とりあえず、こんばんわ。局長です。
最近、職場において異動があり新部署で働いているので
かなり疲れ切っている結果、更新がさらに遅れています・・・。
ちなみに、ミリアニはちゃんと観ていますよ。
というわけで、前回の続きでも。
原爆資料館を出て、平和記念公園を歩いていく局長。
撮影当時は熱中症アラートが出ているほどクソ暑いわけで、
マスクを取り外したりはしていたんですよね・・・。
それはさておき、原爆死没者慰霊碑の前には学生がいたので
2010年に訪れた時にもいたよなー、やっぱり学生が
ここに来るのは定番コースなんやなと思ったり、
原爆の子の像やそこにある折鶴を見て行ったり・・・。
そんなわけで、平和記念公園内のオブジェなど見た局長は
負の遺産ともいえる原爆ドームなどを見て行く事に・・・
平和記念公園を一旦出て、国道183号線の相生橋へ。
元安川から原爆ドームと広島のビル群をパチリと1枚。
戦争の悲惨さと愚かさを伝える原爆ドームと
戦後に建った高層ビル群の対比が何とも言えないですね。
原爆ドームの周りには、雨後の筍のように建てられたビルが並び、
平和の象徴でもあり、風化が進む要因なのかもしれません。
相生橋のすぐ近くには、石碑があったのでパチリと1枚。
そこには、旧相生橋に関する紹介がされています。
前の記事でも書いたように、強い爆風などの影響によって
波打つ挙動によって鉄筋コンクリート床板が浮き上がって
破壊されるという状態になったのですが・・・
局長「相生橋自体は、鉄筋コンクリートの床板が浮き上がって破壊されるほどの衝撃を食らうわけだが、落橋自体は免れているんだ」
紗代子「原爆の爆心地に架かる橋なのに、よく耐えたんですね」
局長「そういう事になるな」
志保「でも、周りの建物は原爆の威力で破壊されたのに、どうして橋は残ったんですか?」
局長「それが、詳しい資料が本当に残っていないからよく分かっていない。ただ、爆心地から2.3km離れた橋も落橋しなかったんだが、その理由が爆風に対して平行に作られていた、というのが理由にある。この橋が落橋しなかった理由も、おそらくそれに当たるんじゃないかと思いたい」
志保「そうなんですね・・・」
局長「ちなみに、現在の相生橋は1983年に架け替えられたものとなっている。しかし、落橋しなかったことでこの橋が補修などしながら、今も生きながらえているわけなんだよなぁ」
紗代子「そうですね。原爆の爆風を間近に受けた橋なのに、今もこうして残っているなんてすごいですよね」
その相生橋をパチリと、右手に見える親柱は1983年の
架け替え時に設置され、銘板の所に書かれた『相生橋』の名前は
広島県出身の元国会議員こと灘尾弘吉が揮毫したものとなります。
局長「親柱の上の部分の半球は『原爆ドーム』をモチーフに『平和を支える市民の力』を、手すりの部分は『人々の連帯』をイメージしたデザインとなっているぞ」
志保「半球の部分のデザインモチーフは、原爆ドームだったんですね・・・」
局長「この相生橋周辺は爆心地から至近なので、ここにいた人々は高熱線を浴び、衝撃波によって吹き飛ばされて多数の人が即死している。橋の周辺は火と煙が充満し、それから逃れたものの力尽きて倒れた人々が多く横たわっていたんだ」
紗代子「それって、すごく凄惨な光景ですよね・・・。そんな事が、この橋で起きていたってのが・・・」
局長「VRでも良いから、一度そういう体験が出来ると良いけどね。まぁ・・・無理な話かもしれんが」
石碑をパチリと、この石碑についている銘板は1949年に
修復された時に設置された3代目の親柱にあったもので
銘板のみ取り外して、『橋銘板碑』として再設置されています。
上には『相生橋』と書かれた銘板があり、
下には原爆で壊滅した広島市街地が出ていますが・・・
下の部分だけは見切れていて分かりづらいですね。
攻撃目標ともなった相生橋のT字部分をパチリと。
平和記念公園を北上すると、この橋を渡る事となります。
今でこそ穏やかに流れているこの元安川ですが
1945年8月6日の原爆投下後においては
この川が死体で埋まった・・・なんて想像つかないですよね。
恵美「多くの人たちが、この川で死んでいたんだよね・・・」
局長「見るに悲惨な光景だよな。しかし、原爆を落としたアメリカにとっては、広島や長崎での原爆投下によって日本が降伏した事で、めちゃくちゃ喜んだというのはあまり聞かない話だよな」
恵美「えっ!?そうなの?!なんか信じらんない話なんだけど」
局長「1982年に公開された映画『アトミックカフェ』というのがあるんだが、とあるシーンでは原爆投下で日本が降伏したことを祝って、アメリカ人は男も女も着飾ってパレードに参加していたなんてこともあったんだ」
美也「信じられませんね~。日本では、広島や長崎では原爆で多くの命が奪われて、悲しい思いをした人もいたのに・・・」
局長「ある牧師は『広島への原爆投下は、私たちの祈りに神様が下さったお言葉なのだ』と言ったり」
朋花「そんな神様は、神様では無いですよね~」
局長「さらには『アトミックカクテル』というお酒や『ミス原爆』なんてのもあったとの事だ」
朋花「まるで、他人事みたいな感じですよね~・・・」
ちなみに、原爆を落としたアメリカでは原爆を『成功体験』やら
『アトミックカルチャー』として美化している様子があり、
そこには被曝の恐ろしさを知らなかった・・・
もしくは隠したかったという意図もあるみたいです。
恵美「原爆を落としたアメリカは、それを喜んだなんて信じられないよね・・・。あのキノコ雲の下では多くの人たちが死んだり苦しんだりしたのに」
局長「戦争を止めることが出来た、というのがアメリカ人にとって広島や長崎への原爆投下を支持する理由にも繋がっているんだ」
朋花「でも、それに原爆を使う必要なんて無いと思いますよね~」
局長「そうだよな。ちなみに、アメリカの調査機関である『ピュー・リサーチセンター』が2015年の1月~2月に、『原爆投下は正しかったんか?』というのを日本とアメリカの双方1000人に電話で調査した事があるんだが、アメリカでは56%が正当化されると答えているんだ」
美也「アメリカでは、まだ半分以上も原爆が正しかったと思っているんですね~」
局長「日本では当然のように79%が否定していたんだが・・・実は日本でも14%と少数の人たちが原爆投下を肯定しているんだ」
恵美「えっ・・・?あんな事が起きていたのに、それでも原爆投下を良いって思う人がいるんだ・・・」
朋花「人にはそれぞれ考えがあるとはいえ、日本人でもそういう方がいるなんて想像が付きませんでしたね・・・」
局長「局長の知人にもいるんよ、原爆が落ちたから戦争が終わったっていう人が・・・」
美也「そういう人には、広島平和記念資料館に来てほしいですよね~」
局長「そうだよな。認識が絶対変わると思うから・・・」
『赤い鳥』の石碑や鈴木三重吉の文学碑もあったりします。
ちなみに、鈴木三重吉は広島市出身の小説家であり、
児童文学者でもありました。また、児童文化運動の父ともされてます。
ちなみに、ゆりしーの『赤い鳥』とは関連性は全くありません。
原爆投下から78年(撮影当時は77年)が経過した広島、
穏やかな流れの元安川に、遊覧船が通っていく・・・
でも、78年前の1945年8月6日はこの川が死体で埋まり、
そして周りの街並みは壊滅して地獄絵図になっていた・・・
そう考えると、この平和は続けていかなければならないと思いますね。
朋花「そうですよね~。この穏やかな平和を続けるためには、私たちが戦争に反対しなければならないって事ですよね」
局長「そうだな。今でこそウクライナ侵攻やパレスチナ問題などもあるけど、それらが終わりを迎えるのは核戦争による終焉では無くて、戦争を終えて多くの人たちに平和が訪れる時であればいいんだがな」
恵美「そーだよね。たまにテレビとかでやってるけどさ、戦争で傷ついた子供たちとか見ると、心がすっごく痛むんだよね」
美也「私もです~。戦争って本当に無くならないのでしょうか~」
局長「広島や長崎の悲劇は、今でこそネットで知れたりするから知っている人も多いけど・・・前に言うたように、風化が進んでいるのかもしれないな」
そして、世界遺産に登録されている原爆ドームをパチリと。
撮影当時は12年ぶりに見に来たわけですが、
この辺りの景色も若干変わった気がしますね・・・。
しかし、原爆ドームだけはこの姿で今も変わらず存在しています。
これを見ると、戦争の愚かさや平和の尊さを教えられますね・・・
局長「原爆ドームは、1996年に世界遺産に登録されており、そんでもって『負の世界遺産』としても知られているぞ」
杏奈「負の・・・世界遺産・・・?」
局長「世界遺産のうち、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と引き起こさないための『戒めとなる物件』を指すものだ。まぁ、これはユネスコが公式で使っている言葉ではなく、日本国内限定の用語でもあるがな」
杏奈「戒めとなる物件・・・」
風花「戦争をしたらいけないっていう戒めの意味で、世界遺産に原爆ドームが登録されるのは、世界が平和になる為にも重要な事だって思いますね」
奈緒「せやなぁ。原爆で被爆した建物が、こんな感じで残ってるんやもんな。戦争をする事や原爆を落とすことが、どんなにアカン事なのかをなんか教えられるなぁ・・・」
局長「しかし、原爆ドームの世界遺産登録は結構時間が掛かったとも言われているんだ」
奈緒「そうなんですか?」
局長「そいじゃ、それについてちょいと書いていくぞ」
別アングルでパチリと、原爆ドームの周りには緑が生い茂り、
焼け野原の広島とは想像できない景色がそこにはあります。
ボロボロになった建物と周りの緑との対比が、
戦争が招いた最悪の結末とその後を見ているような気分になりますね。
何というか、天空の城ラピュタにそういう景色があったような。
局長「それはさておき原爆ドームの世界遺産登録は、1992年に日本国政府が世界遺産条約を受諾した所からスタートする。同年9月、広島市議会は『原爆ドームを国の世界遺産候補リストに登録するよう要望する』という意見書を採択し、1993年1月には市長が文化庁に提出しているんだ」
風花「世界遺産に登録する4年前から、世界遺産へ登録する準備がスタートしていたんですね」
局長「ちなみに、1992年の当初において日本政府の意見としては『世界遺産への推薦にはその遺産が国内法で保護されている事が条件』であるとしていた。原爆ドームは文化遺産なので、『文化財保護法』が該当するんだ」
杏奈「そうなんだ・・・。じゃあ・・・文化財保護法で・・・原爆ドームは・・・登録されていたの・・・?」
局長「それがな、『原爆ドームは歴史が浅く、文化財に指定できないため推薦要件を満たさない』と原爆ドームの推薦には消極的だったんだ」
杏奈「歴史が浅いから・・・推薦出来なかったんだ・・・ね・・・」
局長「というのは、表向きの理由。実は当時の政府や文化庁がこんな事を言って原爆ドームの登録に消極的だったのは、アメリカ、中国、韓国を刺激しないようにしていたからなんだ」
奈緒「それって、アメリカや中国とか韓国に配慮したって事ですよね」
局長「そういう事になる。学校の歴史の授業では日本は戦争をふっかけた愚かなる国と教えられているが、実際は色々と違う。まぁ、それについては暇があれば話してもいいが、多分長くなるし関係ない部分が多くなるので、今回は割愛しておくぞ」
原爆ドームの世界遺産登録までは、色々な障壁があったとされ、
文化財としての歴史が浅いといった部分や、
アメリカ・中国・韓国への国際的な配慮といった部分まで・・・
なんというか、戦争を美化したいアメリカと
戦争で日本を悪役に仕立て上げたい中国や韓国の思惑も
原爆ドームの世界遺産登録を遅らせたのかもしれません。
局長「しかし、こんな政治的な部分が明るみに出た結果、既に始まっていた署名活動は一気に加速し、1994年には165万人分の署名を添えた国会請願が行われ、衆議院・参議院の両本会議で採択されたんだ」
奈緒「165万人もの署名が集まったんですね。やはり、戦争を繰り返してはならないって気持ちが、そこにはきっとあったんですね」
局長「そういう事になるかな。そして、1995年3月に文部省(現・文部科学省)が文化財保護法に基づく『史跡名勝天然記念物指定基準』を改正し、1995年6月に国の史跡として登録され、そして世界遺産登録へ推薦したんだ」
杏奈「世界遺産登録までに・・・色々とあったんだね・・・」
風花「でも、原爆を落としたアメリカだけでなく、中国や韓国に配慮していたっていうのは初めて聞きました」
杏奈「アメリカは・・・原爆落として・・・多くの命を奪ったのに・・・」
局長「戦争では勝った方が正義、だなんて言われるからな」
原爆ドームの石碑をパチリと、1996年に登録されたと記され、
さらには登録された経緯みたいなのも書かれています。
局長「1996年12月、原爆ドームの世界遺産登録への登録審議がメキシコのメリダ市で開催された『世界遺産委員会会合』にて行われた。この時、原爆を投下したアメリカは原爆ドームの登録に強く反対したんだ」
風花「原爆を落として、日本との戦争がこれで終わったって思っている国だから、やはり反発はしたんですね・・・」
奈緒「でも、そういうのってアカンやん。平和や戦争が無い世の中の為にもアメリカも認めへんと・・・」
局長「結局、調査報告書から『世界で初めて使用された核兵器』の文言を削除させている。アメリカとしては『原爆投下は止む終えない』という意見や、これよりもっと酷いやつで『ダウンフォール作戦(日本だと本土決戦)を回避できた』という原爆投下に肯定する意見もあるからな」
杏奈「それで・・・多くの人も死んだし・・・アメリカ人も・・・死んだんだよね・・・」
局長「そうだなぁ。広島にいて被爆して亡くなったアメリカ人について、アメリカはどう思っているか気になるところだな。あと・・・コロナウイルスをバラまいて若者の青春を奪いまくったクソ国家こと中国は、『日本の戦争加害に否定する人たちに使われる恐れがある』として、審議自体を棄権しているんだ」
奈緒「中国は審議を棄権したって、どういう事なんですか?」
局長「中国は戦争について『被害者』って思っているからな。中国としては原爆ドームはアメリカと同じく、日本に対する天罰とかなんかと思っていたんやろな。まぁ、そんな事はさておき、1996年12月に世界文化遺産として無事登録されたわけなんだ」
杏奈・奈緒・風花「「「へぇ~・・・」」」
夏の青空と共にパチリと、原爆ドームは広島の復興と世界平和、
そして核兵器や戦争の愚かさというのを後世に伝える世界遺産であり、
世界の人々に一度訪れてほしい場所でもありますね。
終戦からあと2年ちょっとで80年を迎える中で、
この原爆ドームの存在はより大きくなると思います。
というわけで、ここまで。ではでは