皆さま、おはようございます!

 

昨日は小学校の卒業式の動画を撮影する仕事に行ってきました。

修学旅行や運動会、学習発表会などの年間行事を撮影して、

卒業式の様子と併せて編集し、

離任式前に納品する仕事の一環なのですが…

それまで、家族以上に1日の時間を一緒に過ごしていた仲間たちと

離れ離れになる現実を実感して、

泣きじゃくる子供たちの姿があまりにも切なすぎましてね。

なぜか、傍から見ていた自分がロスに堕ちてましたよ。

こんな時は気持ちの切り替えのために、ノンビリと旅したいですよね。

 

一昨年の春、青春18きっぷを利用して日帰り旅を楽しんできました。

この日は「一度も下車したことがない駅に行ってみよう」という気持ちで、

一ノ関駅から大船渡線の気動車に乗りまして…

大船渡線・新月駅

 

コトコト揺られること1時間とちょっと。

大船渡線・新月駅

 

着いた先は、終点・気仙沼駅のひとつ手前にあるこちらの駅でした。

大船渡線・新月駅

大船渡線・新月駅

気仙沼線・新月(にいつき)駅です!

 

駅について早々、大好物の廃ホームが見えてきましたけど、

これ、昭和47年の時点で既に利用されずにいた旅客ホームらしいですよ。

大船渡線・新月駅

本来の用途を失ってから既に45年以上が経過しておりますが、

今でもそ現役当時のままで残されているのでした。

世間的にはどうでもいい代物かもしれませんけど、

鉄道ファンはこの光景を見ると、ここには昔、線路が敷かれていて、

旅客列車と貨物列車が行き違いをして、

駅員さんがタブレットを肩にぶら下げながら構内を歩いていて…

そんな心像シーンが脳内で繰り広げられるのです。

これが快感なのよね。

 

ちなみに下は、国土地理院のサイトから拝借した

昭和52年に撮影された新月駅付近の航空写真です。

大船渡線・新月駅

この頃、廃ホーム側の線路は保線車両の留置線として使われていた模様。

木造駅舎や辺りの民家の数からも、当時の賑やかさが伝わってきますよ。

 

それなのに、今の新月駅の駅前の光景ときたら…大船渡線・新月駅

当時と比べると、民家の数も激減してしまったみたいですね。

 

木造駅舎も簡素な造りの駅舎に変ってしまったようです。

昭和47年に無人駅化された新月駅、これは仕方がないのかも。

大船渡線・新月駅

 

建物財産標を見る。大船渡線・新月駅

木造駅舎は駅の開業から55年目で建て替えされましたが、

この駅舎に変わってからも既に33年が経過ようです。

「味気が無い」とか「無機質すぎる」とか、

ちょい前でしたら愚痴をこぼしてたかもしれませんけど、

最近は「国鉄(末期)ちっく」な駅舎として愛着が湧いてきた自分。

ようやく、この駅舎の魅力に開眼することが出来ましたわ。

 

新月駅は昭和4年、大船渡線の延伸とともに開業した駅でした。

大船渡線・新月駅

駅名の由来は、昭和30年まで存在した新月村(宮城県本吉郡)の

玄関口の駅だったから、らしいですが、

そもそも新月駅がある場所は

岩手県一関市(当時は東磐井郡室根村)なのです。

駅用地の確保の関係から、

宮城県内の地名を冠した、岩手県内に位置する駅になったんですって。

 

現在の新月駅は、単式ホーム1本だけになっちゃいましたけど、

廃ホームがあるから、自分は淋しくないっすからね!

大船渡線・新月駅

 

最後は駅舎内を見て、新月駅チェックを終了しました。

大船渡線・新月駅

 

気仙沼線BRTや大船渡線BRT区間で見ることが出来る

ロケーションシステム(位置情報端末)、

大船渡線は鉄道線にも備え付けられていたみたいです。

大船渡線・新月駅

 

明後日、3月20日に南三陸自動車道の志津川IC-南三陸海岸ICが開通し、

仙台から気仙沼市内への到達時間がさらに短縮されますが、

やはり、旅の移動は列車に限りると思います。

普段からレンタカー使いの自分が言うのもなんですけど。

ただし、大船渡線の鉄道線は

列車の運行間隔が3時間近くも開く時間帯があるのが難点なんすよね…

 

 

訪問駅リスト(JR線)

大船渡線

 

↑(一ノ関駅方面)

真滝駅

陸中門崎駅

岩ノ下駅

陸中松川駅

猊鼻渓駅

柴宿駅

摺沢駅

千厩駅

小梨駅

矢越駅(平成27年4月4日)

折壁駅

新月駅(平成27年4月4日)

気仙沼駅(平成21年8月1日)

鹿折唐桑駅

上鹿折駅

陸前矢作駅

竹駒駅

陸前高田駅(平成21年8月1日)

脇ノ沢駅

小友駅

細浦駅

下船渡駅

大船渡駅

盛駅【BRT】(平成25年4月3日)


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