とりあえず、こんばんわ。局長です。

最近流行でクソ動画生成のネタとかしている猫ミームが

早い所廃ってくれるように、お願い猫している今日この頃です。

 

というわけで、前回の続きでも。

九州旅のお供として、レンタカーを借りに行った局長。

車種は『ダイハツ・トール』、予約時に一番小さくて安いやつと

お願いしたら、最近は普通車も来るんですなと・・・。

そんなわけで、レンタカーを借りてナビで目的地を入力し、

カバンから取り出したミリマスのCDを掛けて走る局長、

超ご機嫌な気分で北九州の街を走り始めることに・・・

 

国道199号線、門司赤煉瓦プレイス近くにてパチリと。

海側は緑地かつ遊歩道として整備されており、

そこではおじさん2名が釣りをしていました・・・

対岸に見える下関の街を見ながら釣りをするだなんて、

ちょっと憧れちゃうじゃないですか・・・。

 

このみ「なんかの映画やドラマとかに出てきそうなワンシーンみたいね・・・」

桃子「お兄ちゃん、こういうのに憧れてるの?」

局長「局長は釣り自体、ボーっとするのが嫌で子供の時は嫌ってたんだが、今ではこんな感じで釣りもしたくなるんよな。局長もジジイになったら、釣りでも始めようかねぇ」

桃子「お兄ちゃんが釣り・・・あんまり似合わなさそう」

局長「そうかぁ?」

このみ「局長の場合、釣り人というよりかは不審者に見えるかもね」

桃子「それは言えてるかも」

局長「ちくしょー・・・。しまむらで男を磨くとするかっ!」

 

国道199号線は、小倉駅から東へと抜けていき、

こんな感じで門司地区へと入っていくと海が近い場所を走り、

そんでもって、対岸には山口県下関市が見えるようになります。

なので、局長的には結構テンション上がるにゃーっていう感じで。

 

ほら、隣県が見えるとかテンション上がりませんか!?

それは局長だけ・・・?ですよねー。

 

局長「それはさておき、局長が訪れた北九州市は1963年に門司市、戸畑市、小倉市、若松市、八幡市という5つの市が合併して誕生した大都市であり、1979年に県庁所在地である福岡市に抜かれるまで福岡県内だけでなく、九州・沖縄地方で最多の人口を誇っていたんだ」

このみ「北九州市って、5つの市が合併して出来た街なのね」

局長「その証拠に、北九州市の行政区にはそれぞれ合併した旧市名が入っているのが特徴となっている。なので、北九州市には他の都市の行政区にありがちな、『東西南北』『中』『中央』『港』といった区名は存在しない。」

桃子「そういえば、地図で見るとそうなっているね・・・。お兄ちゃん、そういうところ本当によく見ているよね」

局長「まぁ、これは学校の授業でも習うと思うがな。そんな北九州市が『北九州』として市名になるまでには、ちょっとしたエピソードがあるんだな」

このみ「そうなの?ちょっとしたエピソードって何の話かしら?」

局長「5市合併後、全国では6番目の大都市として誕生する新市への内外諸国へPRするために、1962年に『北九州五市合併協議会』が発足し、新市名を公募する事にしたんだ。公募に際しては、新市名を選定するための諮問委員会を別途設定し、公募された案から10種類を市名候補として順位を付けずに選考する事とし、各市議会に諮ったうえで最終的に合併協議会で決めることにしたんだ」

桃子「へぇ~。でもそれって、得票数1位じゃない名前が選ばれるって事もあるって事?」

局長「そういう事になるな」

このみ「それで、公募にはどんな名前があったの?」

局長「それはだなん」

 

ここで、1963年に北九州市として市名が決まるまでに

公募で選ばれた市名についてこぼれ話でも。

新市名について、全国から公募を募る形となった北九州、

13万7142通の応募から、最終的にこの10種類が選ばれました。

 

1位・西京市(1万2119票)★

2位・北九州市(6649票)★

3位・玄海市(4177票)

4位・洞海市(4076票)

5位・筑豊市(3018票)

6位・西都市(2640票)

7位・北九市(2496票)★

8位・昭和市(2401票)★

9位・筑前市(1442票)

10位・若戸市(1299票)

 

★・・・最終選定に残った名前。

 

桃子「1位は西京っていう名前だったんだね」

局長「この他にも、1964年の東京オリンピックにあやかって『五輪』なんて名前も公募に入っていた程なんだ」

このみ「五輪って名前も入っていたとか、時代を感じさせるわね」

局長「そんなわけで、諮問委員会はこれらの公募で選ばれた市名の他にも『関門市』、『九州市』といった名前も含めて、そこから決めることとしたわけだな」

 

そんでもって、国道199号線はちょいと混んでました。

港町なので、ちょいとトラックが多いような気がしました。

コンテナ運んでるやつとか、鉄骨運んでそうなものとか・・・。

 

局長「それはそうと、北九州市が市名として決まるまでに公募がいくつかあった、という所まで進んだな」

このみ「そうね。しかし、公募っていうと必ず1位が選ばれない事が多いわよね」

局長「必ずしも1位が最適ってわけじゃないからな。そんなわけで、新市名は諮問委員会が厳選したうえで、最終的に得票数1位の『西京市』、2位の『北九州市』、7位の『北九市』、8位の『昭和市』、10位圏外の『九州市』の5つに絞り込み、そこから決めることにしたんだ」

桃子「1位と2位は分かるけど、他の3つは2位より下だよね」

局長「そこはトップ5が良いって思う気持ちも分かるが、新市名にふさわしくないと思ったのもあったんだろうな」

桃子「ふーん・・・」

局長「てなわけでだ、『西京市』、『北九州市』、『北九市』、『昭和市』、『九州市』が出てきたわけだな」

 

てなわけで、北九州市に決まるまでに公募で出てきた都市名のうち

北九市、昭和市、九州市についてどうなったのかというと・・・

 

★7位・北九市★

州を名前から省いた結果、『きたきゅう』と語呂が悪いので却下。

 

★8位・昭和市★

5市合併が昭和初期ならそれでも良かったらしいが、

既に昭和が始まってから37年が経過していたこと、

5市の地名に昭和を冠する名前が多くて紛らわしいのもあり、

さらには当時の市名に元号を入れたものが無かったので却下。

 

※・・・当時、『昭和』と使った村や町は他にありました。

現在は市町村合併が進んで昭和村や昭和町が姿を消し、

現時点では福島県と群馬県にそれぞれ『昭和村』という村があります。

ただ、市名の『昭和』は1文字だけ『昭』を入れた

東京都の『昭島市』がある程度にとどまっています。

 

★10位圏外・九州市★

字数が少なく語呂も良いが、あまりにもシンプルかつ漠然としすぎて

実感が沸いてこないという理由で却下。

 

局長「そんなわけで、最終的に『西京』と『北九州』の2つを選ぶこととなった。その中で、西京市は『東京から西の『みやこ』という意味で、語呂も良い』という部分があり、さらには当時、同名の銘菓もあった事で違和感も無いから、『西京市』と決まりかけていた。しかし、ある長老の一言が『北九州市』へと決まるキッカケを作ったんだ」

このみ「ある一言?」

局長「『天子様がおられた歴史が無いのに、『京』なんて名乗って良いのか』と呟いんだんだよ」

桃子「天子様・・・?」

局長「今でいう『天皇』の事。天皇陛下は東京や京都にいた歴史はあるが、北九州5市には天皇がいた歴史は存在しない。それに、西の京というのは京都が別の愛称として使っている事もあったんだ」

桃子「そっか・・・。北九州に天皇は住んでなかったんだよね」

局長「歴史的に天皇が北九州に住んでなかった事、西や京という文字を使う事に疑問が多かったこと、さらに当時の北九州5市は八幡製鉄所などといった屈指の工業地帯であり、『煤煙だらけの、クッソ汚ねぇ京も無いよな』と自嘲派がいたりした。そこで『得票数2番目』でかつ、『合併前から企業などが使っており』『新たにPRが必要ない』という点で無難な『北九州市』というのが選ばれたわけなんだ」

このみ「北九州市という地名に至るまでに、こんな深い話があったのは知らなかったわ・・・。名前って重要なのが分かるわね」

局長「そういう事だな。おっし、混雑も進み始めたし、次ICOCA」

 

山側の方、『関門製糖』の煙突が見えたのでパチリと1枚。

この手の煙突、工業都市のイメージだよなって思いますね。

現在は『大日本明治製糖』の関連子会社である『関門製糖』は

その名の通り砂糖を生成する知る人ぞ知る企業でありますが、

そのルーツは『鈴木商店・大里製糖所』だったりします。

 

美奈子「あの、鈴木商店ってどんな企業だったんですか?」

局長「鈴木商店はかつて存在した日本の商社でな、樟脳や砂糖の貿易で財を成し、後に鈴木財閥として成長し、1915年の貿易年商額が当時の価値で15億円を記録した大財閥だな。ちなみに、1915年当時の日本の国家予算が7億3500万円ぐらいだから、倍以上を貿易で稼ぐ日本屈指の財閥会社をルーツに持つお砂糖の工場だな」

美奈子「関門製糖って、昔の日本で財閥って呼ばれていた企業が元だったんですね・・・」

局長「そういう事になる。ちなみに、鈴木商店をルーツとするその他の企業としては、『神戸製鋼所』や『帝人』、『IHI』などがある。さらには、現在において外資に吸収された『ジブラルタ生命』のルーツとなる『大正生命保険』も鈴木商店が関わっていたしな」

奈緒「神戸製鋼とか帝人とか、日本で有名な大企業ばっかりやないですか。それで、鈴木商店ってここが発祥なんですか?」

局長「いや、鈴木商店自体は神戸発祥の商社だな。門司へと進出したのには、1889年に門司が国の特別貿易港として指定されたのを機に、門司の大里地区に進出した・・・という話なわけだな」

奈緒「そうなんですねぇ。関門製糖1つでも、こんなすごい歴史があるなんて初めて知りましたよ」

局長「そうなんだよなー・・・」

 

そこからさらに進むと、敦賀や横浜、函館で見かけそうな

赤レンガ倉庫が見えてきたので、これまたパチリと1枚。

港湾エリアに赤レンガ倉庫、お洒落な港町って感じで良いですよね。

 

こちらの倉庫群は『ニッカウヰスキー』の門司工場のものであり、

かつては『大里製粉所』の倉庫でもありました。

ここも、日本にかつて存在した鈴木商店の関連企業の

遺構が残っており、そして日本遺産として登録されています。

 

奈緒「赤レンガ倉庫って、なんかお洒落でええわ~・・・」

美奈子「そうだよね。横浜にも赤レンガ倉庫もあるし・・・でも、これってテレビとかでよく見かける函館の赤レンガ倉庫に近い感じだよね」

局長「見た感じはそうだよな。それはさておき、この倉庫は大里製粉所が倉庫として使っていて、かつては国産の小麦粉が保管されていたそうだ」

美奈子「そうなんですね・・・」

局長「小麦粉自体は、アメリカの近代化された機械製粉工場によって作られた『米利堅粉(メリケン粉)』として幕末の日本にも輸入されていた。しかし、1899年に『関税定率法』が実施された事で、関税が掛かるアメリカ産などの小麦粉より、国産の小麦粉の方が価格面でええやんけって話になって、その後国内で機械製粉業が増えたんだ。そして、鈴木商店もこの地に工場240坪、製品倉庫500坪、原料倉庫2000坪の大規模な製粉会社を作り、1911年に稼働したんだ」

奈緒「色々分からんのもあるけど、この倉庫が小麦粉の倉庫として使われてたっていう歴史はよう分かりましたよ。でも、これが100年以上残ってるなんてすごいなぁ・・・」

局長「ちなみに、最初に作られた倉庫は1915年に火災で焼失してしまってな、現在あるのは1916年に復旧した倉庫なんだ」

奈緒「最初に作られたのは火事で無くなって、今あるのは2代目なんですね。それでも100年以上残ってるとか浪漫ですやん」

局長「そうだよな~。局長はてっきり、名も無き赤レンガ倉庫かと思ってたよ」

美奈子「編集段階で色々知ったんですよね」

局長「そういうこっちゃ」

 

国道199号線をさらに下関方面へと進んでいきます。

左手に見えるのはアサヒビール門司工場だったり。

ちなみに、この位置からだと見えないんですが

ニッカウヰスキーの門司工場も左手にありますよ。

 

なので、アサヒビールやニッカウヰスキーを飲みながら

この街を歩いてみる・・・というのも如何でしょうか。

おっと、クルマを運転する時は飲酒運転になるのでダメっすよ。

 

さらに進むと、対岸の下関市がめっちゃ見える場所へ来ました。

思わずパチリと1枚、すっごくええ景色やなと・・・。

海沿いにある発展した街の景色はどれも美しすぎですな。

多分、夜になると結構良い景色なんだろうなって思います。

局長はこの光景に、『すげぇ』と思ったぐらいなので。

 

未来「わぁ~・・・海の向こうに街が見える~!局長、あの海の向こうに見える高いタワーは何ていうタワーなんですか?」

局長「画像ちょい右手に見えるひと際高い建物だな。あれは『海峡ゆめタワー』といって、高さは153m、展望台の高さは143mもあるんだ。円形状の展望台は日本初だと言われているぞ」

未来「そうなんですね~。お隣の下関の景色が、こんな風に近くに見えるなんて・・・局長、時間ありますか!?」

局長「うーん・・・残念ながら無いんよ。今回の旅は九州メインだしな」

未来「そんなぁ~・・・」

風花「まぁまぁ未来ちゃん、局長もいずれ山口県に行くとか言ってるし、その時まで待ちましょうね」

 

画像の縮尺上、海峡ゆめタワーがメインで見えている感じですが

この画像には他にも『大丸下関店』が左端にチラっと見えるか

見えないかぐらいの所に写っていたり、

さらにその手前には関釜フェリーが停泊していたりと

編集段階で『あっ』と気づかされたものが多いです。

 

さらにしばらく走ると、関門橋も見えてきたのでパチリと。

関門橋は1973年に開通した海上橋でありまして、

下関の壇ノ浦~北九州市の門司区門司を結ぶ橋として

全長1068mもあり、同じく北九州市にあった若戸大橋を凌ぐ

東洋最大の吊り橋として話題となりました。

 

風花「あの橋を渡ると、東側は山口県なんですね・・・。なんか、山口県がすごく近くに感じられる場所ですよね。門司って」

局長「そうだな。隣県が山1つ超えて、じゃなくて街が既に見えているとかでさ、しかも近いんだしな。なんつーか、局長的に門司や下関も悪くないよなって思えるよな」

未来「そうなんですか。じゃあ、今から行ってみましょうよ~!」

局長「無理やて!そんなに詰め込んだら破綻するヤン」

 

そこからさらに走ることしばし、街の感じがグッと変わりましたね。

ここから先は門司区の中心地、いや旧・門司市の中心部へと

一気に入っていく感じですかね。街並みがさっきと違いますもん。

ちなみに、今渡っているこの場所は『清滝高架橋』の区間で

門司港駅へ向かう鹿児島本線の真上を通っています。

 

そして、清滝高架橋を下って行ったその先から・・・

一気に街並みが変わりましたね。レトロで洒落た建物から、

ちょい昔に建てられた感があるビルが共存する街。

レトロな都会に来た、っていう印象がありますね。

 

そして、画像左手に見える煉瓦造りの建物こそが、

局長が今回の九州旅初日のメインで行ってみたいと言っていた

『九州鉄道記念館』の本館だったりしますね。

これについては・・・後日書いていきますね。

 

というわけで、ここまで。ではでは