とりあえず、こんばんわ。局長です。

今年は局長にとって支出が多すぎる年なんですかね。

あと、更新頻度が下がっているんですけど

今の所局長はまだ生きてます(;^ω^)

 

というわけで、前回の続きでも。

門司港駅を散策して来た局長、門司港駅に使われていた部材や

みかど食堂が残した昔の展示品などを見て行ったわけですが

駅を復原するにあたってこんなのがザクザク出てきたりすると

昔の門司港駅ってこうやったんやろなァ・・・

っていうのを想像するだけで楽しくなるかもな展示ばかりでしたね。

それはそうと、撮影中にカメラのバッテリーが怪しくなったので

門司港駅のスタバで充電しようと思ったらソケット無いという・・・

てなわけで、バッテリーの残量が怪しいながらも局長は

門司港駅を出て次なる目的地へと向かって行くのであった・・・。

 

門司港駅を出た局長、広場前はすごく開放感があって

局長的には良い風景だよな~・・・って思いましたね。

ちなみに、昭和の頃はこの広場だった場所が

かつてはタクシーやバス乗り場だったりしたので

これはこれで違った景色だったのは言うまでもないですが

局長は今の門司港駅の広場の方が好きですね。

 

その門司港駅の広場に、ひっそりとある記念碑をパチリと。

門司港駅ばかり見てると、これを見逃すかもですね。

『バナナの叩き売り発祥の地』という記念碑を。

実は、バナナの叩き売りは門司が発祥の地となっています。

 

紗代子「バナナの叩き売りって、門司が発祥だったんですね。でも、なんで門司がバナナの叩き売りの発祥の地なんですか?」

局長「それは、バナナが日本に入ってきた時の話から遡る」

翼「バナナってクレープの中身に入っていると美味しいですよね~。そのバナナって、日本にはいつ入ってきたんですかぁ?」

局長「日清戦争の後に台湾が日本の植民地になったというのは学校の授業で習うと思うが、その日清戦争から8年後の1903年に台湾の基隆という街にあった大阪商船会社基隆支店で働いていた都島金次郎が、神戸港に400gのバナナを持ち込んだのが最初だと言われているんだ」

翼「今が2024年だから・・・バナナって100年以上前に日本へ来たって事なんですか?!」

局長「そういう事になるぞ。ちなみに、台湾から神戸港へ持ち込まれたバナナはその後、大量に荷揚げされる事で価値が下がり、庶民が気軽に購入できるフルーツとなった。そして、地理的に台湾に近い門司港はバナナの流通拠点として大量に荷揚げされる場所となったんだ」

紗代子「そうなんですね。初めて知りました」

琴葉「でも、それがバナナの叩き売りとどう繋がるんですか?」

局長「それはだなん」

 

ここで、門司港がなぜバナナの叩き売り発祥の地になったのか・・・

というのをちょいと書いていきますね。

 

台湾から日本へ輸出されるバナナというのは青いままであり、

日本に着いてから問屋の地下室で熟す必要がありました。

そして、問屋の地下室で食べ頃まで熟してから

日本各地へと配達される仕組みでありました。

 

しかし、中には台湾から日本へ船で輸送中に

バナナの熟成が進みきってしまったり傷がついたりして

商品価値が落ちたバナナが出てきたりしたのです。

当時は保存技術が無かったことにより、

そのバナナは廃棄されるのが普通でした。

 

局長「そこで、熟成が進みすぎたバナナや傷ついたバナナは、廃棄する前に換金してしまおう!って事で始まったのが『バナナの叩き売り』ってわけだ」

琴葉「それって、今でいう訳あり品を安く売るようなものですよね」

局長「そういう事になるぞ」

翼「そのバナナって、どれくらいの値段で売られてたんですか?」

局長「1913年頃には、夜店でだいたい100匁、375gぐらいのが1銭~5銭で安売りされていたんだ。大体数十円か数百円ぐらいなんじゃないかねぇ」

翼「なるほど~」

局長「ちなみに、物流の発達などによって本来の目的でのバナナの叩き売りをする必要性が無くなり、そして廃れていった。しかし、現在においては『門司港バナナの叩き売り連合会』が発足して、バナナの叩き売りは伝統文化として継承されていく事となる」

紗代子「かつてはバナナの安売りだったのに、それが伝統文化として認められたんって事なんですね」

局長「そういう事になるかな」

 

『バナナの叩き売り』の発祥由来の記をパチリと1枚。

この頃の門司港駅周辺は九州の玄関口として発展していた事から

夜店でのバナナの叩き売りは、屋台の縁日みたく活況だったのかと

この文を読んでいて思いましたね。なるほどなと・・・。

 

翼「ところで、バナナの叩き売りってどんな感じでやってたんですか?」

局長「色々あるんだが、『さぁ買った、さぁ買った!、色よし・味よし・器量よし!』って言って、その後高い値段から徐々に下げていくパターンが多いな」

翼「高い値段から徐々に下げていくって、オークションの逆バージョンみたいで面白いですね」

局長「客が『高い!』とか『まだ高い!』と言って段々値下げしていくんだ。それと、口上次第では高値で買うケースもあるから、バナナの叩き売りをする人は基本的に口上手かつ大道芸人的要素が求められるそうだな」

紗代子「それって、前に局長が教えてくれた大阪の漫才のルーツとよく似てますよね」

局長「人を惹きつけ、そしてバナナを買わせるという部分は、ジャンルは違えど、三味線や太鼓鳴らして客の足を止めてから枕話をして、そして漫才を見てもらうという上方漫才のルーツによく似てるし、今で言えばストリートミュージシャンにも通じる部分があるな」

琴葉「そうなんですね。ところで、これって調べてみるとたまにやってるみたいなんですね」

局長「そうなんよ。今でこそその口上とかは違うかもだが、もしバナナの叩き売りがどんな物か味わいたければ、土日とかに門司エリアへ行くと連合会などがやっている『バナナの叩き売り』の実演が見れるぞ。そうでない日は、『関門海峡ミュージアム』に行くと『門司港バナナ資料室』があるから、そこへ行ってみると良いかもな。さて、次ICOCA」

 

撮影当時は秋でした・・・更新ペースが亀ですからねぇ。

それはともかく、門司港駅をあらためてパチリと1枚。

レトロな駅舎は、東京駅と同じくとても風格があり

そして時代を感じさせてくれるよなって思いますね・・・。

てなわけで、次の目的地へと向けて出発なのです。

 

その次の目的地とは、左手に答えが見えていますね・・・

そう、次なる目的地は『九州鉄道記念館』だったりします。

局長が前から行ってみたい、と思っていた博物館であり

今回の九州初上陸の旅において北九州編のメインディッシュです。

 

瑞希「そういえば、前の記事でも行くって書いてありましたね」

エレナ「ねーねー、その『九州鉄道記念館』は電車の博物館なんだよネ?どんなのが展示されているノ?」

局長「色々あるが、九州でしか見られない車両とかも見れるからな。まぁ、これについては着いてからのお楽しみってこった」

 

その道中には、九州の鉄道の歴史の1ページとも出会えます。

てなわけで、『旧三井物産門司支店』をパチリと1枚。

シャッターが閉まっているので廃ビルのような印象を受けますが、

実は『日本遺産』に登録されるほどすごいビルだったりします。

 

瑞希「ところで、旧三井物産門司支店と言いましたよね?」

局長「そうだな」

エレナ「でも、入口の所には『JR』って書いてあるヨ?」

局長「三井と言えば三菱とか住友といった所謂『財閥』として有名な企業でもあるが、第二次世界大戦後の財閥解体で三井物産はこのビルの所有権を当時の国鉄に売却したんだ。そんでもって、門司鉄道管理局や九州総局が入った事で、国鉄のビルになったんよ」

瑞希「そんな事があったんですね・・・めもめも」

局長「その後、国鉄分割民営化でJRになってからは、JR九州北九州本社として使われたんだ」

エレナ「JR九州北九州って、すごく言いにくい名前だネ・・・」

局長「ちょっと噛んじゃうよな。でも、この頃のJR九州は福岡と北九州に本社を2つ持っていたんだ」

エレナ「本社って普通は1つだよネ?リツコがそう言ってたヨ?」

局長「2本社体制って言うのを取ったからな、登記上は福岡が本社なんだけど北九州にも本社を置きますよーって話でこんな事になったらしい」

エレナ「フーン・・・キョクチョーの話は難しいネー」

局長「なので、小難しいことはさておき、このビルはJR九州北九州本社として使われたけど、2001年に福岡に本社を統合する事が決まったんだ。これによって、このビルは取り壊される事になったんだ」

瑞希「そうだったんですか?元々壊される予定だったなんて・・・」

局長「取り壊されるという話を受け、北九州市は近代建築なこのビルを門司港レトロ地区に残しておきたい、というわけで協議を重ねた結果、2005年に当ビルと北九州市の市有地を等価交換する形で取得に成功したんだ。これによって、北九州市がこのビルを保有する事になったみたいだな」

 

ビルの外観はシンプルかつモダンな感じがしますね。

こういうビルを見てると、昭和後期のドラマに出てきそうな

古い感じの通路や部屋などがありそうだなって思いますね。

 

局長「このビル自体は、アメリカで建築を学んだ松田軍平が設計して清水組が施工し、1937年に完成した高層ビルの1つだな」

瑞希「完成から90年以上も残っているなんてすごいぞ・・・」

エレナ「じゃあ、おじいちゃんみたいなビルなんだネ」

局長「長い歴史を持っているビルってわけだな。アメリカで建築を学んだことから、松田軍平が設計したビルは『アメリカ式高層オフィスビル』となったんだ」

エレナ「通りでアメリカっぽいんだネ!」

局長「今のぜってーノリかなんかで言うたやろ・・・まぁ、それはともかく、このビルが完成した当時は九州一の高層ビルとして注目を集めたんだ」

瑞希「90年以上前は高層ビルとかも無かったでしょうから、こういうのが建つのは珍しかったんですね・・・」

局長「そういうこっちゃ。ちなみに、これは偶然の話なんだが・・・」

エレナ「偶然の話?」

 

撮影当時、囲いに覆われていた『旧門司三井倶楽部』。

この旧門司三井倶楽部は、元あった場所からここへ移転され

そんでもって『旧三井物産門司支店』の目の前にあります。

これ、撮影当時は全く知らなかった話なんですが・・・

 

旧門司三井倶楽部の設計者は『松田昌平』であり、

先ほど紹介した旧三井物産門司支店の設計者は『松田軍平』、

実はこの2人、兄弟だったりします。

ちなみに、松田昌平が兄で松田軍平が弟となります。

 

瑞希「なんと、兄が設計したのと弟が設計したのが道路を挟んで対面しているなんて・・・すっごくエモいぞ」

エレナ「まさに、夢の共演って感じだネ!」

局長「これについては、編集段階で初めて知ったんよ・・・。まさか、弟が設計した旧三井物産門司支店の目の前にある旧三井物産門司支店が、兄が設計したものだったなんてな」

 

旧門司三井倶楽部が移築した事によって生み出されたエモい景色。

松田昌平・軍平が設計した建物同士が道路を挟んで

対面するその姿は、当ブログなどで事前予習をしておいて

一度見に行けば『すげぇ・・・』ってなる事間違いなしです。

 

門司港レトロ観光線の線路をまたしてもパチリと。

撮影当日は、レトロ観光線の列車は見かけませんでした。

しかし、門司のド真ん中に単線というのを見ると

沼津の蛇松緑道もこんな風にならんかったのかな・・・

っていう風に思っちゃうんですよね。

 

もし、蛇松緑道が緑道としてでなく鉄道として

門司港レトロ観光線みたいなのが運行できていれば

沼津の新たなる観光スポットになったでしょうに・・・

 

そこから歩くことしばし、北九州銀行門司支店をパチリと。

ただの支店とは思えないほどの洋風建築な建物であり、

そんでもって、ここに初代門司駅がありました。

 

局長「門司駅が現在の門司港駅のある場所へと移転してしばし、この場所に『横浜正金銀行』の門司支店が建ったんだ」

朋花「では、この建物は元々『横浜正金銀行』のものだったんですね~」

局長「そういう事になるな」

歩「なんか、こういうのってギリシャとかで見かけそうな感じだよな」

局長「設計者の桜井小太郎が手掛けていてな、その際に桜井小太郎が得意とする古典主義建築のモチーフが取り入れられたからなんだ」

歩「そ、そうなのか・・・。へぇ~・・・」

杏奈「ところで・・・横浜正金銀行って・・・どんな銀行だった・・・の?」

局長「横浜正金銀行は外国為替の取り扱いを専門としていた銀行だな。現在の三菱UFJ銀行のルーツとなる銀行なんだ」

杏奈「そうなんだ・・・外国のお金とかを・・・取り扱ってたんだね・・・」

昴「でもよ、なんで門司にそんな外国のお金を取り扱うような銀行が出来たんだ?」

局長「それはな、門司がかつて九州の金融の中心地だったからなんだ。明治中期から昭和初期にかけて日本銀行をはじめ、政府系金融機関や都市銀行、地方銀行、貯蓄銀行が次々と門司に支店を開設して行ったんだ」

昴「そうなのか~。っていうか、昔の門司ってすごい街だったんだな」

杏奈「ゲームでも・・・そんな街・・・あるよね・・・」

局長「そんなこんなで、門司には銀行の支店が多数置かれるようになったんだ」

朋花「それで、門司には外国為替専門の銀行の支店も来たという事なんですね~」

局長「そういう事だ。しかし、この当時って銀行の支店は少なかったんだ。それでも、多くの銀行が門司に支店を置いた事には、昴だけじゃなくて他の『都会でもねーのになんで門司に置くんだよ!』ってホザくような人ですら不思議に思う部分があるかもしれん」

歩「そういえば、なんで門司に支店を置いたのか不思議だよな。広島とか他にあったじゃんって思うけど・・・」

局長「実はな・・・これには深い訳があるんだ」

 

北九州銀行門司支店の建物は古典主義建築というわけで、

そういう感じの邸宅とかをイメージできる感じですかね。

しかし、上にある看板がとにかく浮きますね。

 

局長「それはさておき、昔の門司になぜ銀行の支店が多数置かれたのか・・・という話の続きだな。まず、日本銀行の支店が大阪に次いで下関に開設し、そして門司に移転した事が理由の1つなんだ」

歩「えっ?下関から門司に日本銀行の支店が移転しただけで、銀行の支店が集まる理由になるのか?」

局長「というのも、この当時の三井銀行、住友銀行、第一銀行、安田銀行などの都市銀行は日本銀行の信用に大きく依存していたんだ」

朋花「つまり、日本銀行がある場所は安全であるか大きく発展しているか、そういう部分があるから多くの銀行が支店を置いたって事ですよね~」

局長「さすが朋花、よく分かってるな。そういうわけで、日本銀行の支店が置かれた事で、多くの都市銀行が門司や対岸の下関に支店を置いたんだ」

歩「じゃあ、門司は日本銀行に信頼された街って事なのか・・・」

局長「そういう事でもあるな。次に、関門地域が石炭輸送の重要拠点であり、中国や朝鮮、その他大陸と日本が繋がっており、そして本州と九州の物資輸送の要でもあったからなんだ。これにより、大小の石炭商をはじめとする多くの商社や貿易関係業者が門司に集中したんだ」

杏奈「それって・・・まるで・・・武器とかそういうので発達した・・・街みたいだね・・・」

局長「ゲームとかに出てきそうな街だよな。そういう商社や貿易関係業者などが様々な金融機関から資金を調達しながら発展し、商業活動を発達させていったんだ」

昴「そうなのか~!なんか門司って聞いてるとすっげ―街だなって思うよ!」

局長「そして、官営八幡製鐵所が完成した事で北九州地域は凄まじく発展していき、その際に資金需要が高まったりしたんだ。そんでもって、活用されていない資金が福岡県内のみならず佐賀、大分、山口、広島などの周辺都市から門司に集まるようになり、その資金が盆や暮れになると各地に資金が供給されたって話もあるな。まぁ要は・・・カネが回る街でもあったってわけだな」

歩「そ、そうなのか・・・門司ってお金のイメージとか全く無いから、局長からそれを聞いたときは驚いたよ」

局長「お金のイメージっていうと、貸した金返せよでお馴染みの大阪とかだもんなぁ。でも、門司にそういう歴史があった事を忘れてはならぬぞ」

 

というわけで、ここまで。ではでは