とりあえず、こんにちわ。局長です。

ミリアニ第6話は、神曲『Star Impression』が

流れた超神回ですね!マジでこのシーンは鳥肌立ちました。

アイマスで鳥肌立つ、というのはめったにないことですので・・・。

この曲、マジで安全運転妨害ソングなのでお気を付けましょう。

あと、上京したての紬が可愛いのが3億点ですかね。

 

というわけで、前回の続きでも。

原爆資料館を色々と見て回っている局長。

『消えぬ想い』というブースでは、悲しい部分もある一方で

原爆を乗り越え、誕生した新たな命といった希望がある部分も・・・

局長的に原爆を乗り越えて元気に生まれた子供も

子供を産んだ親もすごいよなって思いますね。

そんでもって、通路へと出た局長はノートに思いを書いたり、

平和記念公園の開発の経緯、そして本館エントランスにあった

少女の写真の詳細などを見た後、次なる展示を観ていく事に・・・。

 

次なる展示は『核兵器の危険性』というのを観て行きます。

広島や長崎に落とされ、多くの尊い命を奪った原子爆弾、

その威力たるは凄まじいもので、多くの生存者にも後遺症を残し、

そんでもって人生をも狂わせるという悪魔の兵器です。

 

局長「そんなわけで、今回は広島や長崎に落とされた原子爆弾こと『核兵器の危険性』となる」

未来「原爆が落とされて多くの人々が死んだり、生き延びても辛い思いをしたりしたんですよね・・・。こういうのって、すごく怖いなって思いましたよ」

可奈「そうそう!戦争は怖いし、原爆も落ちてほしくないですよね」

局長「そうなんだよな。こんな事は二度と繰り返してはならない。だからこそ、核兵器の危険性というのをここで知っておく必要があるわけだな。前回までは原子爆弾が投下された広島の惨状を見てきたが、今回はその原子爆弾の恐ろしさを観て行くとしよう」

 

経済大国としての日本は世界で初めての被爆国だったりします。

そんな原子爆弾が、どんな経緯で開発される事となり、

そしてなぜ日本へ落とされる事になったのか・・・。

 

局長「後に核兵器へ発展する事ともなった『原子の性質』という所まで遡ると、1898年にフランスの物理学者のピエール・キュリーと、ポーランド人の妻マリー・キュリーによって閃ウラン鉱から放射性物質が発見され、彼らはそれを『ラジウム』と名付けている」

未来「ラジウム・・・そういえば、琴葉さんがそんな名前のお風呂に入った事があるって言ってましたよ!」

局長「ラジウム温泉の事だな。日本において、ラジウムは温泉で使われる事で有名でもあって、かつ原爆を知らない戦後生まれの日本人が、唯一味わえる放射能って事になるな」

可奈「ええっ!?放射能って、さっきの展示とかで見たんですけど、肌がすごいことになったり、最悪死んじゃうアレとかですよね・・・?」

琴葉「大丈夫よ。一般的なラジウム温泉では、それほどまでに危険な放射能は出ていないし、むしろ健康効果もあるぐらいなのよ」

可奈「そうなんですか!?」

局長「そうなんだよ。なんだったら、放射能そのものは地球上のあらゆる場所で放出されていて、空気と共に浴びていたりする。その量は微量なので、健康的に問題は無いしな。現にこうして生きているわけだろう?」

可奈「そうですね。でも、放射能って資料館の展示を観て怖いなって思ってたんですよね・・・」

局長「分かる。放射能の間違った使い方、それが原子爆弾というわけなんだな。つーかなんで温泉の話題になるんだ?」

未来「だって、ラジウムって言ったから気になったんですよ~」

局長「そいじゃ、本編へ戻っていくぞ」

 

原爆の開発、それは第二次世界大戦の初期において

連合国の科学者たちがドイツがノルウェーに対して重水の

全在庫を購入する注文をしていた事を察知した事でナチスが

原爆を作っているのではないかと懸念していました。

 

これをきっかけに、アメリカは原子力を使った爆薬の研究を初めており

イギリスは1941年7月のモード委員会で原爆は作れると発表、

アメリカも科学アカデミーが『今後3~4年で実現可能』とし

1945年7月16日に原爆の実験に成功しています。

 

琴葉「原爆が作られるきっかけって、ドイツが原爆を作っているというのを科学者たちが恐れていたからなんですね・・・」

局長「ちなみに、その科学者はドイツなどヨーロッパからやって来た人たちばかりだと言われている。あと、核爆弾を作っているんじゃないかと疑われたナチス・ドイツだが、研究はしていたんだけど、あまり投資をしていなかったので、成功には程遠いレベルだったと言われている」

可奈「そうだったんですね・・・」

局長「なんというか、こうして見てみると、第二次世界大戦で世界各国が疑心暗鬼となり、生まれたのが原子爆弾じゃないかって思うんだよな」

未来「それって、お互いの国を信じられなかったから、原爆が生まれたって事になるんですか?」

局長「局長的にはそう思うんだよね」

 

ナチスドイツの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命した学者、

レオ・シラードはアルバート・アインシュタインと出会い、

そこでシラードはアインシュタインの署名を貰ったうえで

当時のアメリカの大統領だったルーズベルト大統領に

新型爆弾の研究を行ってくれと言う手紙を送っています。

 

局長「この新型爆弾が、原子爆弾なのは言うまでもない」

未来「アインシュタインって、あのベロを出している変顔のおじいちゃんですよね?」

局長「隣の家の爺さんみたいな言い方やな・・・。確かにそうなんだけどさ、そのアインシュタインの署名を入れて核爆弾を作ってくれという手紙をアメリカ合衆国大統領に送っている。この手紙の文面には、ナチスドイツが核をエネルギーとした開発を示唆する事実が書かれており、アメリカの原子爆弾開発のキッカケの1つにもなったと言われているんだ」

可奈「この手紙が、原子爆弾を開発するキッカケとなった手紙なんですね」

局長「まぁ、この手紙が1939年に送られてからアメリカが原子爆弾開発に着手するまでに3年掛かっている」

琴葉「そうなんですね。でも、確かナチス・ドイツが研究していた原子爆弾って成功に程遠いって言ってましたよね?」

局長「そうだな。現に1945年3月にナチス・ドイツは原子爆弾を作っていなかったことが分かってな、ルーズベルト大統領に再び手紙を送っているが、ルーズベルト大統領が急死して読まれることは無かった。代わりにトルーマン大統領に送られる事となり、それがキッカケで新政権で国務長官になったジェームズ・フランシス・バーンズとの会見が設定されたんだ」

 

この手紙はアインシュタインが署名したものとなっていますが、

これについてアインシュタインは署名した事を後悔していました。

というのも、原子爆弾の脅威をアインシュタインが知らないはずもなく

それがどんな影響を及ぼすのか分かってはいたものの

ナチスドイツが核爆弾を作っているという話を聞いたうえで

『こうするしか無かった』と後に語っています。

 

琴葉「アインシュタインは、この手紙の署名に関して後悔しているんですね・・・」

局長「そうなんだ。それはそうと、国務長官のジェームス・フランシス・バーンズとの会見が設定されたという話の続きがまだだったな。この会見、後に『バーンズ訪問』と呼ばれるこの会見、シラードは原爆の実戦使用が『戦後の国際的核管理体制を不可能』とし『危険な核開発競争を招く』など持論を話したんだ」

琴葉「まるで、後の未来を予測していたかのような持論ですよね」

局長「現に北朝鮮など常任理事国以外の国々も核ミサイルを持つこととなったからな。という事は、国務長官のバーンズはシラードの持論に対してどうしたのかというと・・・?」

未来「えっと、ノーって言ったんですか?」

局長「その通り。国務長官のバーンズは、シラードの意見に耳を貸さなかったんだ。それどころか、バーンズは原子爆弾投下の強硬派でもあったんだ。今でいうタカ派だな」

可奈「原子爆弾を落とすことに賛成する人がいたんですね・・・。あんなことが起きたのに、酷い人がいるなんて・・・」

局長「これについては、深い事情があったりしたんだ。しかし、バーンズがもしここで話を聞いて開発を止める命令を下せば、核開発などは今より無かっただろうし、広島や長崎への投下は当然無かっただろうな。シラード含む科学者たちは原子爆弾投下をやめろと反発したが、科学者たちの声は政治には届かなかったんよ」

未来・可奈「「へぇ~・・・」」

 

アインシュタインの署名が入った手紙が送られて3年後、

1942年にマンハッタン計画が始動して原爆開発が始まりました。

名前の由来は、ニューヨークのマンハッタンに本部があったことから。

ドイツなどの一部枢軸国が核爆弾を作ってるんじゃねぇか?と

アメリカ・カナダ・イギリスが焦ったために生まれたプロジェクトで

この計画は、戦後の核兵器開発や核実験競争の冷戦を招きました。

 

局長「なので、『計画は大したもんだけど、実際にやったら悪い意味でヤバいやん』という比喩表現で『マンハッタン計画』という言葉があったりするんだ」

紗代子「比喩表現にそんなのがあるんですね。でも、この計画で原子爆弾が開発されて、戦後には北朝鮮とかが核を持つようになったんですよね・・・」

局長「それどころか、一歩間違えれば世界が滅ぶキッカケとなった『キューバ危機』も招いたからな。遺恨を残しまくりなんよ。おまけに1945年3月にはナチスが原子爆弾作ってなかったって話だしな」

杏奈「本当に・・・ロクな事・・・ないね・・・」

局長「ちなみに、マンハッタン計画においてはウランの濃縮やプルトニウム製造には大規模な設備などが必要となり、原爆の開発には軍・科学者・産業界を総動員したものとなったんだ」

瑞希「原爆の開発に、そこまで力を入れていたのですね・・・」

局長「そう言う事だな。ちなみに、シラードの手紙に署名したアインシュタインはこの事を知らず、アメリカもアインシュタインの政治姿勢を警戒して伝えもしなかったようだな」

 

続いては『日本への投下』となります。

アメリカは長引く戦争を終結させるための手段として、

1945年11月に展開予定だった日本本土上陸作戦こと

『ダウンフォール作戦』、ソ連への対日参戦の要請、

天皇制の存続を保証して降伏を促す事・・・というのがありました。

 

その中にプラスして、日本への原子爆弾投下も追加されました。

 

局長「その一方で、日本の戦況は連合国に対して不利な状態が続いていた。こうした状況下において、アメリカは『ソ連の影響力を抑えられる』『莫大な費用を使って作った原爆を正当化できる』『戦争を終結させることが出来る』という様々な理由などを付けて、日本へ投下する事を検討したんだ」

杏奈「戦争を終わらせるために・・・核を落とすって・・・まるでゲームみたい・・・」

紗代子「実際には多くの無関係の人を巻き込んだから、それが理由だと許せないですよね・・・」

局長「でも、現にアメリカ世論において『原爆投下は正しかった』というのがあるらしい」

杏奈「原爆で・・・苦しんだ人もいるのに・・・正しかったっていう認識が・・・ひどい・・・」

局長「まぁ、これは古い世代の人に多いらしいが、多様化する今を生きる子供たちからは、『こんなことする必要があったのだろうか』という原爆投下に対してやっちゃいけないと意見が出ているらしい」

瑞希「子供たちは、広島や長崎であった悲惨な事を習っているから、それを知って反対したりするんですね」

局長「そう言う事になる。てなわけで、本題へ戻っていくぞ」

 

アメリカとソ連の関係、ポツダム宣言の発表をパチリと。

前者は後に冷戦で敵国同士となるアメリカとソ連の関係、

1945年2月にソ連のヤルタで開催されたヤルタ会談では

アメリカ・イギリス・ソ連の首脳がそろって参加し、

ドイツが降伏してから3ヶ月以内に対日参戦する事を

アメリカ側はソ連に要請していました。

 

局長「その後、ドイツは5月に無条件降伏する。その一方でアメリカとソ連はヨーロッパの戦後処理の件で関係が悪化してしまったんだ」

紗代子「元々、アメリカとソ連は手を組んでいたってのは初めて聞いたんですけど、その関係が崩れたのはヨーロッパでの戦後処理がキッカケだったんですね」

局長「そんでもって、ソ連が対日参戦する事をキッカケにして勢力を拡大するのではとアメリカは恐れてしまう。その証拠に、アメリカは日本が中立条約を結んでいたソ連と和平工作を試みているというのを、暗号解読や無線傍受でキャッチしていたんだ」

瑞希「だから、ソ連が勢力を拡大する前に戦争を終わらせるという口実で原子爆弾を日本へ投下したんですね・・・」

局長「それも理由の1つになるな」

 

後者のポツダム宣言は、アメリカ・イギリス・ソ連の3ヶ国が

ドイツのポツダムで会談中にアメリカが原子爆弾の開発に

成功したという情報をトルーマン大統領がキャッチした事で

アメリカは1945年7月25日に日本への原爆投下を指示、

翌26日にはアメリカ・イギリス・中国の3ヶ国による

『ポツダム宣言』が発表されました。

 

局長「このポツダム宣言は、日本の天皇制存続に関する文、原爆の有無や使用については書かれておらず、日本側は当初は受諾しなかったんだ」

杏奈「そうだったんだね・・・杏奈・・・習った事無いから・・・初めて聞いた・・・」

局長「学校の授業で聞いた事ぐらいはあるだろうに。まぁそれはともかく、ポツダム宣言を拒否するやろっていうのはトルーマン大統領にとって織り込み済みだったらしい。しかも、日本がポツダム宣言を一旦拒否する事である事が正当化できるとまで思っていたからな」

杏奈「ある事って・・・もしかして・・・原爆の投下・・・?」

局長「その通り。原爆を投下して日本への核攻撃を正当化、そのうえで降伏の効果が生まれると判断していたんだ。現に広島や長崎への原爆投下で甚大な被害が出たし、日ソ中立条約を結んでいたソ連が8月9日に一方的に条約を破棄して日本が統治していた満州国・朝鮮半島北部・南樺太へ侵攻し、ソ連の対日参戦が行われている。この事を聞いた当時の鈴木首相は『ポツダム宣言を受諾する他なかった』と言ったんだ」

紗代子「じゃあ、全部アメリカの思いのままに進んだって事なんですね・・・」

局長「そう言う事になるぞ」

瑞希「なんだか、政治家が戦争を動かしている感じで、ちょっと憤っているぞ・・・むかむか」

局長「戦争は政治家のゲームみたいなもんだからな。クソだぜ」

 

ちなみに、最近ですが某アイドルが北海道でライブした後に

『日本へ帰ってきました~!』という呟きをしたことで

一部の界隈が『北海道を日本と思わん時点でコイツあほか』とか

プチ炎上した案件があったのは新しいでしょう・・・

 

ソ連の対日参戦において、実は戦後においても北海道にソ連が

侵攻していた事があるという事実を知らない人も多いと思います。

これを、当時北海道にいた先人たちが食い止めた・・・という

歴史的エピソードがありますが、これはいずれ話すとしましょう。

 

そして、『広島への投下』の展示エリアへ・・・。

1945年の初めごろから、日本のどこへ投下しようかという検討が

アメリカで始まっており、投下目標は約4.8km以上の市街地をもつ

都市の中から選んだとされていますね。

 

そのうえで、爆風で損害を与えることが出来るなどの条件をつけ

それをクリアした都市には空爆を禁止しました。

そのうえで、最終的に新潟・広島・小倉・長崎が選ばれました。

また、意外ですが戦災に遭っていない京都も対象に入ってました。

それも、広島より重要だとされていたとか・・・

 

紬「原爆投下のリストに京都が入っていたって意外ですね」

エミリー「日本の美しい古都が原爆投下の対象に・・・なぜ、原爆投下の項目に京都も入っていたのですか?」

局長「『人口100万を超す大都市』『日本の古都』『多数の避難民と罹災工業が流れ込んでいる』『小さな軍需工場が多かったこと』『原爆の威力を知る上で京都盆地は最適な土地だった事』が挙げられる。これは、原爆投下1ヶ月前まで議論がなされたが、最終的に『京都に落としたらアメリカの言う事聞かんくなるやろ』という話になって除外されたエピソードがあるんだ。その代わりに、長崎市が入った事になるがな」

エミリー「京都への原爆投下計画には、そのような話しがあったのですね・・・」

局長「原爆投下は、あくまで軍事物に限る!と取り決めたことで東京も外されている。その後、小倉は天候不良で原爆投下を免れ、新潟も工業地域と住居地域が離れていて原爆投下に不向きと判断されて除外されたんだ」

紬「金沢も空襲はされていない都市なのですが、新潟も空爆されていないのは初めて知りました・・・」

 

また、原爆とは別に模擬爆弾を日本各地に投下しました。

その名も『パンプキン爆弾』、アメリカの砂漠で訓練をしていた

アメリカ軍ですが、日本への原爆投下の日が近づいてくると

日本の地理に慣れるために日本の様々な都市において

模擬爆弾ことパンプキン爆弾を投下していきました。

 

局長「この爆弾は、原爆を落とす練習の爆弾として使われていた。なので、原爆投下候補都市として最後まで残った広島、長崎、小倉、新潟は空爆禁止なので、それらの周辺都市が選ばれている。広島であれば山口県宇部市や愛媛県新居浜市、新潟であれば長岡市や富山県富山市が該当するぞ」

エミリー「原爆を落とす練習で、関係のない都市に落として練習台にするなんて・・・。それで亡くなった人たちもいるのに酷いですよね」

局長「しかも、富山市の軍需工場へ落とす予定が天候悪化で失敗したので、静岡県島田市や焼津市、静岡市、愛知県名古屋市、大阪府大阪市など軍需工場の無いようなエリアに落としていくという、もはや八つ当たりみたいな悪魔的所業をしていったんだ」

紬「そんなことまで・・・。この人たちには、本当に人の血が流れていたのでしょうか」

局長「それにプラスして、目標に落とせない場合は臨機目標としてどの都市でも良いから、とりあえず街の真ん中に落とせという話まであったらしい・・・」

紬「その爆撃に巻き込まれて、亡くなった方もいるんですよね・・・。こんな事をしたアメリカと国交を結んでいるのも信じられませんね」

局長「普通なら孫の代まで断交ものなんだがな。そこはアメリカ、アメとムチなんやろな。それに、国民性もあったのかもしれないしな」

エミリー「でも、南瓜爆弾のこれは許せないですよね」

局長「なので、本当に戦争は止めていただきたいものだな」

 

模擬爆弾の投下エリアをパチリと、本州と四国に固まっており

実に18都府県30都市へ投下されていきました。

ちなみに、1発は任務放棄で海上投棄されたものが存在します。

また、有効な兵器として期待されたパンプキン爆弾でしたが

生産コストが見合わないため、テニアン島に残っていた66発が

そのまま海に沈められて破棄されました。

 

というわけで、ここまで。ではでは