皆さま、こんにちは!
今月初めに田沢湖線・赤渕(あかぶち)駅を訪れました。
ここに来るには、こんなきっかけがありまして…
先月、地元の仲間との飲み会がありましたが、
同席していたブログ仲間のEF81さんから、こんな話を持ちあがったのですよ。
「休止中の橋場駅に行きませんか?」と。
橋場駅…
盛岡駅と大曲駅を結ぶ全長75,6キロメートルの田沢湖線。
そのルーツは大正10年~11年に開通した橋場軽便線にありまして、
その終着駅が橋場駅でしたの。
昭和23年に撮影された航空写真より。国土地理院のサイトより転載。
赤線が休止された橋場線跡、緑線が昭和41年に全通した田沢湖線です。
橋場駅は貨物ホームの他、転車台まで備えた駅だったらしい。
ところが、日中戦争が激化すると
雫石駅-橋場駅間は不急不要線に指定されて昭和19年に休止。
線路は剥がされ、軍需で栄えていた山田線に転用されたそうです。
橋場駅もそのまま廃止されたと思いきや…
書類上は現在も休止中(廃止されていない)そうで、
70年以上も列車が来ないま生き続けている駅なのでした。
なお、昭和19年に休止された雫石駅以西の区間ですけど、
昭和39年に橋場駅の手前3キロ弱の区間までを復活させ、
その地点に赤渕駅を開設、
昭和41年には未成だった赤渕駅以西の区間を開通させて、
田沢湖線が全線開通したのです。
同じく昭和23年に撮影された、のちに赤渕駅が開設される地点の航空写真でした。
橋場軽便線(→橋場線)と、
新線開通した田沢湖線の分岐にあるのが赤渕駅ってわけで…
前置きが長くなりましたけど、
幻の橋場駅に行く前に赤渕駅にも寄ってきたのです。
そうそう、余談ですが、
山田線の山岸駅構内には低い規格の廃レールがありまけど、
これ、元々は橋場軽便線で使われていたレールじゃないでしょうかね?
閑話休題、そんな経緯から、今回はブログ仲間の
赤渕駅は昭和39年に開業した無人駅です。
上記に書いた通り、開業から2年間はここが終着駅でした。
開業当初から、駅舎が無い無人駅だったみたいですね。
駅舎はないけど便所はありましたよ。
元は赤渕駅の駅便でしたが、
現在は雫石町がJRから借り上げて町が管理している模様。
「公衆用便所」ですので駅利用者以外の方も遠慮なく使用オッケーです。
トイレットペーパーの置き方がとても芸術的でしたわ。
赤渕駅は列車の行き違いが可能な島式ホーム1面2線構造。
こちらの構内踏切からホームに進入できます。
おっ!盛岡支社の人気者、
新幹線トレインジャーのポスターだ!
右はE3系をモデルにした「KOMACHI」だと思いますけど、
リアルなE3系は定期運用でここを通らなくなっちゃったんすよね。
ところで、ショーで見る「KOMACHI」はカラダのラインがエロイのですけど、
中の人って女性の方なの?
そしてホームです。
ホーム中央にある待合室は平成8年に建て替えされたモノでした。
昔はここにも、古い木造の待合室があったみたいですね。
赤渕駅のホームから田沢湖駅方向を眺める。
休止された橋場駅まで、
線路は、画像中央に見える国道46号線の道路橋の手前を
大きくカーブしていたようですよ。
昭和41年に開通した赤渕駅-田沢湖駅間(18,1キロ)は
仙岩(せんがん)峠を抜ける、難工事を極めた区間です。
構内には保線車両の留置線や保線小屋がありますけど、
おそらくは新線工事にも携わった施設たちなのでしょう。
新幹線駅の雫石駅-田沢湖駅間では数少ない
列車交換が可能な設備がある駅のために、
一部の「こまち号」は赤渕駅で運転停車するようですけど、
乗降できる列車の本数はかなり少ないようで。
下り列車の本数はわずか4本だけみたいですよ。
赤渕駅での下車、なかなかハードルが高そうですね。
さて、この日はクルマの運転をEF81さんに任せて、
朝から酒を食らっていた、ともさんと自分。
この後、足をふらつかせながら
真の目的地である橋場駅に向かったのですけど…
その様子は次回のブログに続きます。
(続きもぜひチェックくださいね)
昭和19年に休止されたまま放置されてる橋場線・橋場駅に行ってきた。
↑(盛岡駅方面)
大釜駅
小岩井駅
雫石駅
春木場駅
赤渕駅(平成29年4月1日)
田沢湖駅
刺巻駅
神代駅
生田駅
角館駅
鶯野駅
羽後長野駅
鑓見内駅
羽後四ツ屋駅
北大曲駅
(↓大曲駅方面)