とりあえず、こんばんわ。主です。

はぁー、通信講座って主的に学生時代の宿題みたいな感じだな。

主は学生時代、宿題をあまりやらないタイプでしたので。

 
というわけで、前回の続きでも。
市電保存館にてハマを走った市電を見て回った主。
500型から1600型まで、保存車両は少ないけども
電車の保存状態は良く、中に入るとレトロさと同時に
主の地元にもこんなの走ってるなぁと親近感が湧きました。
他にも分岐器やつり革などの関連品を見て回った主、
次は横浜市電に関する書籍や横浜の歴史をさらに見に行くことに・・・
 
興味深い本があったのでパチリと、『横浜市電が走った街・今昔』です。
この本には、横浜市電の元あった電停に関する情報やら
市電の路線図など、横浜市電を分かりやすく掲載しています。
鉄道に興味がないけど、横浜の事を意外な面を知りたいと思う人は
市電保存館に来てこの本を読んでみるとイイでしょう。
 
百合子「横浜市電の事がギッシリと詰まった本なんですよね!」
主「そうそう。主的に面白いと思ったのは電停に関する事だな」
紗代子「その電停のあった時代と、今の景色を対比しているんですよね」
主「まぁそうなんだが・・・ではそれに関してちょっと見ていくか」
 
その書籍をちょっとパチリと、電停の事が紹介されているのですが
その中でも『雪見橋』と『紅葉坂』の紹介が面白かったので・・・
電停名に橋がなくても雪見橋、紅葉が無くても紅葉坂という紹介が
ちょっとクスッと来たので、これはぜひとも見ておくといいですね。
 
翼「なんで橋がないのに『雪見橋』って名乗ったんですか?」
主「元々、桜川という川が流れていてそこに架かっていた橋に『雪見橋』というのがあり、そこから名前が付いたんだ。桜川は後に埋め立てられ、雪見橋という橋は無くなるも、電停の名前だけは残ったんだ」
エレナ「雪見橋の名前の由来って、昔の橋の名前だったんだネ」
主「そういう事になるな。一方の紅葉坂は、元々紅葉橋だったんだが『坂』がつく電停名に後々変えている。ちなみに、紅葉橋は今も現存する橋だったりするぞ」
 
恵美「これは・・・市電の路線図だよね?」
紬「路線ごとに色分けされていて分かりやすいですね」
主「そうだな。この色分けで廃止時期はいつなのかよく分かるようになってるぞ」
恵美「は?これって廃止時期を表している路線図なの?」
主「左下の色分けの所を見たかな?路線カラーは廃止時期の年月日が書かれているぞ」
紬「路線のところにも年月日がありますけど、これは開通した時のですか?」
主「そうなるな。だから、これを見ればどの路線がいつまで存在していたかが分かるようになってるんだ」
 
路線カラーといえば、JR各社などが導入していますよね。
特に三江線、廃止が決定されてたのにラインカラーが後から出たりと。
JR西の北陸エリアではラインカラーの設定がないんですよ。
まぁ、3セク鉄道分離のやつもあるからしゃーないけどさ。
 
それはさておき、この本の路線図には開業した年月日とは別に
路線カラーを付けて廃止時期を分かりやすくしています。
ラインカラーにそういう使い方があったのかと妙に納得です。
 
イートインスペースへとやってきました。
このイートインスペースの隣に花電車があったりします。
それはさておき、イートインスペースには懐かしの品々が。
タバコは『しんせい』、『ハイライト』、『ゴールデンバット』、
『ピース』があったりとこの4種って今もコンビニにあるよーな・・・
 
昔懐かしいそういう物がディスプレイに飾られていました。
また、見切れてますが画像右手にはモニターがあり
横浜市電の始まりから、さよなら市電までのことが流れてました。
なんつーか、あの映像のエンディングには中島みゆきの『時代』を流すと
ちょっとグッとくる映像作品になるなぁと思ったり・・・
 
イートインスペースには、こんな感じで自販機がセットされてます。
左側にあるのが、ホットスナック系の物になりますね。
インスタントのたこ焼きやら唐揚げやら炒飯が出てくるタイプです。
左手の自販機、出ている写真がちょっと古めですね。
こういうホットスナック系の自販機、病院やゲーセンぐらいにしかないです。
 
イートインスペースで一休みした後、次の展示を見に行くことに。
『横浜の発展と都市交通のあゆみ』、横浜市といえば日本で最初の
鉄道が敷設された都市として学校でも習うと思います。
日本屈指の貿易都市で、横浜港を有する港町横浜は
どのようにして発展したのかちょっとこれで見て行きましょう。
 
東海道と横浜の開港、横浜は元々小さな漁村だと前に言いました。
しかし、幕末にて黒船が来航すると江戸時代から続いていた鎖国をやめ
日本は開国し、世界の国々との貿易が始まったのです。
 
主「ところで、開港五港は全部言えるかな?」
可奈「えっ?!えーと・・・横浜港と・・・えーとえーっとぉ」
歌織「函館港・神戸港・新潟港・長崎港、ですよね」
主「さすがだな。開港五港は学校の授業で習うからよく聞いておくべし!」
可奈「は、はい~・・・」
主「まぁそれはともかく、横浜のさらなる発展の1つに開港もあったんだ」
歌織「そういえば横浜市には開港記念日なんてのもありますよね」
主「そうなんだ。実は開港五港のうち、横浜だけは神奈川湊という別の港で開港する予定で、横浜村は外れていたんだ」
可奈「じゃあ、それがどうして横浜村で開港になったんですか?」
主「神奈川湊の周辺は東海道の宿場町でもあり、交通の要衝だったんだ。幕府は混乱を防ぐため、『横浜村も神奈川の一部』と認め、横浜村を開港の場所としたわけなんだ」
歌織「これがキッカケで、横浜は港町として発展していくんですね」
主「そういう事になるな。これがなければ、横浜の景色は変わっていたのかもしれないし、横浜市の中心部は神奈川区だったりするかもな」
 
その当時の横浜村はさびれた寒村だったというわけですが
開港によって一気に開けた街とも言われています。
画像上にあるイラストは、文明開化当時の横浜を描いてますが
よーく見るとそこには鉄道が走っている描写もされています。
 
新田開発と開港場の建設をパチリと1枚。
埋め立てが行われたことにより、江戸時代以前の1600年と比べてみると
1881年には海岸線の位置がさらに海側に出ています。
これにより、横浜の発展がさらに進んだとも言われていますね。
 
汽笛一声新橋を~♪はや我が汽車は離れたり~♪
新橋~横浜間にて1872年に日本で初めての鉄道が走り始めます。
画像の上にある白黒写真は、初代横浜駅こと横浜停車場です。
この17年後、1889年には神戸まで延伸して東海道本線が全通し
首都圏と京阪神が鉄路にて繋がる事となりました。
 
静香「そういえば、日本で初めての地下鉄が上野~浅草だったのは最も利益が出る区間だったから、というので建設されたんですよね?」
主「その通りだな」
未来「そもそも、なんで日本で最初の鉄道は新橋~横浜だったんですか?」
主「明治時代になって、東京~大阪間を結ぶ路線の建設話が上がったところから始まる。しかし、鉄道敷設以前に廃藩置県による負債を政府が肩代わりした結果、建設費用が出なくなってしまったんだ」
未来「それじゃあ、鉄道は作れないですね!」
主「そうなるな。また、2018年の大河ドラマの『西郷どん』の主人公である西郷隆盛は鉄道建設に大いに反対していた人だしな」
静香「西郷隆盛って鉄道建設に反対していたんですか・・・」
主「鉄路敷設より軍の強化をと言ってたからな。しかし、それでも民間から資本を出してでも作るべきとの声も上がったが、実際に鉄道を見ない事には分からんという事で、1869年にモデルケースとして東京(新橋)~横浜間が建設されることとなったんだ」
静香「新橋~横浜間は実験的な路線で作られたんですね」
未来「でも、なんでそれが新橋~横浜だったの?」
主「流動が多かったのが東京~横浜間だったからな。経緯は違うが、流動の多いところから作る点は、日本初の地下鉄である銀座線と同じだな」
 
日本初の鉄道開業、その時に走った150型蒸気機関車をパチリと。
実物の展示については今回の旅で訪れた『鉄道博物館』にあります。
当時の列車を見ると、おもちゃの国にありそうな感じの車両だな・・・
 
主「日本で初めての鉄道開業は、それまで鎖国を続けていた日本が鉄道を開業させたことで欧米諸国を驚嘆させている。また、この30年後には路線距離が7000kmに達したことも世界中の国から日本の鉄道のすごさを垣間見た瞬間でもあったそうな」
このみ「鎖国していた国が、開国してしばらくで鉄道を作って欧米にも負けないレベルに達してるのよねぇ。そりゃあ欧米の人も驚くわねぇ」
エミリー「あらためて、日本の鉄道ってすごいなぁって思います」
主「その中で、横浜も鉄道の街だなと感じられるんだよな・・・この市電保存館がこういうところを展示する背景が何となく分かってくるよ」
 
日本で初めての鉄道開業の地、横浜市に路面電車が走り始めます。
それが、横浜市電のチンチン電車の幕開けでした。
1904年、横浜電気鉄道が路面電車のレールを市内に巡らせ
後に横浜市が買収して横浜市電になってからは
その市電のレールは市内各地へと広がっていきます。
 
主「横浜市では市民の足としての路面電車構想が1895年から出てくるんだが、市電の元となった横浜電気鉄道は1899年に設立されている。実はこの間にある業界と揉めたんだ」
杏奈「ある業界・・・?どこの業界と揉めたの・・・?」
主「それが、人力車業界だったんだ」
茜「なるほど・・・路面電車は速いから人力車の会社の人達が怒っちゃったんだね!」
主「簡単に言えばそうなるな。4名の出願者が乱立、さらに競合を恐れた人力車業界が路面電車の導入に猛反発したんだ。これにより、申請が難航したとも言われているぞ」
杏奈「でも・・・市電は出来たんだよね・・・出願者や・・・人力車業界とは・・・ちゃんと決着付いたんだ・・・」
主「そうなんだがな、人力車業界との取り決めで横浜電気鉄道が設立して3年後に建設の認可が下りたんだ」
茜「横浜市電が開業するまで大変なことがあったんだね・・・」
 
ここで横浜電気鉄道に関するこぼれ話でも。
横浜電気鉄道は後に横浜市に路線を売却して解散しています。
実は、顧問として呼んでいたこの時安田善次郎が引退しており
さらには第一次世界大戦後のバブル崩壊によって
手を組んでいたはずの安田財閥と揉めたことによる資本引き上げ、
戦後の物価高騰に不動産事業の不調が経営を悪化させ
この状況下で1920年に運賃値上げを発表してしまい
市民や新聞社の怒りが大爆発、ついに市営化が検討され
翌年に横浜市に全路線を売却、市営化されたという経緯があります。
 
路面電車と都市の拡大、横浜市は明治時代に市街地が広がったことで
市域をさらに広めて行っており、その原動力ともなったのが
横浜電気鉄道(後の横浜市電)だったとも言われています。
郊外への路線延伸は、市域の拡大へと繋げて行ったのです。
 
地図で見てみると、この当時は伊勢佐木エリアが凄いことに。
あの小さい場所に5万4千人以上もいるんですよね。
人口密度は地元民だけにしても高い気がします。
 
また、画像左手には藁みたいなのが展示されてますね。
これはビールを包んでいた藁であり、
花電車として変身していた無蓋貨車がキリンビールの本牧工場まで
市電が運んでいたというのを紹介しているわけですね。
 
横浜電気鉄道時代に登場した5型の模型をパチリと1枚。
外国の電車のおもちゃ?サンフランシスコにこんなのいたなと・・・
どこか外国の路面電車をイメージさせてくれるデザインですね。
 
この5型は、横浜電気鉄道にて登場した最初の電車で
オープンデッキの路面電車となっています。
関東大震災にて多くが被災しましたが、
24号車とかは1925年まで使用されていました。
ちなみに、運転台にガラスとかは一切ない吹き曝しなので
雨の日とかは絶対に濡れたと思います・・・
 
というわけで、ここまで。ではでは