とりあえず、こんばんわ。局長です。

今更ながらミリアニ第7話、通称水着回を観たんですが

とりま七尾百合子と高坂海美の水着姿が特にええよね。

もちろん、全員の水着姿も最高なんで・・・

というのはさておき、クライミングのシーンで登り切った環を

チュパカブラが驚かせて海に落ちるシーン、

ターザンロープのワイヤーが切れて可憐が海に落ちるシーンなど、

現実にそんな事が番組で起きたら間違いなくコンプラに

めっちゃ引っかかりますよね。一歩間違えたら死ですし・・・。

というか、放送中止でお蔵入りしそうなレベルでしたが

まぁ、これもミリオンライブの通常運行なので温かく見守ろう(笑)

 

というわけで、前回の続きでも。

原爆資料館の展示を色々と見て回っていく局長。

広島や長崎に投下された原爆の威力やその影響を見たり、

核の冬などの紹介などを見て行った局長。

局長的に、広島や長崎に投下された原爆の威力が分かる地図が

展示されていたのを見て、威力は長崎の方が強いはずなのに

都市の地形などで広島の方が影響力が凄まじいなというのが

学校で習っているハズなのに、改めて理解する事になりましたな。

でも、威力や影響関係なしに原爆は落としてはならぬと思いましたな。

てなわけで局長、さらに展示を観ていく事に。

 

続いては、『核実験が及ぼす影響』のブースへ・・・

核実験と言うと、近頃では北朝鮮とかが積極的にやっている事で

多くの人たちが『北朝鮮=核』というイメージがあると思います。

しかし、先の大戦の後にあった米ソ冷戦においては

アメリカやソ連が核実験をしていたのはもっとご存知ですよね。

 

局長「核実験は人知れぬ場所で行われるわけだが、そんな場所で行われたとしても、付近にいた少数の人が巻き込まれたりして、核実験の影響における放射線被害を受けることもあったんだ」

翼「そうなんですか?原爆が落ちて、広島にいた人々がすごく苦しんだんですよね。それなのに何で原爆を研究したりするんだろう・・・」

局長「前にも言ったが、アメリカが原爆を広島や長崎に投下した事で核抑止力という名目で、アメリカやソ連が没頭するようになったわけなんだな」

紗代子「でも、その実験とかで巻き込まれたりした人がいたんですよね」

局長「そうだな。マーシャル諸島にあるビキニ環礁で起きた『キャッスル作戦』は、後にある映画を生み出すきっかけに繋がるほど、戦後の日本において核がデリケートに扱われる話題にもなっているんだ」

昴「ある映画?」

局長「全部説明すると長くなるから、『ある映画』が作られるキッカケとなった事件を見て行くとしよう」

 

てなわけで、『第五福竜丸の被ばく』をパチリと1枚。

1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われていた

アメリカの水爆実験において、マグロ漁船の『第五福竜丸』など

マーシャル諸島近海を航行していた日本の漁船が

『死の灰』を浴びる形で水爆実験に巻き込まれました。

 

乗組員らは急性放射線障害による影響で歯ぐきから血が出たり、

脱毛などの症状があったりし、第五福竜丸の無線長を務めていた

久保山愛吉が半年後に亡くなっています。

 

ちなみに、『第五福竜丸』を含む多くの漁船が

SOS信号を発さずに自力で母港へ帰ってきたのですが、

その背景にはこの実験に巻き込まれたというと

アメリカに消されるんじゃねーかという恐怖心があったからとか。

 

昴「なぁ、この『第五福竜丸の被ばく』がキッカケで生まれた映画があるって言ってたけど、それって一体何なんだ?」

局長「みんなもよく知ってる映画だよ。このテーマ曲を聞けば分かるぞ」つ『ゴジラのテーマ』

昴「これって・・・」

翼「ゴジラじゃないですか~!」

局長「1954年に第1作が公開され、2023年には『ゴジラ-1.0』が公開され、2024年には70周年を迎える怪獣映画のゴジラ。その怪獣映画の帝王ともいえるゴジラは、この『第五福竜丸の被ばく』が制作するキッカケに繋がっているんだ」

翼「そうだったんですか!?ゴジラって映画は知ってますけど、これがゴジラが作られるキッカケになったのは初めて知りましたよ~」

昴「オレもだよ!言われるまで分かんねーよなぁ・・・」

局長「ゴジラは公開された作品によって設定がバラバラなんだが、全作品に登場するゴジラには『放射能』や『核』で共通している。1954年に公開された第1作目では、ビキニ環礁で起きた度重なる水爆実験で安住の地を追われてキレたゴジラが日本近海で船を襲ったりし、やがて東京で破壊の限りを尽くすという展開になっている。最終的にオキシジェンデストロイヤーで息の根を止められるがな」

紗代子「なんか、ゴジラもある意味で核実験に対する被害者ですよね」

局長「そうなるな。1954年に公開されたゴジラそのものが、『反核』や『文明批判』をテーマにした濃密な人間ドラマになっている。単なる娯楽映画の粋を軽く超え、それはやがて世界中に怪獣映画の帝王として認知されていくわけだな」

紗代子「そうなんですね・・・」

 

ちなみに、2001年にハム太郎と一緒に公開され、

ハム太郎好きな子供たちを思いっきり泣かせたらしいとかで話題な

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では

第五福竜丸の母港である焼津港からゴジラが出現したり、

静岡市内で原爆と思われるキノコ雲が登場するシーンがあったり。

 

また、2016年に公開された『シン・ゴジラ』では中盤で

内閣総辞職ビームたるもので都心が壊滅した際などに

高濃度の放射能汚染とかが登場したりしています。

何気に放射能の恐ろしさを現代に伝える映画でもあるんですよね・・・

 

核拡散防止の取り組みについてパチリと1枚。

アメリカやソ連、イギリスに次いでフランスや中国も

核実験に成功したことで核保有国が増えていきました。

一方で原子力の民生利用が進み、核物質や核燃料といったものが

軍事目的で転用されるのではというのが懸念されました。

 

局長「こういう状況下で、核保有国が増えて核戦争勃発の可能性が危惧されていったんだ」

百合子「一時は世界が滅びるとまで言われた、キューバ危機なんてのも前に言ってましたよね」

局長「そうだな。そんなこんなで、1970年に『核不拡散条約』が発効され、非核兵器地帯や核実験の禁止条約が結ばれる事になる」

美也「そうなんですね~」

朋花「でも、前にも見たように核兵器はまだまだいっぱいあるんですよね~」

局長「そうだな。それに、インドや北朝鮮と言った国々がこの条約が誕生して以降に核実験を行っていたりするからな・・・」

朋花「この条約が登場してからも、核実験を行うなんて考え物ですね~」

局長「そうなんだよな。でも、そのおかげで全面核戦争が起こっていないのもまた事実だしな」

百合子「お互い、核を持ってる事が皮肉にも核戦争を止めるキッカケになるなんて・・・」

美也「なんだか、すごく不思議な話ですよね~」

 

核実験が行われるたびに、度々起こっていた抗議運動が功を奏し、

1963年には『部分的核実験禁止条約』が締結されると

大気圏内や水中、宇宙空間での核実験は禁止されました。

しかし、地下での核実験は条項に盛り込まれていなかったので

この条約だけでは、軍拡競争を止めることは出来ませんでした。

 

百合子「大気圏内や水中、宇宙で出来ないからって地下で核実験ってのは、もはや抜け道みたいですよね」

美也「そこまでして、そんなに危険な兵器を作りたいのかが私には分かりませんね~。あれだけ悲惨な事が広島や長崎で起こっていたのに」

局長「そうなんだよな。そんなわけで、1996年に『包括的核実験禁止条約』が採択され、核爆発を含むありとあらゆる核実験は禁止というのが盛り込まれたんだ」

美也「それなら、もう危険な原爆とかは生まれなさそうですね~」

局長「しかし、その条約にも抜け穴が存在していた」

百合子「まだあるんですか!?」

局長「核爆発させなければ実験はしてもOKらしくてな、核爆発に至らない臨界前核実験、コンピューターを使ったシミュレーションにまでは禁止に至っていないんだ。なにせ、洋ゲーに核爆弾が出てくるぐらいなんだぞ」

朋花「結局、完全に核実験は止められていないって事なんですね・・・」

局長「そういう事になる。それに、中国・北朝鮮・インド・パキスタンなどの国々が同意しておらず、さらに2023年にロシアが同意をやめちまったことで、未だに『包括的核実験禁止条約』は発効されていない、すなわちまだ条約としては機能していないんだ」

朋花「そうだったんですね~。一刻も早く条約が機能して、平和な世の中が訪れると良いんですけどね~・・・」

 

核兵器廃絶実現に向けた世界の動き・・・をパチリと。

1991年、西側の大国アメリカと東側の大国ロシアの間で

『戦略兵器削減条約』が締結され、2国間が最初に核を減らしました。

 

2009年にはチェコのプラハで『核兵器のない世界』の実現を

アメリカのオバマ大統領が訴えた後、アメリカとロシアは

更なる核兵器の削減に同意し、2010年に『新戦略兵器削減条約』が

締結された事で、より一層核兵器が減る事となりました。

 

朋花「とはいっても、前に見た核兵器の保有状況では、アメリカやロシアで合計して1万発以上もあるんですよね~」

百合子「しかも、北朝鮮とかが少ないけど作っていたりするんですよね」

局長「そこなんだよな。しかもこの『戦略兵器削減条約』や『新戦略兵器削減条約』はアメリカとロシアで結んだ条約だから、他の国々には関係ないねっていう条約だしな・・」

美也「なるほど~。それだと、核兵器が完全に無くなるのは遅くなりそうですな~」

局長「先の長い話な気がしてならないな」

 

様々なアプローチで、核兵器廃絶が進んではいたりします。

2017年には『核兵器禁止条約』が122ヶ国の賛同を得て採択、

2021年には批准した国が50ヶ国を越えたので発効されました。

 

また、2013年にノルウェーのオスロで開催された会議、

『核兵器の人道的影響に関する国際会議』においては

多くの国々が核兵器が使われたら十分な対応は出来ないという

認識がなされ、同年に南アフリカが中心となって80ヶ国が

賛同する『核兵器の人道的影響に関する共同声明』が発表され、

核兵器を2度と使わず、それを保証する唯一の方法が

核兵器の全面的な廃絶が明記されました。

 

紗代子「私たちが生きている間に、核兵器とかが無くなると良いですよね」

百合子「そうですよね。でも、未だに作っている国があったりするから、それはどれくらい先の話になるんだろう・・・」

局長「まぁ、気長に待とうじゃないか。でも、あんまり気長すぎるのもダメな気がするな」

 

世界の核兵器を取り巻く状況をパチリと。

これからはより一層、条約に賛同しなさそうな国々などにも

核兵器の全面的廃絶の訴えが広がって納得すると良いですよね。

 

朋花「世界中で核兵器が無くなると良いですよね~・・・」

局長「そうだな。ちなみに、この時計の時刻を見てくれないか」

翼「えーっと・・・23時58分30秒ってありますね」

昴「これが一体どうしたんだよ?」

局長「0時まであと何分何秒だ?」

昴「これだと・・・1分半ってところか」

局長「残り1分半で午前0時、この時計が示す23時58分30秒はこれ以上進めてはならない時間でもあるんだ。なぜならば、0時を示した時、全面核戦争で人類が絶滅する・・・と言われているからなんだ

翼「そうなんですか!?」

紗代子「それ、もしかして世界終末時計の事ですよね?」

昴「世界終末時計?」

局長「世界終末時計とは1947年に創設され、0時を『終末』や『絶滅』となぞらえて、そこまでの残り時間を示しているものだ。ちなみに、現在は世界滅亡まであと1分30秒となっているが、これはロシアがウクライナへ侵攻した事で2022年より10秒進んでいるんだ」

紗代子「滅亡まで去年より10秒進んでいるんですね・・・」

翼「人類滅亡って、私たちも死んじゃうって事ですよね。そんなの嫌ですよ~!」

局長「だからこそ、先進国であり被爆国でもある日本がリーダーシップを執って、世界各国に核廃絶を推し進めなければいけないと思うんよな。ちなみに、この世界終末時計は核廃絶などによる条約などが出来ると時間が戻り、核開発とか侵攻などがあると時間が進むようになっている。1991年にソ連やユーゴスラビアが解体された際には、この時計が17分前の23時43分まで戻った事があるんだ」

昴「今よりずっと戻ってるじゃん!」

朋花「でも、今は1分30秒前と言う事は・・・ずっと進み続けているって事ですよね~」

局長「そうなるな。1991年以降の世界終末時計は進んでいる状態であるんだ。世界の平和は滅亡との紙一重の所まで来ている、というのが実情なんだな・・・」

 

続いては『広島の歩み』、ここでは原爆投下前の広島や

投下後において平和の道へ進む広島の歴史が見れます。

 

『戦前の広島』のコーナーをパチリと1枚。

明治維新後の兵制改革により、1871年に東京・大阪・鎮西・仙台に

鎮台が設置され、その際に鎮西鎮台第一分営が広島に設置されました。

そして、2年後の1873年に東京・名古屋・大阪・仙台・熊本と共に

広島に『第5軍管広島鎮台』が設置されました。

 

これにより、広島は中国・四国地方の軍事拠点として成長していき

『軍都広島』としてその名が知れ渡るようになっていきます。

 

莉緒「広島が昔は軍都だったなんてねぇ。今は平和というのが真っ先にイメージに挙がるんだけどね」

局長「戦前の広島は、それだけ軍事色が強い都市でもあったんだ。1894年の日清戦争の時には、物資を中国や朝鮮へ輸送するために宇品港が重要な拠点となったし、戦争の最高機関である『大本営』が東京から広島へ移転した事で、明治天皇も滞在される事となるしな」

千鶴「天皇陛下が広島に滞在されていたなんて驚きですわね・・・」

局長「当然ながら、帝国議会も広島で開催されるようになり、この時点で広島は臨時の首都の様相を見せていたんだ」

莉緒「戦前の広島って、まるで首都みたいな重要な都市になっていたのね・・・」

千鶴「昔は軍都だったなんて、全く逆の様相ですわね」

局長「その一方で教師を育成する『高等師範学校』が東京に次いで2番目に広島に創設され、そのほかにも高等教育機関や私立学校が作られた事で、学都広島としても発展していく事になるぞ」

 

『戦時下の広島のまちと暮らし』をパチリと。

1931年、日本は満州を占領するという満州事変が発生し

国際的に批判をされ、その6年後の1937年には日中戦争が勃発。

しかし、当の日本は軍部や報道機関によるキャンペーンによって

当時の日本の国民世論は一気に戦争支持へと傾きました。

それは、広島県でも例外では無かったのです。

 

局長「日中戦争において、日本軍は中国相手に優勢に進んでいたと思われたが、想像以上に中国軍も粘ったので予想外の苦戦を強いられ、多数の犠牲者が日本軍側にも出ていた。そして、1937年8月末の新聞には戦死した隊員の遺族たちの言葉が載るようになる」

莉緒「戦死した隊員の遺族は、すごく悲しかったハズよね・・・」

局長「悲しかったのは言うまでも無いんだが、それ以上に『陛下のお召』、『当人も本懐』、『本望です』、『平然と語る』、『戦死は覚悟』というのが新聞記事に載ったんだ」

千鶴「それって、まるで戦争を美化しているようなものですわ」

局長「美談調に脚色され、戦争に参加する事に意義があるみたいな感じになったのは言うまでもない。そして、この日中戦争は12月13日に国民政府の首都であった南京が陥落した事で、広島においては戦勝祝賀行事が行われたりしたんだ」

莉緒「戦死者は出たのに、戦勝祝賀行事が行われるなんてねぇ・・・」

局長「てなわけで、日本は日中戦争参戦後から戦時色がより一層強くなっていき、軍都広島はより軍事拠点として発展していく事になるんだ」

 

戦時下における広島にも配られたりしたビラや物資などパチリと。

真ん中にある湯呑みたいなものは、『陶製容器の非常食』であり

中身は牛肉・豆・昆布・ゆで卵が入っていました。

缶詰の容器の原料である金属は金属回収で姿を消していたため

このように陶器を使ったものが出回っていました。

 

局長「非常食を入れる目的で作られた陶磁器製の『特許真空容器』だが、中に入れる食材そのものが不足したので、空っぽの容器だけが多く残ったとも言われている」

莉緒「戦時中は食べ物とかも配給とかになったって言ってたわよね」

局長「そうだな。ちなみに、食品が詰められることがなかった空の容器が多く残っていることもあり、未開封の現物が見つかるまで、缶詰や瓶詰のような密閉状態は陶器だと長く保たれにくく、ふたが自然に外れてしまうなど貯蔵容器としては機能的な疑問があったと思われていたんだ」

千鶴「そうだったのですね・・・」

局長「しかし、1993年に日本缶詰研究所の研究所で1944年に作られた中身が入っていた未開封のものが開封されたんだ。これは横浜市の神奈川食品の研究所が作った試作品の1つで、戦後は神奈川県農業総合研究所に保管されていた。中身は大豆、ニシン、昆布の醤油味付けが入っていたんだ」

千鶴「半世紀前のものが入っていて、それを開封した・・・缶詰じゃない陶器の容器に入っていたものが、ちゃんと食べれるか疑問ですわね」

莉緒「そうよ・・・。いくら缶詰でも賞味期限はそこまで持たないのもあるし、半世紀前のってそもそも食べることが出来たのかしら?」

局長「陶製容器の非常食、その中に入っていた大豆・ニシン・昆布の醤油味付けは、いずれも腐っているとかの様子もなく、しっかりと原型が保たれていたらしい。ニシンは発酵臭が強くて塩辛すぎていたが、それでも全部問題なく食べることが出来たとの事だ」

千鶴「戦前の非常食が、半世紀たっても食べれるなんてすごいですわね・・・」

局長「製造時の真空度は不明だが、それでも高い密封度を保持していたのも驚きの話であるな。協会は『常温で半世紀にわたって貯蔵されていた容器が、内容物の品質を保持し続けていたことは驚異的である』と結論付けているぞ」

莉緒「保存食を入れる容器に、陶器はちゃんと役に立っていたって事なのね」

局長「そういう事になるぞ」

 

『回収で挙げよ 戦後の大戦果』と書かれたポスターをパチリと。

戦時中におこなれた金属回収に関するポスターですね。

広島県においても例外なく行われており、ご家庭の鍋釜だけでなく

お寺の梵鐘まで回収される事態になりました・・・

 

というわけで、ここまで。ではでは