とりあえず、こんにちわ。局長です。

暖冬と言った気象庁の連中の頭はお花畑なんでしょうか?

北陸地方に白い悪魔こと雪が降ってきているんですよ。

いっそのこと、殺人寒波とかの表現にすると良いかもですよ。

 

というわけで、前回の続きでも。

おりづるタワーを下り、ウォールアートの数々を見た局長。

局長的には『この世界の片隅に』の原作者でもあるこうの史代が、

このウォールアートプロジェクトに参加していたのが驚きでした。

他にも様々なウォールアートを見て行った局長は、

アクティビティなどを含めて1700円(現・2200円)の

入館料はそれなりに妥当かなって思いましたね。

てなわけで、受付のねーちゃんが呼んでくれたタクシーも来たので

局長はそれに乗ってレンタカーを停めた駐車場へ向かう事に。

 

てなわけで、レンタカーを停めた駐車場にたどり着いた局長。

正直、どこに停めたか忘れてしまうという・・・(おい)

 

そんなこんなで、駐車料金は1200円。

ここに停めてから出庫するまで5時間半もいたんですなぁ。

そんでもって、ナビにて最後の目的地をピポパと入力し、

レンタカー旅のお約束であるミリマスのCDをカバンから

ゴソゴソと出した局長、漢は黙ってミリマスなのです(`・ω・´)

 

最後に選んだのはミリマスMS08、これも良曲が揃ってますね。

局長的には北上麗花の『空に手が触れる場所』

島原エレナの『シャクネツのパレード』はノリノリになれるので

是非ともドライブソングとして超推しします!!(゚∀゚)

その一方で、天空橋朋花の『Sister』は・・・

なんとも形容しがたいですが、これもドライブソングとしてグッド。

 

局長「一方の田中琴葉のソロ曲は、ひと眠りしたいときにお勧めしたい。なので、ドライブ中に掛けるとある意味でそのまま眠たくなっt」

琴葉「私の曲は睡眠導入剤とか言いたいんですか?」(#^ω^)

局長「いふぇふぇふぇ・・・」;つД`)

朋花「私のソロ曲が、形容しがたいというのは一体どういうことなのでしょうか~」(#^ω^)

局長「いふぇふぇふぇ・・・」;つД`)

麗花「平和局長さん、琴葉ちゃんと朋花ちゃんの怒りを買っちゃいましたね」

エレナ「もー、ちゃんと説明しないから怒られるんだヨ?」

局長「ぷふぁ、わ、分かっているがな。とりま、天空橋朋花のソロ曲はフラメンコに近い何かなんだよな。情熱的っつーか、熱さを感じるんだよな。琴葉のは・・・あれもうエンディングソングで良いんじゃね?ってぐらい旅のシメにピッタリな気がしてならねぇ・・・」

琴葉「私のだけ、説明になっていない気がするんですが・・・まぁ良いですよ」

局長「いよっしゃ!そんならニジガクのメンバーにパイタッチを」

琴葉「調子に乗らないでくださいね・・・!」(#^ω^)

局長「いふぇふぇふぇ・・・」;つД`)

 

ちなみに、MS08のみ『Brand New Theater!』が

収録されているので、このレンタカー旅のエンディングにも

ピッタリじゃないかなーって思えたりもします。ハイ。

まぁ・・・今回はたまたまMS08が最後になったので

そういう風になる感じになったのですが(;^ω^)

 

てなわけで、いざ駐車場を出発なのです!

 

狭い駐車場を何とか出て、元安川沿いの道を進んでいき、

そして平和大橋東詰までやってきました。パチリと1枚。

ナビの指示によると、ここを左折するとの事です。

 

局長「ヒャッハァァァァァァァ!!にゃんにゃん!!」ヽ(゚∀゚)ノ

麗花「出ました!局長名物、謎の雄たけびっ!!」

琴葉「いつも思うんですが、どこからそんな元気が出るんでしょうか・・・」

朋花「ふふっ、私たちの曲を聞くと自然と出るみたいですね~」

局長「ヒャッハァァァァッ!!いやっほう!!」\(゚∀゚)/

琴葉「局長、私たちの曲でノリノリになるのは良いんですけど、気を付けて運転してくださいね~!!」

局長「ヒィーハァー!!ところで、広島や長崎に落とされて多くの人々の命を奪った原子爆弾、実はその原子爆弾が正しく使われた例があるのって知ってるか?

エレナ「えっ、原爆って正しく使われた事があるノ?あれだけ多くの人たちの命を奪ったのに・・・?」

琴葉「とても信じられないんですが、本当の話なんですか?」

局長「本当だ。1963年、現在のウズベキスタンのブハラ州にあったガス田にてガス漏れが発生し、それが大規模な火災になった時の話だ」

 

広島に行って、原爆を使う愚かさとか学んだにもかかわらず

ここで『原爆が正しく使われた例』では

知る人ぞ知る事例をお話形式+こぼれ話的な感じで書いていきます。

 

1963年、ウズベキスタンのブハラ州南部にあった

ガス田にてガス漏れによる大規模な火災が発生しました。

炎は高さが70mにも達し、毎日1400㎥ものガスを消費しました。

これで数日かかって火を消し止められた、というならまだいいのですが

なんとこの火災は1064日、3年弱もの間火が消えなかったのです。

 

琴葉「3年以上も火が消えなかったって・・・3年も燃えてるって事は、すごい量のガスを消費したって事になりますよね?」

局長「そうだな。3年弱も消火活動は続いたが、火の勢いは衰えることが全くなかったそうだ」

朋花「とても想像がつかない事態になったんですね~」

局長「疲労困憊となっていく消火チーム、『炎が噴き出す場所を火薬で破壊して消し止める』等様々な案が試されるも、どれも効果は全くなかった。その当時、ウズベキスタンはソ連の構成共和国だったので、ソ連が介入する事になるが、そのソ連が1966年に恐るべき作戦を決行する事となるんだ」

エレナ「その恐るべき作戦って、まさか原爆を使ったノ?」

局長「その通り!ソ連は火災が続くウズベキスタン・ブハラ州のガス田の消火作戦に核爆弾を投入する事となったんだ」

エレナ「消火作戦に核爆弾を使うなんて信じられないヨ・・・」

麗花「それで、その作戦はどうなったんですか?」

局長「それはだなん!」

 

信号待ちの合間に橋をパチリとしようとしたのですが・・・

上手いこと対向車が被る形となってこんな感じに。

しかし、元安川の景色って平和の尊さを感じるだけでなく

過ごしやすい季節であれば、そこでボーっとするスポットとして

中々ええ場所だよなーって思いますよね。ベンチもありますし(笑)

 

麗花「それで、核爆弾局長!」

局長「人を北の某黒電話みたいに呼ぶんじゃねーよ」

麗花「北の某黒電話はよく分かりませんけど、3年も消火出来なかったガス田の消火に核爆弾を投入した結果、あれってどうなったんですか?」

局長「おっと、結末を話してなかったな。ソ連は1966年、広島に投下された原爆の2倍のエネルギーを持つ30キロトンの核爆弾を地中1532mに埋めて爆破する計画を発表する。この作戦は、爆発時に発生する圧力を利用して原油シャフトを潰すことで、ガスの発生そのものを止めてしまうというものだったんだ」

朋花「世界を破滅に導く核爆弾が、まさかガス田の消火作戦のために使われるなんて夢にも思いませんでしたね~」

琴葉「学校では、原爆の悲惨さを習っていたので、こういう風に核爆弾を使った作戦があったのは知らなかったですね・・・」

局長「まぁ、ソ連当局も実験的要素でやったらしく、これについては『地震』として隠蔽したからな。その作戦は1966年9月30日に実施され、核爆発によって原油シャフトは見事破壊され、3年間燃え続けた火災は、たった23秒で鎮火してしまったんだ」

エレナ「多くの人の命を奪った原爆が、こんな形で人の役に立つなんて、あり得ないけどすごいよネ・・・」

麗花「でも、これで火災の危険は無くなったって事なんですね!」

局長「そういう事になる。しかも、ソ連はその後も抜かりなくてな、核爆発後に発生した放射性物質は、全て埋めることになるんだが、万が一地上へ漏れるのを防ぐために、蓋をするようにセメントを流し込んでガス田そのものを埋めてしまったんだ」

朋花「そうだったんですね~。広島や長崎で多くの人の命を奪った核兵器が、このような形で逆に火災を止める役割を果たす事になるなんて、なんだか考え物ですよね~」

 

広島や長崎に行くと、核爆弾の悲惨さを教えられるのですが

その一方で3年間燃え続けた火災を止めるために

核爆弾を使ったというエピソードがあるのは聞かないですよね。

これは、核兵器に関する考え方が被爆国である日本と

核兵器を抑止力として使ったりする国々とでは違うという証拠ですね。

 

平和大橋東詰を左折し、平和大通りへと再び出てきた局長。

画像真ん中に見えるひと際大きなビルはNHK広島放送局であり、

世界初の被爆都市にある放送局として、平和を考える番組の制作を

意欲的に取り組んでおり、世界に発信していたりします。

それにしたって、大都市部のNHKってデカいビルなのが多いよな。

 

ちなみに、1945年8月1日の戦況報道においては

男性のアナウンサーの声では危機感を煽りすぎるので

女性のアナウンサーに切り替えたことがあったりします。

そんでもって、このNHK広島放送局も1945年8月6日の

原爆投下によって壊滅し、36名が犠牲となりました。

広島放送局の前には、『NHK原爆の碑』が設置されています。

 

平和大通りを東進していく局長、この道ってやっぱり広いですよね。

撮影当時は夕暮れ時、交通量はそれなりに多かったのですが

車線数が多いので走りやすいと言えば走りやすいでした。

 

局長「広島や長崎へ行くと、平和への尊さを感じる一方で核兵器の恐ろしさや使う事への愚かさを知る事が出来るわけだが、3年も燃え続けたガス田火災を核爆弾を使う事で瞬時に鎮火できるとなると、核爆弾そのものは考えようによっちゃ平和利用出来たりするわけなんだよな」

紗代子「確かにそうですけど、でも日本では核爆弾と言うと広島や長崎の悲劇がありますよね」

海美「そうだよ~!あんなに酷いことがあったのに、その原因となった核爆弾が平和利用できるっておかしいよ~!」

局長「バカとハサミは使いようっていうだろ?それと同じで、核爆弾も使い方によっては平和利用する事も可能なんだ。現に技術の根幹は原子力発電と同じだから、核開発の平和利用の代表例とも言えるのは『原子力発電』が有名だろう」

志保「言われてみると、原子力発電は核爆弾と同じウランを使っているんですよね・・・」

局長「そういう事になる。それをもう少し直接的に捉え、核爆発を巨大な発破と考えて、平和的に核爆弾を利用しようという発想に至ったのがあるんだが、これを『平和的核爆発』というんだ」

翼「平和的核爆発?原爆資料館で原爆の影響とか核爆弾の恐ろしさとかを見たんですよね。それで平和利用なんて出来るんですか?」

局長「土木作業や採掘の現場にて使うのがメインらしい。核爆発の巨大な威力を軍事用としてではなく一般用に使う構想自体は早い頃からあったみたいなんだ」

翼「核爆発の威力を一般で使うのって、そんな昔からあったんですね・・・」

志保「でも、あれだけの威力があれば、大きな穴を掘ったりするのは楽そうですよね」

局長「つまり、そういう事なんだ」

 

広島を走行中という事で、ここで『平和的核爆発』について。

平和的核爆発はアメリカやソ連などの一部の国々で

検討や実験がされていた『核を平和的に使う』やつである。

1966年、3年間燃え続けたウズベキスタンのガス田を

核爆発によって23秒で鎮火したという例があるように

核爆発も使い方次第では平和的に利用できるというわけなのです。

 

局長「実用化が図られるようになったのは1950年代に入ってからであり、爆圧や爆風による土砂の移動のみならず、高熱による空洞の生成、衝撃波による地層の破砕も期待されていたんだ」

紗代子「核爆弾を平和利用するというのは、日本に住む私たちにとっては理解できない部分もあるんですけど、一方でそういうメリットも存在していたいんですね」

局長「ちなみに、オイルシェールの採掘に関しては詳細に検討されているらしく、平和的核爆発を使う事で石油の回収が行いやすくなるらしい」

志保「核爆発で石油が回収しやすくなるってのが不思議ですね・・・」

局長「地下核爆発によって生じた空洞は地層の崩落により、縦方向に拡大し縦方向へ拡大し空洞とほぼ同じ面積を持つ縦坑(チムニー)が形成される。このチムニー空間においては、岩石が破砕されているのみならず、核爆発の熱により蒸留作用が発生して、石油が回収しやすくなるってわけなんだ」

志保「核爆発1つでそんな事が起きるんですね・・・」

局長「あと、平和的核爆発で使われる核爆弾は原爆と同じ核分裂による爆発より、核出力が高い一方で崩壊生成物が比較的少ない核融合による爆発が用いられるようだな

翼・志保・紗代子・海美「「「「へぇ~・・・」」」」

 

ちなみに、この実験はアメリカやソ連などで行われましたが

放射能汚染問題を解決できなかったことや

世論からの反発もあり、さらには平和的核爆発自体が

包括的核実験禁止条約に抵触してしまったので

現時点では原則平和的核爆発は出来なかったりします。

 

平和大通りの南側をパチリと、ホテルやオフィスビルが並んでおり

広島のオフィス街でもありホテル街でもあるなーって・・・。

 

局長「平和的核爆発について、先ほどちょいと書いたんだが、実は被爆国である日本でもやろうっていう計画があったんだよな」

海美「そうなの?!あんなことがあったのに、平和的核爆発を日本でやろうっていう話があったの!?」

局長「そうなんだ。現在の都市再生機構の前身、『日本住宅公団』の初代総裁であった加納久朗は1958年に、原爆を使った東京湾の埋め立てによる新首都建設構想を発表したんだ」

志保「原爆が投下されて13年ぐらいしか経ってないのに、原爆を使って東京湾を埋め立てるっていうこと自体、不謹慎と言うか・・・」

紗代子「問題になりそうだよね・・・」

局長「そういう点は一旦置いといて、この計画は房総丘陵の山々を切り崩して埋め立て用の土を確保し、それを使って東京湾の東半分を全て埋め立てて、そこに皇居とかも移動する計画だったんだ。なお、核爆弾を使うのは千葉県の鋸山が堆積岩で成っていたので、それを核爆発によって緩ませて岩石を掘り出す為だったんだ」

紗代子「でも、房総半島の山を崩すために核爆弾を使うなんて・・・私はやっぱり反対ですね」

翼「私もですよ~」

局長「この計画自体は費用が4兆円と莫大すぎで、その後しばらくしてオイルショックもあったので、計画そのものは無くなっちまったみたいだな」

海美「でも、新しい街をつくるのに核爆弾を使う計画があったのは初めて聞いたよ!」

志保「学校では習いませんもんね・・・」

局長「そうなんだよな。学校では原爆の悲惨さを習うのがメインだからな」

 

三川町交差点を左折し、中央通りを北進していく局長。

北進した先は八丁堀、広島屈指の繁華街へと入っていきます。

ここからは車線数多いですが道幅狭いので注意が必要です。

 

そんな八丁堀には、アサヒビールが所有するビルと

キリンビールのネオンが施されたアーケードがあったりします。

このうち、前者については『アサヒビール館』というビルであり

レストランなどが入った商業施設となっているようです。

何気に、八丁堀のランドマーク的な存在となっています。

 

局長「八丁堀の地名の由来は、現在は相生通りとなっている広島城東側の外濠の長さが約8丁あったことから、その名前が付いたとされているんだ」

莉緒「八丁堀の名前の由来って、広島城の外濠の長さから来ていたのね。お姉さん、こういうのは初めて知ったわ」

風花「ところで、8丁ってどれくらいの大きさだったんですか?」

局長「メートル換算で行くと、大体880mぐらいだったそうだ」

風花「そうなんですね。ねぇ莉緒さん、八丁堀ってどんなエリアなんですか?」

莉緒「八丁堀っていうと、福屋とか三越があったり、パルコがあったりする場所ね。あとは・・・流川っていう歓楽街もあったりするわ。広島で一杯飲む時に行ったことがあるのよねぇ」

風花「へぇ~、今度広島へ行く事があったら連れて行ってくださいね」

莉緒「オッケー。私が色々と案内してあげる」

局長「はいはーい!ならば局長も着いていきたいでーす」(*´ω`*)

莉緒「あっ、局長くんはダメよ?何しでかすか分からないし、そもそもお酒飲めないでしょ?」

局長「飲まないの間違い!」

莉緒「だったら、なおさらダメね。うふふっ」

局長「そんなぁ・・・こうなったらしまむらで男を磨くか」

 

さらに進んで行くと、右手にえびす通り商店街が見えてきました。

えびす通り商店街は410年以上の歴史を誇る商店街であり、

商人の神様である『胡子神社』の鎮座を機に開かれた市が

えびす通り商店街のルーツとなっています。

 

莉緒「えびす通りっていうと、毎年11月になると『えべっさん』っていう祭りがやっているのよね」

風花「えべっさん?」

局長「胡子講の事だな。胡子神社で11月17日から4日間行われる祭りの事で、付近のえびす通り商店街や三越、福屋などは大売出しを行ったり、中央通りでは歩行者天国を実施しており、毎年10万人以上の人手で賑わう広島三大寺社祭りの1つなんだ」

風花「そうだったんですね。広島の秋の風物詩のようなものなんですね」

局長「胡子講の歴史は古く、1603年に胡子神社が建立されてから続いていてな、原爆によって被災してから3ヵ月後には仮設のバラックの社殿で行われるなど、戦争で中断した事が無いなど、400年以上続いている祭りでもあるんよ」

莉緒「それだけ有名なお祭りって事ね。でも、昔は結構ヤバかったのよねぇ・・・」

風花「えっ?昔はそんなに危なかったんですか?」

莉緒「そうなのよ。今は対策とかもあってそんなに見かけないんだけど、20年以上前は暴走族がこの祭りにたくさんやってきて、迷惑行為とかを平気でやっていたのよね・・・」

風花「暴走族って何するか分からないし、怖いから嫌ですよね」

莉緒「でも、なんで胡子講っていう祭りの時に暴走族って集まったのかしら?」

局長「胡子講を『暴走族の卒業式』とみなす意味合いが、広島の暴走族の間ではあってな、歩行者天国が行われる中央通りやこの近くにある広場こと『アリスガーデン』にて引退式を称する集会を開いていたんだ。これにより、少年少女が集まってそこから暴走族に憧れて入ってしまう人もいたりしたわけなんだ」

莉緒「暴走族の引退式に、胡子講を使ってほしくないわね・・・」

局長「しかも、暴走族の背後には『面倒見』という暴力団と繋がっている存在がいてな、広島の暴走族と繋がっていた。すなわち、広島の暴走族は単なる暴走行為だけでなく、犯罪集団としての存在もあり、広島県警はそれを重く見ていたってわけだな。そして、決定的な事件が起きたんだ」

莉緒「決定的な事件って?」

局長「それが、1999年に発生した『胡子講暴挙事件』だ。歩行者天国を占拠した暴走族と広島県警が衝突したんだ。これにより、公共交通機関がストップし、ついに日本全国に報道されたんだ」

莉緒「そんな事件があったのねぇ・・・」

局長「それから、広島県警の活動などもあり2015年には組織立った暴走族は見られなくなり、散発的な暴走行為のみが見られる程度にまで減少したんだ」

風花「胡子講にようやく平和が訪れたというわけなんですね」

局長「そういう事になるかな」

 

中央通りを北進し、八丁堀交差点へと差し掛かりました。

八丁堀のメインストリートであり、とても賑やかな場所でもあります。

路面電車や一般車が行き交い、交通量もとても多かったりするので

運転に慣れてない人がここを走る時は注意が必要です。

 

そして、中央通りから白島通りへと入った局長。

広島女学院前の交差点に差し掛かったのでパチリと1枚。

ここを右折して、今度は城南通りへと向かっていきます・・・。

 

というわけで、ここまで。ではでは