皆さま、こんにちは!
地図が大好きな自分。
暇な時間を見つけては、
当時の街並みが記録されてる古い航空写真を見るために
国土地理院のサイトをチェックしてました。
そんでもって、こちらは3年前に訪れた
予讃線・堀江(ほりえ)駅です。
昭和57年に廃止されるまでの間、
広島県の二方駅とここを結ぶ仁堀航路(国鉄連絡船)が
運行されてた駅でした。
現在は無人駅に変わった堀江駅ですけど、
駅前に国鉄連絡船が運航されてた時代の面影を残す
ステキな駅でしたよ。
堀江駅の訪問記もチェック頂けると嬉しいです。
そんな堀江駅の航空写真を眺めていると、
不思議な場所から分岐する
線路跡があることに気づきました。
下は昭和22年に撮影された航空写真です。
堀江駅の北側、画像の上の方から
港の方向に線路跡があるのがわかりますかね?
赤い矢印の先に見えるこちらでしたよ。
この線路跡の不思議なところは、
分岐点が堀江駅の構内ではなく本線のど真ん中にある点です。
最初は線路の下に敷くバラストを運ぶための
砂利線のモノかと思いましたが、
それでしたら堀江駅から分岐させた方が得策ですし、
なによりも撮影された昭和22年時点で
この線路が使われている様子はありません。
だとすると、この線路の正体は果たして…?
ここで思い出されるのが
光洋台駅~堀江駅間に存在する予讃線の未成線、
第二粟井坂隧道を含む区間のことでした。
この区間は建設当初、
2つのトンネルを経由して結ばれる予定でしたが
堀江駅側に位置していた第二粟井坂隧道が
工事中の大正15年に壁面が崩落。
開通の期日が迫っていたことから
トンネルの建設を断念し、
海岸添いの地上を経由する新ルートに改められたのです。
新線の予定地には既に県道が通されており、
しかも土地が手狭だったことから
土地を埋め立てる大規模な工事だったとか。
堀江駅の北側にあった線路跡は
新線の建設現場に資材を送るための
工事線だったのではないでしょうかね?
この線路跡ですが、
今もわずかですが形跡を残してる箇所があります。
気になる方はぜひ、グーグルマップで
不思議なカーブを探してみてくださいね。
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