とりあえず、こんばんわ。局長です。

異動した部署での仕事がクッソ忙しいうえに

朝7時から働くってあたおかじゃねーかって思うんです・・・

 

というわけで、前回の続きでも。

おりづるタワーの展望台から、散歩坂を使って降りていく局長。

散歩坂には、原爆投下から100年後の2045年への願いを

広島にゆかりがあるアーティストが描いた壁画がありまして、

おりづる広場へと行くまでに『1997・long jump』と

『この地球にはみんな其々違う人たちが生きている。』を見たわけで。

前者は暗い過去を受け入れつつ新しい未来へ進むというのが描かれ、

後者はロシアによるウクライナ侵攻で虹色カラーの招き猫のうち

青色と水色にはロシアとウクライナに見立て、双方の国の国花である

ひまわりが描かれているという作品でなるほどと思いまして。

てなわけで局長、おりづる広場へ行ってみることに。

 

散歩坂をいったん離れ、『おりづる広場』へと入る局長。

『おりづる広場』は東京タワーや通天閣で例えるならば、

展望ゾーンにアクティビティ要素が入ったフロアとなります。

その名の通り、おりづるを使ったアクティビティを体験できます。

 

環「おーい!おやぶん、こっちこっち~!!」

局長「もうそんなところにいたのかよ・・・」

琴葉「それはそうと、環ちゃんたちがいる場所って『おりづる広場』って言うんですね。どんな場所なんだろう・・・」

局長「折り鶴を使ったアクティビティが楽しめるみたいだな。よっしゃ、行ってみるとするかね」

 

てなわけで、おりづる広場へと入った局長。

まずは大きなディスプレイをパチリと1枚。

『フラップ』とあるのですが、これは画面の前に人が立ち、

鳥が飛ぶようなポーズを決める(羽ばたく等)をすると

画面に写っている折り鶴が広島の街を飛ぶというアクティビティです。

 

麗花「こうやって、びゅーん!」

環「おお~!!れいかすごいぞ~!!たまきにもやらせて~!!」

美也「2人とも、すっかり楽しんでますね~」

琴葉「ふふっ。そうね」

局長「ちなみに、局長はあんまりこういうの上手く出来ねーんだよな」

昴「そういえば、なんかぎこちなかったよなー」

美也「局長は折り鶴の気持ちになれてなかったから、きっと飛べなかったんですね~」

局長「折り鶴の気持ちって・・・」

麗花「そうですよ~。折り鶴が空を飛ぶように、ちゃんとポーズをすれば画面の折り鶴もちゃんと飛んでくれますよ~!」

局長「でも・・・なんか恥ずかしいっつーか?」

麗花「え~っ?職場で踊ってるって聞くじゃないですか」

局長「どこからそんなのが漏れるんだ・・・?」

 

局長もやって見たんですが、ちょっと難しい気がします。

あと、人目があるので一人でやるのはちょっと・・・

というシャイな方にはあんまりお勧めできないかもです。

 

局長「こういうのは、友達がいる時にノリでやると良いよな」

琴葉「局長が言いたいこと、何となく分かるんですが、意外に局長でも恥ずかしいと思う事があるんですね」

局長「局長かて人間やしな」

昴「若い女性店員に声かけたりする局長がか?」

局長「・・・次ICOCA」

 

続いては『アバター』、これもディスプレイの前に立つと

白く輝く仮想空間に舞っている無数の折り紙が、

あなたの『色』に反応して合わせ鏡のような

不思議な世界を生み出す・・・とあります。

 

では、こちらもディスプレイの前に立ってみましょう。

 

局長がカメラを持ってディスプレイの前に立つと、

こんな感じで、映像上の折り紙が反応して局長の形が

影付きで形成されています。なんか怪物と似てますね・・・(;^ω^)

でも、局長の体格とかは大体こんな感じなんですかね。

 

環「あーっ!おやぶんずるいぞ~!!たまきもやりたい!!」

局長「こらこら。カメラが揺れるではないか」

昴「でも、カメラを持っている局長ってこんな感じに映るんだな~」

麗花「どこかの怪物みたいですね。よっ!怪物局長さん!」

局長「誰が怪物くんやねん!」

麗花「じゃあ、宇宙人だったりして」

昴「ぷっwww」

局長「おい、そこ笑うんじゃねぇ・・・」

昴「だって、何となく似てる気がして・・・」

環「おやぶん、宇宙人だったのか!?」

局長「それは鳩山元首相に言うたってや」

 

おりづる広場には、他にもアクティビティはあるのですが

次の展示がティンと来たのでそれを先に見て行く事に。

 

おりづる広場には、『建築家ヤン・レツルと世界遺産』の

紹介展示があったのでちょいと見て行く事に。

その世界遺産、1つ目は負の遺産でもある『原爆ドーム』、

もう1つは宮島にある『宮島ホテル』だったりします。

 

局長「ここで登場するヤン・レツルは、チェコ出身の建築家でな、明治末期~大正に掛けて主に日本で活躍しているんだ」

琴葉「チェコ出身なのに、日本で活躍した建築家なんですね・・・」

可奈「なんで、チェコじゃなくて日本で活躍したんですか?」

局長「1907年、横浜のゲオルグ・デ・ラランデの事務所で働くために来日している。これがヤン・レツルが日本で活躍するキッカケとなった1ページになるみたいだな」

可憐「ゲオルグ・デ・グランデ・・・?」

局長「ゲオルグはドイツ出身の建築家で、神戸にある風見鶏の館(トーマス邸)を手掛けたことで知られているぞ。そのゲオルグの所で、ヤンは働き始めるんだ」

可憐「そうだったんですね・・・。異国の地で、それも日本で働く外国人ってすごいですね・・・」

可奈「そうですよね。可奈も、世界に羽ばたきたいな~♪」

局長「おい、可奈の歌で原爆ドームが崩れたらどうするんだ?!」

可奈「崩れませんよ~!!いっつもいっつもいじわるばかり~!!」

 

『広島県物産陳列館』の建設にヤン・レツルが関わるのは、

彼が日本にやってきて6年後の1913年。

その時には既に独立し、同国人のカレル・ヤン・ホランと共に

東京と横浜に事務所を置いて15件以上の建物設計に携わりました。

その後、1913年にカレルが帰国してからは

ヤン・レツルが単独で事業を始めています。

 

局長「その、ヤン・レツルは宮城県宮城郡松島町にあった『松島パークホテル』の設計に携わっている。その発注者であった当時の宮城県知事の寺田祐之に気に入られ、寺田が広島県知事転任になった際に『各府県で作られている『物産陳列館が欲しいなぁ・・・』となったので、松島パークホテルの設計を担当したヤンレツルに声をかけたわけだな」

可憐「それで・・・ヤンレツルが物産陳列館のデザインを担当したんですね・・・」

局長「そういう事だな。ヤンレツルのデザインは水を背景にした建築物にユニークな美しい設計をするという点で知られていたらしい。現にこの建物がある場所も川のすぐ近くにあるしな」

琴葉「本当ですね」

局長「しかも、建物自体を川のラインに合わせてカーブさせているのも特徴だ。この部分はよく見ないと分からないがな」つ写真

可奈「あっ、言われてみると本当に川に向けてカーブしていますね!ロコちゃんみたいに意識して見ないと分からない部分ですよね~!」

可憐「そうだね・・・」

局長「なので、原爆ドームへ行く時はその点をよく見てみると、原爆ドームこと物産陳列館のデザインがいかに、周囲に合う美しさなのかを見てみると良いぞ」

 

広島県産業奨励館と共に、宮島ホテルの設計にも携わった

ヤンレツルでしたが、1915年に第一次世界大戦が勃発して

日本が参戦した事でオーストリアと敵同士になった事や

その後の不景気などによって事務所を閉鎖して帰国しています。

 

局長「ちなみに、広島県物産陳列館や宮島ホテルを設計したヤンレツルへの設計料は、当時の価値で4575円だった。当時の広島市の土地単価は一坪あたり24銭~4円、石工の日当が90銭~1円10銭、新橋~広島までの1等料金が13円33銭程度なので、彼への設計料がいかに高いか分かるだろう」

可奈「当時の価値で4575円って・・・今だといくらなんですか?」

局長「1913年の消費者物価指数で換算すると、1913年の4575円は現在の価値で1391万9490円になるぞ」

可奈「いっ、1391万!?設計するだけで1000万円貰えるなんて、すごく羨ましいなぁぁ~・・・」ぷしゅー

琴葉「か、可奈ちゃん!?」

局長「可奈のやつ、湯気立っちまってるな。まぁ、1回の設計で1000万円以上貰えるとなるとやる気出るよな」

 

1918年に第一次世界大戦が終わり、チェコスロバキアが独立すると

ヤンレツルは極東における通商代表として日本へ赴任後、

在日大使館に駐在したり、1920年に一時帰国してからは

商務官として再来日したりして日本と関りを持っていました。

 

しかし、1923年の関東大震災で全財産を失ってしまい、

ヤンレツル自身も被災してしまったのだが、

それ以上にヤンレツルが設計した多くの建物が被災したのを目にし、

11月には失意の内にチェコスロバキアへ帰国しました。

 

琴葉「自分が設計した建物が、地震で壊れているのは心が痛みますよね・・・」

局長「そうだなぁ。そんなヤンレツルだが、帰国後は母国で設計の仕事をする・・・というわけでは無く、健康が優れずに設計の仕事はしなかったんだ。入院生活を送り続け、1925年にプラハにて45歳という若さで亡くなったんだ」

可奈「45歳って、まだ若いですよね・・・」

局長「晩年には家族や友人からも見放されたという話もある」

可憐「家族や友人からも見放されるって、とても寂しいというか・・・可哀そうですね」

局長「ヤンレツルの活躍は日本でのものが大半で、チェコでは活躍した経歴が短すぎて全くと言って知られていなかった。しかし、1945年の広島への原爆投下で産業奨励館が廃墟と化し、それが『原爆ドーム』と呼ばれ始めてからは、『原爆ドームの設計者』として再認識されているんだ」

琴葉「最初はチェコでは知られていなかったんですね・・・」

局長「ちなみに、ヤンレツルが手掛けた建物の殆どは地震、火災、戦災によって現存していない。廃墟として残った原爆ドームが、ヤンレツルが日本で手掛けた中で残っている数少ない建物なんだ」

可憐「ヤンレツルって、日本でたくさん活躍したんですよね・・・なのに、その多くが残っていないなんて・・・」

局長「かの宮島ホテルも、第二次世界大戦後にイギリス連邦占領軍が接収していたんだが、そいつらによる火の不始末で全焼してしまったしな」

琴葉「彼の手掛けた建物は、原爆ドームを除いてそれらが全て無くなっている・・・なんだか、とても悲しいですね」

局長「そうなんだよなぁ・・・」

 

続いては『爆心点』となる場所へやってきました。

パチリと1枚、爆心点というのは1945年8月6日に

広島に投下された原子爆弾が爆発した地点を指します。

その爆心点となるのが、現在もやっている島病院のすぐ近くでした。

 

局長「島病院は1933年に島薫によって建てられた病院だ。壁の厚さが1m以上あり、『空襲にも耐えれる』と自慢していたと言われている」

百合子「でも、原爆でこの病院も吹っ飛んだんですよね・・・」

局長「それだけ、原爆の威力が強かったという証拠だろう。それはさておき、この島病院は開設当時において最先端の医療設備を揃え、診察室や手術室、当時としては珍しい洋室や豪華な特別室も完備していたとされているんだ」

杏奈「当時としては・・・ハイテクだったんだね・・・」

局長「中庭には子供が遊んでいて、その中には楽しませるために猿を5~6匹ほど飼っていたそうだ」

瑞希「猿まで飼っていたとは、ユニークな病院ですね・・・」

局長「ちなみに、島病院の院長だった島薫は広島における外科のリーダー的存在の1人で技術がある事で知られていた。さらには当時の広島市において外科が少なかったので、連日多くの患者がいて病室は常に満員だったと言われているんだ」

風花「そうなんですね。外科医で技術があるってすごいです・・・」

局長「てなわけで、島病院と原爆について見て行くとしよう」

 

爆心地と爆発した高度の図をパチリと。

1945年の9月下旬、理化学研究所や東京帝国大学地震研究所、

東京帝国大学工学部や広島管区気象台に調査が行われ、

現在の商工会議所(相生橋東詰)の北側辺り(当時・護国神社の所在地)

前の電車通りの南方約125メートル、島外科病院(細工町19番地)の

玄関から東南方約25メートルの地点が爆央(爆心地)』という

結果が出たとされています。

 

局長「これは後に何度か調査が行われて、その都度場所がちょっと変わっている。現在において、『日本測地系2011』に落とし込んだ2020年公表の情報によれば、その座標は『北緯34度23分40.537秒、東経132度27分17.269秒』となるぞ」

杏奈「そんな事言われれも・・・どこに落ちたか分からない・・・」

百合子「場所で教えてくださいよ~」

局長「座標を場所に直すと、当時の島病院の中庭付近との事だ。現在では島内科医院の南側にある『大手町中央駐車場』の出口南側が爆心地となっているようだな」

百合子「病院というより、駐車場のある場所に落ちたんですね・・・」

局長「まぁ、その昔は病院の敷地内だった場所だがな」

杏奈「ねぇ局長・・・その場所には・・・モニュメントとか・・・あるの・・・?」

局長「あるみたいだな。今回はパスしてしまったが」

百合子・杏奈「「・・・」」

局長「よし、次ICOCA」

 

画像の真ん中あたりに、島病院があったりしますので

そこが爆心地というわけですね・・・。

ビルが密集した今では、島病院が目立つ部分は無いので

この位置からだと『?』と思う部分が多いですね。

 

局長「ちなみに、島病院の創業者であり外科医でもあった島薫は、原爆が投下された日には広島市にはおらず、付き添いの看護婦1名と共に世羅郡甲山町(現・世羅町)の知人の病院に出張診療へ向かっていたので難を逃れることが出来たんだ」

瑞希「創業者と看護婦の2名は、ある意味でラッキーだったんですね・・・」

風花「でも、病院にいた看護師や患者は全員亡くなったんですよね・・・」

局長「そうだな。病院にいた患者と看護師合わせて80人全員が亡くなっている。島薫はその後、倒壊を免れた銀行で寝泊まりしながら、臨時救護所となっていた袋町小学校で負傷者治療にあたったみたいだな」

瑞希「原爆で家族や大切な人を失ったかもしれないのに、目の前で苦しむ人たちを救うなんて・・・」

風花「私は医療に従事(※)していたから、目の前の人を助けたいっていう気持ちは分かるなぁ」

瑞希「そういえば、豊川さんは元看護師でしたね」

風花「だから、もし私がそういう現場に出会ったとしたら、きっと島薫のように目の前で負傷した人を助けるわ・・・」

局長「でも、医療従事者かて所詮は人間や。無理はするなよ」

 

※・・・ミリマスの豊川風花は元看護師なのだ。

 

お空をパチリと、1945年8月6日にはあの空から

1発の原子爆弾が降ってきたんですね・・・

あれから70年以上が経過し、今でこそ平和な空模様となっています。

 

というわけで、ここまで。ではでは