とりあえず、こんばんわ。局長です。

今日も忙しくて、目が回る~って言いたくなるレベルでしたね。

それ以外は特に何もない日常でした。無念なり。

 

というわけで、前回の続きでも。

徳島にて朝食を、というわけで徳島自動車道にある

上板サービスエリアへと立ち寄った局長。

そこで、徳島のブランド鶏を使った『阿波尾鶏チキンカツ定食』と

『フライドポテト』を頼んで、ご機嫌な朝食を食べたわけで・・・

阿波尾鶏チキンカツは、チキンカツながらジューシーでした。

ケチャップとマッチしていて、さらにグッドでしたし。

てなわけで、朝飯を食べた局長は上板サービスエリアにある

マップなどを見に行ったりするのであった・・・。

 

上板サービスエリア内にあった大きなマップをパチリと。

四国全体の地図を出しており、高速道路や国道が記されていて

さらには四国4県の有名な観光地が写真付きで出ていました。

では、徳島県の観光名所は何が出ていたのかというと・・・

 

徳島の観光名所をパチリと、阿波踊りやドイツ館に鳴門の渦潮・・・

さらには前日に行った大塚国際美術館も載っていました。

そんでもって、次の目的地もこの中に入っていたり。

おっと、それに関しては着いてからのお楽しみなんですよ。

 

環「えぇ~っ!教えてくれないの~!」

局長「着いてからのお楽しみやっちゅーねん」

まつり「大塚国際美術館は見に行ったのですから、大塚国際美術館以外のどれかなのですね」

環「美術館以外のどれかって、多すぎて分かんないよ~」

局長「だから、着いてからのお楽しみだ」

まつり「でも、局長は西へと向かって行っているのですよね?」

局長「せやね。西へと向かっているかんね。今回はドイツ館とかは行ってないからね」

 

サービスエリア内を歩く局長、こんな紹介を見つけたのでパチリと。

『阿波の藍染め』の紹介、藍染めというのは聞いたことありますが

これはその中の『阿波藍』という物だったりします。

 

江戸時代には徳島藩の保護奨励策によって盛んになっていき

一時期は日本の藍染め市場を席巻するほどでした。

しかし、20世紀には安価なインド藍や合成染料の登場などによって

明治後半には一気に衰退していったそうです。

 

局長「阿波の藍染めの原料となる『阿波藍』の栽培は、平安時代初期に阿波忌部氏が織った荒妙を染める際に藍を栽培したのがルーツだと言われている」

環「ねぇねぇおやぶん、阿波忌部氏って誰?」

局長「古代の朝廷祭祀を担当した忌部氏という氏族がいたんだが、その氏族に奉仕した集団が『阿波忌部氏』っていう存在なんだ。今でいうと忌部氏に色々と尽くしていた人たちってわけだな」

環「そうなのか~・・・。おやぶん、やっぱりこういうのは詳しいね」

局長「調べているからな。その後は阿波国において三好家の戦国武将だった三好義賢が上方から青屋四郎兵衛を呼び寄せ、『すくも』を使った藍染めを行ったり、徳島藩の保護奨励策に阿波の藍染めを入れたりして、発展させていったと言われているな」

まつり「そういう歴史があったのですね」

環「阿波藍には色々な事があったんだね。ところでおやぶん、『すくも』ってなーに?」

局長「『すくも』とは藍の葉っぱを細かく切って乾燥させた後、この藍の葉っぱに水を打って100日ほど発酵させて出来た物の事だな。染料の原料であり、別名が『藍玉』だなんて言われている。『藍玉』の方が知名度で気には高いかもな」

環「そうなのか~!くふふ、ちょっと勉強になったぞ」

局長「しかしながら、インド産の藍や合成染料の登場で阿波藍は明治時代には衰退してしまう。しかし、1978年に阿波藍製造技術保存会の『阿波藍』が文化財保護法による『選定保存技術』に認定されている。現在では伝統産業や観光産業の方にシフトしている感じだな」

まつり「衰退したとしても、こうして残っている事は凄い事なのです」

局長「せやね」

 

謎のイルカ(※)のモニュメントをパチリ、右側の大きなイルカ(※)には

大きな羽っぽいのがついていて、その真ん中にある丸い部分には

光の反射で見えにくいですが、地図が描かれています。

後から調べたところ、高知方面への地図らしいです。

 

※・・・『クジラではないか』というご指摘のコメントがありましたので

再度調べてみたら『クジラのモニュメント』との事でした。

コメントでのご指摘、ありがとうございましたm(_ _)m

 

上板サービスエリア内にある展望台をパチリと1枚。

この広場には『源流の広場』という名前がついていたりします。

両側にあるモニュメントは、吉野川の源流から力強く沸き上がり

暴れ狂うような荒々しい川の流れをイメージしたものだとか。

 

ここから、レストラン前面にある『流れの広場』という場所には

吉野川を流れる水のうねりの様子をイメージした模様があるとか。

これについては、後からチラっと写っていたりしますので・・・。

 

局長「吉野川は別名『四国三郎』と言われるほど有名な川で、日本三大暴れ川の1つでもあるんだ」

恵美「四国三郎って、まるで人の名前みたいだね」

局長「日本三大暴れ川の残り2つ、利根川は『坂東太郎』、筑後川は『筑後次郎』って付いてるからね」

恵美「なにそれ、まるで兄弟みたいだね」

局長「暴れ川としてな。それはさておき、その吉野川は高知県と徳島県を流れる川であり、四国において流域の生命線として多大なる水の恩恵をもたらしている。前に香川用水の話をしたと思うが、その香川用水も吉野川の恩恵を受けているからな」

琴葉「そういえば、前に香川用水は吉野川の豊富な水を引っ張ってるって言ってましたよね。洪水が起きやすい吉野川は水が豊富であり、ため池を作っても旱魃を防げない香川県はそこに目を付けたんですよね」

局長「せや。よく覚えてくれていたね。豊富な水を持っている一方で、それが洪水となって牙を向けることもある。数多くの水害を巻き起こしており、有史では886年に起こった物が最古だと言われている」

琴葉「886年って、1200年以上も前から吉野川では洪水が起きていたんですね・・・」

局長「ちなみに、吉野川の河川開発は江戸時代に入ってからだ。徳島城を本拠地とする歴代藩主の最大の課題というのが、吉野川の治水と利水だったぐらいだからなぁ」

恵美「徳島の殿様って、吉野川の事を考えないといけなかったんだね」

局長「そう言う事になる。初期の整備としては竹林整備だったりする。築堤の他水防竹林の植生、住居には『石囲い』という石垣を積み重ねて住宅の高さを嵩上げしたりしたんだ」

恵美「へぇ~・・・。江戸時代から、そう言う事をやっていたんだね」

局長「ちなみに、この時は高知側で豪雨になると徳島で雨が降っていなくても水害に見舞われる事があった。このため、徳島での豪雨による水害を『御国水』と言い高知での豪雨に伴う水害を『阿呆水(土佐水)』と呼んだんだ

琴葉「高知で降った雨が徳島にも影響していたんですね。しかし、高知で降った雨を『阿呆水』って言うなんて・・・」

局長「高知で降った雨によって、徳島まで巻き込まれるのは当時の人たちからしたら腹が立ったこともあるんやろな」

 

ちなみに、『阿呆水』というのは今でいう鉄砲水だとか。

小手先だけでの対策では通用しない・・・というわけでして

吉野川の利水と治水は現代に渡って進んで行くわけですね。

 

その吉野川のモニュメントの所にて『旅人の座』をパチリと。

ええ、局長は立派な旅人ですよ。何だか迎えられてるようで嬉しいね。

なんか、ここまで来たなって印象付けられますね。

 

そのモニュメントの近くにて、旅人の座の碑を見つけました。

パチリと1枚、ちなみに局長も写り込んでいます(笑)

そんでもって、この石碑には何が書かれているかというと・・・

 

『阿讃の山々の野端を吉野川源流に擬えた場に

石雲式は波形の床机をおき、一時の憩いに供えたいと思う』

 

作者の名前はないですが、その作者は吉野川について

すごい思いがあって、こういうのを作って憩いの場にしたと・・・

そして、旅をするうえで吉野川は重要な地であるという事を

この憩いの場で感じ取ってほしいとか?それについてはオーバーか。

 

その旅人の座からパチリと、この位置からだと高い周りの雑草に

一部分が覆われる形で、景色があまり見えにくいですね。

ちなみに、ここから見える景色は上板町がメインだとか。

ちょいとのどかな風景を眺めることが出来ますよ。

 

杏奈「周りの雑草とかが・・・邪魔で・・・ちょっと見えにくいね・・・」

局長「それでも、景色の美しさは伝わってくるだろ」

翼「でも、やっぱり開放的な方が良いですよ~」

局長「気持ちは分からんでもない」

 

その周りを雑草に覆われて、見えにくい展望ゾーンなのですが

その場所にあった展望案内をパチリと1枚。

ここからは上板町だけでなく、徳島市中心部や眉山といった

徳島市の景色や『第十のセキ』といった景色も見れるとか。

 

翼「第十のセキ?」

局長「正式名称は『吉野川第十堰』、板野郡上板町と名西郡石井町の間にある堰の事で、吉野川を分流するために作られたものだな。これも、度々水害を巻き起こす暴れ川でもある吉野川の利水・治水のために出来たものだな」

翼「へぇ~。洪水とかを防ぐための物なんですね」

局長「この第十の堰は、1672年に蜂須賀網通が徳島城の防御を固めるために吉野川と別宮川を繋げる水道を掘削する工事を行ったことから全てが始まる。その工事の後に起きた洪水で、この水道が拡大した事で別宮川が吉野川の本流に変わってしまったんだ」

杏奈「それってつまり・・・今の吉野川は・・・もともと別の川を通っているって事?」

局長「正確には一部区間がそうなっている。別宮川が吉野川本流となった事で、昔の吉野川と呼ばれていた川は『旧吉野川』という名前に変更されている。その結果、旧吉野川に流れていた水の量が減ってしまったことで流域の稲の栽培に大きく影響が出たんだ」

杏奈「川の流れ1つで・・・稲の栽培に・・・影響が出たんだね・・・」

局長「稲は水が大事だからな。そんなわけで、この事態を重く見た徳島藩は1752年に水位を嵩上げし、旧吉野川へ水が流れるようにするための堰を当時の第十村(現・石井町)に作ったわけだ」

翼「それが、今言っている『第十の堰』なんですね」

局長「そう言う事。第十の堰という名前は、堰が作られた当時の村の名前から来ている。この第十の堰の工事は吉野川における藩政最大の土木工事と言われ、その後も何度か継ぎ足しが行われて今に至る。そんでもって、この堰は今もちゃんと機能しているそうだ」

杏奈「江戸時代に作られた物が・・・今も機能してるって・・・なんだかすごいね・・・」

 

色々あるのですが、第十のセキは妙に気になったので

ちょいと調べてみると、これが結構深い話だったりします。

まさか、江戸時代に作られたのが今も機能しているなんて・・・。

 

パチリと1枚、ここから徳島市方面は霧か何かに覆われるかのように

ちょいと見えづらく、後ろの山々がメインとなってますね。

しかしながら、ちょいとのどかな風景は見ていて落ち着きますね。

そんでもって、やはり展望台からの景色は良いね。

 

局長「ちなみに、ここから見えると言われる『第十の堰』、実は可動堰という物に取り換えられる予定があったんだ」

杏奈「そんな事があったんだ・・・ところで・・・可動堰ってなに・・・?」

局長「可動堰とは、簡単に言えばゲートの開閉によって水量を調節できるやつだな」つ可動堰

杏奈「これ・・・何かのゲームで・・・見たことある・・・」

翼「じゃあ、今ある第十の堰って可動堰っていう物じゃないんですか?」

局長「そうなんだ。江戸時代から機能する『第十の堰』は『固定堰』という物で、最大の欠点は水位調節が出来ない事や、洪水とかを抑えると言いつつも逆に洪水を招くキッカケにも繋がっていたりする。その第十の堰を可動堰にする事に対する是非を巡って、様々な運動などが徳島県内で度々起こっていたんだ」

翼「洪水って怖いですよね。だったら、その可動堰っていうのにしてしまえば良いと思うんですけど」

局長「そうだと思うだろ?これは世論をも巻き込んだ話になってしまったんだ」

 

ここで、ここから見えるとされる『第十の堰』について

徳島県民なら知っていそうなこんな話でも。

第十の堰は現在も固定堰ですが、1980年代~1990年代には

可動堰に変えようかという、ちょっとした話が持ち上がっていました。

1997年には当時の徳島県知事が『可動堰がいいね!』という

発言をしているだけでなく、1998年には第十堰審議委員会が

固定堰から可動堰に変えるのが妥当という意見を出したのです。

 

局長「これによって、可動堰に反対する住民団体が反発してしまったんだ」

翼「水量を調節で来て洪水が防げる、っていうのが可動堰なんですよね?良いと思うんですけど、どうして反対派がいたんですか?」

局長「第十の堰を可動堰にする事で、吉野川の環境悪化だけでなく、下流の干潟に深刻なダメージが出るのでは?という懸念があったんだ」

杏奈「確かに・・・そう言うのを作ると・・・環境が悪化するって・・・テレビとかで聞いたことある・・・よ」

局長「しかも、1000億円もの莫大な工費が掛かると試算されていた」

翼「1000億円!?すごい金額ですね・・・」

局長「この頃は全国各地で巨額な公共事業があると、反発の声が多数あった時代だ。ダムや堰といった巨額な公共事業への反発に、マスコミが報道しまくった事で反対運動はさらにエスカレートしてしまったんだ」

翼「そーだったんですかぁ。それで、結局どうなったんですか?」

局長「1999年に住民投票が行われ、その結果は反対する票が91.6%を占めたことで事実上、第十の堰の可動堰化は中止となった。ちなみに、この『第十の堰可動堰化問題』で、ある言葉が話題になったと言われている」

杏奈「ある言葉・・・?」

局長「『投票へ行こう』だ。これは今の国政とか地方選挙でも続けられているんだそうだ」

杏奈「投票へ行こうって・・・この事件が・・・ルーツだったんだね・・・」

 

ちなみに、賛成派は棄権して可動堰化を進めようとしましたが

当時の徳島県知事は反対派に肩入れした事で

可動堰化そのものが白紙になってしまったそうです。

 

上板サービスエリア全体案内図をパチリと1枚。

このサービスエリアは、徳島の様々な名所や名産といったのを

表現しているというちょっとしたプチ徳島旅行を味わえる場所だったり。

他はどんな感じなのか、一度立ち寄った時に見てみるべし。

 

てなわけで、サービスエリアにてミネラルウォーターを買いました。

運転中に喉が渇いたときなどに、ちょいちょい飲むんですよね・・・。

ちなみに、『吉野川の流れる水のうねりを表現した』という模様は

この場所のどこかにチラっと写っていたりします。

 

てなわけで、TDU風なアングルにてパチリと1枚。

レンタカー旅とかをすると、こういう風にパチリとしたくなりますね。

そんなこんなで、上板サービスエリアにて一息入れた局長は

次なる目的地へと向けていざ出発するのであった。

 

というわけで、ここまで。ではでは