鉄道って、案外そういうのが多い気がするな。ちなみに、戦後の輸送量の急増と燃料統制に伴うガソリン配給量の半減があった際には、ガソリンでもディーゼルでも無くてガスで動くのも作られたりしたんだ」
ジュリア「ガスで動く車両って、そんな昔からあったのかよ!?」
局長「木炭で動くクルマが作られたぐらいだからな。ちなみに、ガスで動く個体は『キハ42200形』という名前だった。ガスで動くように改造されたキハ42200形は、沿線で天然ガスが多く採れ、戦時中からガスで動く車両の運行事例などがあった千葉県で積極的に採用され、後に天然ガスが採れた新潟県にも多く採用されたんだ」
まつり「そうなのですね。でも、ガスを使う車両ってちょっと不安なのです」
局長「というと?」
まつり「万が一、脱線したりして爆発したら怖いのです」
局長「そうだなぁ。爆発の危険性はガスを使う車両においてデメリットの1つだった。他にもパワーはガソリン車より低いのに燃料価格はガソリンより天然ガスの方が割高でコスパに見合わないこと、ガス充填に時間が掛かった事、機関が老朽化していたという面でデメリットは色々あったが、それでもガスを使った個体はしばらく活躍したんだ」
ジュリア「そうなのか。でも、そんなにデメリットがあるのに、なんでガスを使う列車がしばらく活躍したんだ?」
局長「列車混雑に悩まされていた沿線利用者からガスを使った列車による高頻度運転が好評だったんだ。それに、天然ガス自体は地元で採掘していたから安定供給が出来たからなんだ」
ジュリア「そういう事があって、ガスを使った列車がしばらく活躍できたって事なんだな」
局長「そういう事になる。しかし、1952年には燃料統制が終了した事で安価な軽油が容易に入手できるようになり、ガスで走れた個体はディーゼル機関に換装したことで、ガスで走れた個体は事実上消滅する事となったわけだな」
運転席をパチリと、色々と反射して見えにくいですね。
このキハ07形の最大の特徴はシフトレバーで変速し、
その際にクラッチペダルを使って発車・停車・ギア切り替え時の
動力継続を行うという自動車で言えばマニュアル車と同じような
操作をしなければならないという部分があったりします。
風花「まるでマニュアルの車みたいですね。すごく操作とか難しそう・・・」
局長「このキハ07形、基本的に1両編成での運転が前提だ。しかし、都市部に投入されたりもしたので、多くの客が乗ってくることもあった。そこで、キハ07形同士を連結して運行していたりもしたんだ」
ジュリア「ちょっと待てよ、1両で運転するのが前提なんだよな?それを連結して運転って出来るのかよ?」
局長「出来たんだが、これをするとかなり操縦が難しくなるんだ」
ジュリア「というと?」
局長「2両編成の場合、まず各車両に運転士が乗り込むだろ。そんでもって、汽笛やブザーの合図と共にそれぞれの運転士が息ピッタリに動かすんよ」
風花「それって、1両目と2両目にそれぞれ乗り込んだ運転士が、同じタイミングで発進させたり、減速したりっていうのをやっていたって事ですよね・・・?」
局長「そういう事になる」
ジュリア「そんなのって・・・はぁ、信じられない話だよな」
局長「ちなみに2両編成で職人芸、3両編成だと神業と崇められたほどなんだ」
ジュリア「なんか、ヤベー列車なんだな・・・これって」
風花「列車の中身もそうだけど、運転士も相当すごい人たちが乗っていたんですね」
局長「まさに、頭が下がるよな・・・」
ちなみに、九州鉄道記念館に展示されているキハ07形は
戦前生まれの気動車という点で高く評価されており
2022年3月には国の重要文化財に指定されました。
局長「こんな見た目のキハ07形だが、実は本気出したら俊足なのは案外知られていない」
まつり「そうなのです?見た目から、のどかな田舎をゆっくりと走っていそうな電車みたいなのです」
局長「そう見えるだろ?1935年の7月15日・16日に東京~静岡間で高速試験運転が行われ、沼津~静岡間でガソリン機関を搭載したキハ42000形とキハ42003形が当時としてはめちゃ速の時速108kmをマークしたんだ。なお、東京駅を出発する際に特急の『燕』を先に行かせたんだが、小田原駅付近でその『燕』に追いついてしまったんだ」
千鶴「特急にこれで追いつくなんて普通じゃありませんわ。恐ろしい電車なのですわね・・・」
局長「ちなみに、後にガスタービンを搭載して魔改造されたのもいるんだが、これについては個々で調べてみてほしい。国鉄キハ07形というのを人で例えるなら、『普段優しい人だけど、怒らせたら怖い』っていうのを地で行くタイプだな」
というわけで、ここまで。ではでは