とりあえず、こんばんわ。局長です。
北陸新幹線が敦賀まで延伸した事は喜ばしい事なんですが、
何というか衰退するだのネガティブに思うアホ共が多いことで。
まぁ・・・鉄道好きの最大の敵は北陸新幹線ともいえるんですかね。
あと、敦賀駅での新幹線⇔在来線の乗り換えが面倒とか言うやつ、
特に関西圏や中京圏の連中のやつらがそう嘆いているけど
おたくらの所の乗り換えの方が相当大変なんじゃねーかなぁ。
というわけで、前回の続きでも。
腹も減ったので、門司港名物焼きカレーを食べに行った局長。
日本郵船の近くにあった『プリンセスピピ』にて
とりあえずは焼きカレーもついてくるセットを頼んだわけでして、
ふぐの唐揚げは人生で初めて食べましたが・・・、
意外とあっさりしていて、白身魚なんやなって思いましたわ。
そんでもって、名物の焼きカレーはチーズが蕩けていて
なんというか・・・美味い!美味い!美味いッ!でした。
てなわけで超絶に美味い焼きカレーを食べて満足な局長は、
九州の鉄道の始まりともいえる門司港駅へ向かう事に・・・。
その、九州の鉄道の始まりの駅である門司港駅を見て行く前に・・・
門司港駅の広場に像があったのでパチリと1枚。
台座には『和布刈る 神の五百段 ぬれてくらし』とあります。
ちなみに、五百段は『いほだん』と読みます。
これは俳人の横山白虹の文学碑の1つでありまして、
和布刈神社で行われる和布刈神事の様子を表した銅像と
それを表現した俳句とのセットになっています。
局長「銅像や俳句にある和布刈神事は、毎年の旧暦元旦で深夜の2時半~4時頃の干潮時に行われる神事だ。松明を頼りに鎌でワカメを刈り取り、それを神前に供えて航海の安全と豊漁を祈願するんだ」
このみ「そうなのね。でも、なんでワカメを神前に供えるのかしら?」
局長「神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、自ら神主となって早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来している。ワカメを神前に供えているのは、そこから来ているみたいだな」
このみ「へぇ~。ワカメを備えるのには歴史的な理由があるのね」
局長「そういうこっちゃ。この祭り、旧暦の正月にやるのは良いんだけど、早朝帯なのでもし見に行きたいときは、その点を気を付けるべしだぞ。てなわけで、次ICOCA」
門司港駅をパチリと1枚、九州最北端の駅にして
九州の鉄道の始まりともいえるのがこの門司港駅。
昔は門司駅でしたが、関門トンネルが開通したりしたことで
その名前が門司駅から門司港駅へと変わったりしています。
美也「門司港駅って、とってもレトロな駅舎ですね~」
局長「ちなみに、初代の駅舎はもうちょっとシンプルなものだったんだ」つ写真
このみ「はぁ~・・・初代の駅舎って今と全然違うわよね」
美也「本当ですね~」
局長「初代の門司駅は現在の場所より東側にあり、今の北九州銀行門司支店の裏手にあったんだ。移転したのは初代門司駅が1891年に開業してから23年後、1914年の話となる」
このみ「そうなのね」
局長「ちなみに、1914年というと東京駅も完成したりしているな」
このみ「そうなの?!門司駅が現在地へ移転したのと、東京駅が出来たのって同じ年なのね・・・」
美也「なるほど~。では、東京駅が出来たのと門司駅がここへ移転したのは、どちらが先だったのでしょうか~?」
局長「東京駅が完成したのは1914年12月20日、門司駅がここへ移転したのは1914年1月15日だから、門司駅がここへ移転した時の方が早いぞ」
美也「そうなんですね~。初めて知りました~」
局長「局長も撮影当時は、この偶然に気が付かなかったぜ・・・」
門司駅のコンコースを外からパチリと。
今どきのデカい駅舎と違い、レトロさがとにかく感じられますね。
左手には昔使われていたであろう窓口が残されていたり、
天井から電灯が吊るされていたりするなど
今の日本の駅では中々見られないヨーロッパチックな
内装だよなーって思ってしまいますね。
百合子「そうですよね!あぁ・・・ロマンを感じるなぁ」
局長「浪漫・・・ねぇ」
百合子「白いスーツを着て帽子を被り、ステッキを持った男の人がハイカラな着物を着た女性と待ち合わせして・・・そして2人はこの門司駅から汽車に乗って九州の地へ旅するんですよ!」
局長「この駅舎の入口でそこまでストーリーが沸くなんてすげーな」
杏奈「百合子さんの・・・得意分野・・・だから・・・」
昴「でもさぁ、こういう駅で着物を着た人とか見ると景色にあってそうだよなーって思っちゃうよな~」
局長「まぁ、確かにそういう点はあるよな。そんなわけで、駅へと入って行くか」
右手に見えるは旧窓口、左手に見えるは今の窓口ですね。
レトロな駅舎ですが、みどりの窓口はちゃんと機能しています。
これで、右側の旧窓口を今も使っているのであれば
局長的には大正ロマンにおける鉄道の歴史を
すごく感じられるよなぁって思いましたね。
局長「それはさておき、門司港駅の前身となる門司駅が出来たのは1891年4月1日。九州鉄道の路線網が東進し、九州鉄道における北側の起点駅として開業したのが始まりなんだ」
昴「へぇ~、九州鉄道の起点駅として作られた駅なのかぁ」
局長「1901年には、関門連絡船が開設された事で本州と九州が船で繋がる形となり、旅客と貨物が門司駅へ集中して賑わう事となる」
杏奈「九州の・・・玄関・・・だったんだね・・・」
局長「そういう事になる。しかし、1911年には現在の門司港駅の1つ手前にある小森江駅にて、貨車の車両航送が開始される事となる。要は船で門司駅へ運んでいた客と貨物のうち、貨物の一部は小森江駅で引き受けるようになった。その結果、門司駅は旅客輸送メインになるわけだな」
杏奈「そう・・・なんだ・・・」
局長「それでも、九州の玄関口としてのポジションは揺るがなかった。そして、1914年に初代門司駅は現在地へと移転したわけだな」
百合子「今ある門司港駅にはそんな歴史があるんですね!」
局長「そういうこった」
大正ロマンの鉄道黎明期の門司駅に想いを馳せながら、
門司港駅の改札方面をパチリと1枚。
ドアのある場所に自動改札が無く、その先に自動改札を置くというのは
局長的には『いい仕事してますねぇ』って思いますね。
局長「1914年に移転して完成した門司駅は、その後も九州の玄関口として機能し続けたが、それが一変する出来事が起こる」
百合子「その出来事って何なんですか?」
局長「それが、1942年に下り線、1944年に上り線が開通した在来線用の『関門トンネル』だ」
百合子「関門トンネルって、局長が新幹線で九州に来るときに通ったトンネルですよね?」
局長「新幹線のは新関門トンネルで別物な。それはさておき、その関門トンネルが出来たことにより、山陽本線の接続点となった大里駅が『門司駅』に改称したんだ。これにより、門司駅は『門司港駅』として名前を変える事となったんだ」
昴「じゃあ、今ある門司港駅は大里駅が門司駅に変えたから門司港駅になったって事なのか」
局長「そういう事になるな」
昴「でもさ、それが九州の玄関口として機能していた門司港駅を一変させる出来事と、どう繋がってくるんだよ?」
局長「大里駅が門司駅と改称し、在来線用の関門トンネルの九州側の最寄り駅になった事で、門司港駅は九州の玄関口としての地位を少し失い、そして戦後には関門連絡船が無くなった事で門司港駅は、九州の玄関口としての地位を完璧に失って行ったんだ」
昴「そんな事があったんだな・・・」
杏奈「うん・・・それにしても局長・・・すごく目が輝いてる・・・」
局長「調べてるし、やっぱこういうのを見てると楽しいかんね!」
門司港駅に来て、プラットホームとかも見てみたいよな・・・
そう思った局長は、目の前に券売機が見えましたので
門司港駅の入場券を買っていく事に・・・。
門司港駅の入場券をパチリと、1枚170円なり。
では、これを使って門司港駅の改札を抜けて入場します。
それにしても、この入場券って集めたくなりますよね。
んで、集めたいと思いつつ自動改札に入れちゃうと・・・
改札を抜けると、スーッと長いホームがお待ちかねです。
木造屋根に柱、国鉄時代を感じさせる『もじこう』の文字、
ペンダントライトが設置されている・・・というのはさておき、
こういう昔ながらのホームってそんなに無いですよね。
国鉄時代の旅情風景というのを感じさせてくれます・・・。
今の駅のホームには無い、ちょっとした温かさがありますね。
麗花「古い感じのホームですけど、こういうのを見てると旅がしたくなっちゃいますね」
局長「せやな。トランク1つでどこか遠くになぁ~」
志保「でも、こういうプラットホームって本当に見かけないですよね」
局長「だからこそ、残しとかなアカン気がするよな」
門司港駅の頭端式ホームにて停車中の電車をパチリと。
この車両は821系であり、2019年から運用されています。
老朽化した415系の置き換えとして登場した821系は、
817系の後継モデルとして位置づけられています。
鹿児島本線や筑豊本線(福北ゆたか線)、豊肥本線といった
路線で活躍しており、九州エリアの通勤電車の顔として馴染んでます。
しかし、都会の垢ぬけた感がある通勤電車と比べると
地方都市のローカル線で走ってそうな電車っぽいですね。
九州で赤色の電車を見ると、ハウステンボスを思い出す局長は
もう立派なオッサンなんでしょーかね(笑)。
てなわけで813系をパチリと、1994年に登場しており
こちらはシンプルで飽きの来ないデザインが良いですね。
局長「とはいっても、この電車のデザインを手掛けたのは有名デザイナーの水戸岡鋭治なんだがな」
志保「水戸岡鋭治って初めて聞いたんですけど、電車のデザイナーなんですか?」
局長「えっ・・・世界の水戸岡を学校で習わんのか・・・っ!」
志保「普通は習わないと思うんですけど・・・」
局長「まぁいいや。水戸岡鋭治は、ドーンデザイン研究所の代表取締役でありJR九州のデザイン顧問、その他様々な顧問などを引き受けている超有名デザイナーだ。特にJR九州の電車や駅をメインに手掛けていて、そのうちのいくつかは世界的な賞を受賞していたりするんだ」
麗花「じゃあ、この電車はすごいデザイナーさんがデザインした車両なんですね。でも、その割には普通って感じがしますね」
局長「言いたいことはなんとなーく分かるが、あの水戸岡鋭治が近郊型の通勤電車のデザインにおいては、これが最初だと言うのは忘れてはならぬぞ」
志保「そうなんですね」
局長「ちなみに、この個体は前面部分がスッキリとして角が取れたような四角形にまとまっているのが特徴なんだが、2007年や2009年に製造された個体には屋根が若干高くなって見た目が変わったモデルが存在する」つ写真
麗花「なんだか、ちょっと変な形になってますね」
局長「麗花が変な形!と言っている813系の12次・13次モデルがどんな見た目なのか、各自調べてくれよな」
志保「また読者に丸投げした・・・」
列車が発車していき、ホームはがらーんとしています。
かつて、ここがまだ九州の玄関口として機能していた頃は
ここに多くの客がいて賑やかだったんだろうなって思うんですが、
今や九州の玄関と言えば門司駅・小倉駅・博多駅ですからねぇ・・・
しかしながら、これだけデカいホームに誰もいないというのは
局長的に思わずパチリとしたくなるんですよね。
なんというか、詩的になれるというか・・・ねぇ。
ここがJR九州の路線における最北端の駅ですよー・・・
って言わんばかりに車止めが置かれていたのでパチリと。
画像左手にあるホームみたいな場所には名所案内の看板や
蒸気機関車の車輪なども展示されています。
局長「ちなみに、後に内閣総理大臣となった佐藤栄作は東大卒業後に鉄道省に就職したんだが、その際に初めて配属されたのが当時の門司駅だったのは知る人ぞ知る話だぞ」
琴葉「かつての総理大臣、佐藤栄作がここで鉄道マンとして働いていたんですね・・・」
局長「門司駅での切符切りから出札、車掌や機関車の制動手まで幅広い事をしていたみたいだな」
千鶴「後に総理大臣になった佐藤栄作が、このような事をしていたのは初めて聞きましたわ。総理大臣になる方は、皆が皆、エリートコースを歩む物だと思っていましたから・・・」
局長「佐藤栄作の場合は出世街道を歩んだ・・・とは言えないぐらい紆余曲折があったからな。戦後の公職追放で上がガラ空きになった影響で、1946年に当時の運輸省鉄道総局長官に就任しているが、これは当時の国鉄で一番偉い役職である国鉄総裁と同ポストってんだから大出世したんだよな」
千鶴「切符切りから国鉄で偉い人と同じポジションにまで出世するなんて、大出世以上にすごすぎますわ!」
琴葉「そうですよね。そして後に総理大臣になるんですから・・・」
局長「その佐藤栄作が、ここで働いていた事を知る人はそんなにいないんだろうなーって思うよ」
停車中の813系を、また別の位置でパチリと1枚。
頭端式ホームって、こうやってパチリと出来るという点で
局長的にはええなーって思ったりしますね。
そういや、門司港駅には車両を留置できるところがありますね。
ズームでパチリと、柱とかでちょいと見えにくいですが
画像真ん中には811系、右手には・・・211系?!
おいおい、JR九州で211系は運用されてないはずじゃ・・・
千鶴「右側の電車を見て、211系ってスラっと言えた局長にも驚きですわ・・・その、211系は九州では走っていないのですか?」
局長「調べても見当たらへんねん。そうなると・・・と思って編集段階で調べていたら、飛んだ魔改造だった事を知ったんだよ」
琴葉「ま、魔改造・・・?」
局長「おう。鉄道の知識がある一般の人がこれを見ると『ええっ!?九州に211系がっ!?』と驚くんだが、実はあそこにいる211系は『415系1500・1600番台』だったりするんだ」
琴葉「415系って、全然違う名前じゃないですか」
局長「種車も全然違う」つ415系の写真
千鶴「あの415系とは、全然似ても似つかないですわね」
局長「一見して、211系と勘違いしてしまうわな」
琴葉「普通になんで顔を変えちゃうんですかね・・・」
局長「さぁーてね。情報が無いから分からんのよ」
211系の顔をした415系、一見すると誰も分かりませんが
鉄オタレベルになると僅かな違いで分かるとか分からんとか。
でも、その前に局長は言いたいことがある。
おまえ、なんで211系の顔になったん?( ゚Д゚)
門司港駅のホームを歩いていくJR九州の女性職員。
女性が鉄道の仕事で活躍する、良い事だと思いますよ。
なんというか、鉄道にある良き光景だなって思ったので
ちょいとパチリとしてみました。
というわけで、ここまで。ではでは