とりあえず、こんばんわ。局長です。

GWは終わっちゃいましたが、局長は人生で初めて

GWに3日ほど休み取って旅をしていました・・・

これに関する記事は、気長にお待ちくださいませ( ˘ω˘ )

 

というわけで、前回の続きでも。

門司港駅を探訪した局長、駅前へ出るとバナナの叩き売りの

記念碑が置かれていて思わずパチリとしたり。

ちなみに、北九州市がバナナの叩き売り発祥の地というのは

この旅をするちょっと前に知った事だったり・・・。

てなわけで、次なる目的地へと向かって行く局長。

その目的地とは、局長が前から行ってみたい場所であった・・・

 

前から行ってみたかった場所、それは『九州鉄道記念館』。

大宮のてっぱく、名古屋のリニア鉄道館、京都鉄道博物館と比べ、

規模が小さいので物足りなさはあるかもしれませんが

それでも九州の鉄道を知るには素晴らしい博物館であります。

 

局長「というわけで、九州鉄道記念館に到着だ」

星梨花「ここが、局長が行きたいって言ってたところなんですね」

局長「せや。九州にも鉄道博物館があるというのを知ってな、大宮や京都の鉄道博物館へ行った者としては一度行ってみたかったんだよな」

育「そうなんだ。さっそくだけど、入口に電車が3つ並んでるね」

局長「あの3両に関しては、後で説明するとしよう」

 

入口をさらにパチリと、九州鉄道記念館は2003年に開館し、

すぐ近くに門司港駅があったりすることから

鉄分を多く摂取できる博物館でもあったりします。

 

その規模は、先ほど書いたように日本三大鉄道博物館である

『大宮の鉄道博物館』、『名古屋のリニア鉄道館』、

『京都の京都鉄道博物館』よりも小さい感じであり

関東各地にある私鉄の博物館よりかは大きいという感じですかね。

しかし、九州の鉄道の歴史を知りたいのであれば

ここへ立ち寄るという選択肢は必ず入れておきましょう。

 

局長「九州の鉄道には、『歴史』があって『浪漫』がある。その歴史と浪漫を知るには、ここを欠かすことは出来ないぞ」

星梨花「そうなんですね!ところで、九州の鉄道にはどんな浪漫があるんですか?」

局長「それは、九州の鉄道で旅した者にしかわからない部分があるかもな」

桃子「お兄ちゃん・・・レンタカーで走ってるよね?」

局長「うっ・・・それはそれ!これはこれだろ!それに、九州の鉄道車両については、次回以降にさらに紹介するから待ってるべし!そんなわけで、九州鉄道記念館を巡る旅に・・・ヒア・ウィー・GO!」

 

フェンスの先に九州を走った鉄道車両が見えますね。

てなわけでパチリと、左から順に485系レッドエクスプレス、

ED76電気機関車、EF30電気機関車が展示されています。

1両丸ごと展示、ではなくて先頭部分をさらにカットした

前頭部展示という形で並んでいるのが特徴です。

 

環「左にある電車、レッドエクスプレスっていうんだね!すっごくカッコいい名前だね!」

局長「レッドエクスプレスは、JR九州のコーポレートカラーである赤色に塗装され、それがキッカケで『レッドエクスプレス』という愛称が付いたんだ」

恵美「っていうか、JR九州のイメージカラーって赤色だったんだね。初めて知ったよ」

局長「レッドエクスプレスは、鉄道のデザイナーとしても有名な水戸岡鋭治が手掛けており、『かもめ』、『みどり』、『レッドエクスプレス』などに採用されている。『みどり』っていう名前なのに、赤色の特急で来るのはちょっと驚くと思うがな」

恵美「確かに、みどりって名前なのに赤色の特急ってちょっとおかしいね」

局長「ちなみに、緑色一色の特急電車も存在していて、その車両は『きりしま』として運用されていたみたいだな」

環「そうなのか~!おやぶん、電車の話になると目がかがやいてるね!」

局長「局長の得意分野だかんね!」

 

ちなみに、レッドエクスプレス自体は2012年に

後継の783系、787系に置き換えられて消滅しています。

 

恵美「それはそうと、一番右側の電車って真ん中にあるのと違って銀色一色だよね。なんであんな色になってるの?」

局長「良い質問だな。関門トンネルの事を前に話したと思うんだが、その関門トンネルは漏水が多かったんだ。普通のトンネルで漏水となると、落ちてくる水は地下水といった普通の淡水なんだが、関門トンネルは海底トンネルだ。そこから漏水となると、落ちてくる水といえば・・・?」

恵美「それって、海水だよね」

局長「その通り、海水だな。海水には塩分が含まれており、海の近くに物とかおいてあると塩でサビるって」

環「それ、たまきも聞いたことあるぞ~!」

局長「そこで、先に登場したEF10にて装備して防錆対策に効果を上げていた『ステンレス』を採用したんだ。そんでもって、他の部分にも防錆効果として黄銅などを装着したんだ」

環「じゃあ、いちばん右側にある電車が銀色なのは、さびないためってこと?」

局長「そういう事になる。外部塗装は省略されており、現在においても関門トンネルを通過する貨物列車を牽引する現役のEF81にもステンレスを採用していたりするんだ」

恵美・環「「へぇ~・・・」」

 

ちなみに、EF30は世界初の量産型交直流電気機関車でもあります。

これは、下関~門司の区間は直流と交流で違っているからであり

それに対応した電車が必要とされていたからですね。

防錆のためで作られたEF30なのですが

普通では見かけないような銀一色という色合いを見て

外国の電気機関車みたくてカッコいいと思うのは局長だけですかね。

 

昔の門司駅(現・門司港駅)の駅看板と線路をパチリと。

かつての門司駅を再現した駅看板がちょこんと残され、

そんでもって線路と旧0哩標が残されたりしています。

ちなみに、これはあくまで再現されたものであるため

この場所に門司駅があった・・・というわけではありません。

 

前の記事で紹介した『旧0哩標』というのをパチリと。

九州鉄道が門司に駅を開設した際に設置されましたが、

門司駅が現在の門司港駅のある場所へ移転した際に

跡形が無くなったわけですが・・・

その後、鉄道百年を記念して標識が埋められたとか。

 

画像真ん中にある三角形のものは、九州鉄道記念館が開館するにあたり

立体的に再現されたレプリカとなっているようです。

 

旧0哩標が展示されている場所からパチリと。

この線路を見ると、ここから九州の鉄道が始まったんだなというのを

ちょいと感じることが出来ますね。なんというか・・・ロマンですな。

 

桃子「そうかなぁ・・・桃子には普通の線路にしか見えないけど」

百合子「でも、ここから九州の鉄道の歴史が始まったんだよね。局長が浪漫を感じるとか、そういうのは私もちょっとだけ分かるかも」

局長「まぁ、普通に電車に乗っていると気が付かないかもな」

恵美「そうだよねぇ。局長に力説されるまで、こういうのって実感しにくいかもだし」

局長「せやから、学校教育で自動車を学ぶ機会があるなれば、鉄道を学ぶ機会も増やすと良いと思うんよ」

恵美「あはは・・・それは無理なんじゃない?」

局長「これだから日教組はダメだって言われるんだよな。そいじゃ、次ICOCA」

 

野外展示がある車両展示場へと入っていく局長。

画像右手には9600形蒸気機関車が迎えてくれます。

そんでもって、中央ゲートにてチケットを買う事に・・・。

チケット料金は大人300円、他の鉄道博物館に比べれば

かなり格安な部類に入るかと思います。

 

とりあえず、この中央ゲートにてチケットを購入します。

ちなみに余談ですが、右側に見えるバリケードのイラストは

西九州新幹線じゃなくて九州新幹線の800系ですね。

てなわけで、チケットを買ったらいざ入っていきましょー。

 

先ほど紹介した9600形蒸気機関車をパチリと1枚。

見た目はD51やC62といったのと似てますが、

やや細身だよなって局長的には思いますね。

 

9600形は1913年~1926年まで製造されており、

日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用の

テンダー式蒸気機関車として知る人ぞ知る名列車ですかね。

四国地方以外の全国各地を走り回っており

国鉄においても最後まで稼働した車両でもありました。

 

局長「製造当初は東海道本線といった大動脈に投入されていたが、D50やD51といったより性能が高くて力強い蒸気機関車が登場すると、その活躍の場を追われて全国各地の亜幹線や支線と言った脇役で活躍するようになる。しかし、出力の割に軸重が軽くて運用線区を選ばなかったことで、日中戦争の時には陸軍の要請で標準軌仕様に改造されて中国へ輸出されたんだ」

紬「そんな事があったんですね」

百合子「D51の登場で脇役に追いやられたのに、今度は中国で走るとかちょっと波乱万丈ですよね」

局長「そうなんだよな。戦後になると北海道や九州での石炭輸送、米坂線や宮津線といった貨物輸送や急こう配区間がある場所やら路盤が弱い路線で使われるようになった。クルマで例えるなら、悪路を走る4WD車だと思えば良いぞ」

紬「そうなんですね。でも、性能が高い蒸気機関車は既に登場していたのに、なぜ9600形を使い続けたのですか?」

局長「使い勝手の良さ、レールへの粘着力、蒸気機関車自体の牽引力の高さにおいて、9600形を越える新たな蒸気機関車が中々開発されなかったというのがあるからなんだ」

紬「なるほど・・・。9600形より後に登場した蒸気機関車は、どれも性能面で9600形を越えられなかったというわけですね」

局長「そういう事になる。ちなみに、9600形でも空転して登り切れない勾配区間に対しては、兄弟機の8620形が活躍していたりしてたがな」

百合子「性能が高い9600形に、9600形でも無理な上りに対処できる8620形が兄弟機って、まるでダブルエースみたいですね」

局長「そうなんだよな。D51とかC62とかの活躍で影に隠れがちだが、9600形はかなりすごい蒸気機関車みたいだぞ」

 

9600形こと『59634』の案内板をパチリと1枚。

元々は米坂線で使われていた蒸気機関車でしたが

1974年に後藤寺機関区に転属して筑豊地区で1年程活躍し

廃車後に小倉工場でひっそりと眠っていたそうです。

 

杏奈「米坂線・・・って・・・どこ・・・?」

局長「山形県米沢市にある米沢駅から新潟県村上市にある坂町駅を結ぶ路線だな。2022年の豪雨で坂町駅~今泉駅までの区間が修復できていなようだがな」

杏奈「そう・・・なんだね・・・」

のり子「山形って言ったら東北の方だよね。なるほどねぇ、東北から来た蒸気機関車ってわけなんだ」

局長「そういう事となる」

のり子「ん?それはそうと、この数字・・・『ごくろうさんよ』って読めるね!」

杏奈「あっ・・・本当だ・・・ごくろうさんよって・・・なってる・・・」

局長「59634っていう番号かつ、東北からやってきたというわけでファンからは『ご苦労さんよ』で愛されたみたいだな。1年ちょっとしか活躍はしてないが、北九州エリア最後の蒸気機関車となったみたいだな」

杏奈・のり子「「へぇ~・・・」」

 

続いてはC59形蒸気機関車をパチリと1枚。

手入れが良いのか、テカった感じの黒色となっています。

このC59形蒸気機関車は1941年に登場し、

1947年まで製造されていました。

 

ちなみに、展示されているのは戦前タイプのものですが

C59形蒸気機関車は幹線の電化に伴って多くが解体されており、

現存しているのは九州鉄道記念館のC59を含めて

全国では4両しか残っていなかったりします。

しかも、うち1両は動輪と煙室戸しか残ってないため

完全な形となると全国では3両しか残っていません。

 

志保「全国で3両しかないうちの1つなんですね。とっても貴重な展示ですね」

局長「ここ以外だと、京都市にある京都鉄道博物館、広島市にある広島市こども文化科学館に残っているようだな」

美也「なるほど~」

局長「ちなみに、展示されている個体はここのを含め、全て動態保存では無いので動かすことは出来ないぞ」

 

説明板をパチリと、東海道本線や山陽本線の主力機関車として登場し、

寝台特急の『あさかぜ』を牽引したりしていました。

後に熊本初の特急こと『みずほ』を牽引した事もあるとか・・・

しかし、熊本県内の鉄道の電化が完了すると活躍の機会を失い、

小倉工場でひっそりと過ごしていました・・・

 

てなわけでパチリと、C59蒸気機関車が引退した後は

小倉工場でひっそりと眠っていたようですが

後にC59形準鉄道記念物に認定されます。

そして、九州鉄道記念館開館時に小倉工場から

この博物館へ移設され、今に至る・・・というわけですね。

 

というわけで、ここまで。ではでは