皆さま、こんにちは!
本日はJRのダイヤ改正日ですね。
昨日付でいろいろと無くなるモノがありまして、
自分のツィッターのタイムラインは、糸魚川快速と烏山線のキハ40と、
あとはなぜか、豊後森機関庫で埋め尽くされておりました。
理由はアレれすけど…豊後森機関庫は本当にいい所ですよ。
自分は今日も通常営業、今朝は一昨年夏に訪れた日田彦山線から、
石原町(いしはらまち)駅の訪問記をいっちゃいます!
まずは石原町駅の魅力ですが、この駅舎に尽きるでしょう!
石原町駅は大正4年に開業した駅ですけど、
当時の日田彦山線は国有化以前の小倉鉄道の時代で、
石原町駅は私鉄時代の駅舎が残る稀な駅なのです。
こちらは駅舎に貼られていた建物財産標ですが…
ねっ!大正4年開業当時のままの駅舎ですよね!
駅舎の南側半分はプレハブ造りですが、
昭和30年以降、石原町駅を起点にした
石灰石・セメント輸送が目的の貨物専用線が敷かれてますので、
その当時に増築されたモノでしょう。
石原町駅以外にも、日田彦山線には
小倉鉄道時の駅舎が残る採銅所駅がありますが、
両駅に共通しているのは、駅舎がとてもモダンな造りであること。
屋根にはこんな装飾が施されてました。
街の玄関口である駅舎に施された装飾は、その街の富の象徴。
元々は私鉄駅だったからこそ見られる装飾なのかもしれませんね。
開業以来、石原町駅には長らく駅員さんがいらっしゃいましたが、
自分が訪れる4か月前の平成27年3月末に無人駅化されました。
閉ざされた窓口のシャッターが何とも寂しい限りです。
石原町駅は相対式&島式ホームによる複合2面3線構造の駅でした。
ファン的に嬉しいのは、
ホームは列車が停車する箇所しか嵩上げされておらず、
大部分が私鉄時代のままの低いホームであることと、
2本のホームが昔ながらの構内踏切で結ばれていることでした。
この雰囲気、素晴らしすぎますって!
そしてもうひとつ、石原町駅は
駅ファン&貨車ファンにとって見逃せない歴史がありまして、
国鉄時代は貨物列車の大拠点だった過去があるのですよ。
石原町駅のホームからも見える左側のお山、
日本三大カルスト台地のひとつである平尾台ですが…
ここで産出される石灰石を輸送するため、
国鉄時代の石原町駅には
3本の本線を含めて合計10本の線路が並んでいたのでした。
当時、石灰石を輸送するための専用線は石原町駅の南側から本線と並走、
呼野駅間のど真ん中で分離して、
それぞれの工場に延びていたみたいですね。
上は昭和50年に撮影された航空写真で、
緑線が日田彦山線、赤線が工場まで延びる専用線でした。
昭和39年版の専用線一覧によると
石原町駅から距離の短い順に、
住友セメントKK小倉工場(2,7キロ)
三菱セメントKK北九州事業所小森線(3,0キロ)
同じく東谷線(3,7キロ) とありますので、
写真に写る3本の専用線はそれぞれだと思いますが…
一番長い東山線は社名を三菱マテリアルに変えて、
JR移行後の平成8年まで貨物列車が運行されていたそうです。
もし、今もすべての専用線が現役だったら、ここで丸一日を過ごせたかも。
自分にとってはTDR以上の面白スポットだったかもしれません。
そんな石原町駅から貨物列車が消え、
間もなく20年近くが経過しようとしております。
駅舎寄りにあった貨物側線は整地され、現在は駐車場に変わってました。
貨物列車が終焉を迎えた平成8年は、上のチビが生まれて間もない頃。
自分は当時から貨車好きでしたけど、
それを見るためにここに来る余裕はなかったなぁ。
今こうして、大正時代の駅舎が見れるだけでも幸せなのかもしれませんね。
一昨年、石原町駅の駅舎は建立100周年を迎えました。
美しい駅舎がいつまでも残されますように。
↑(城野駅方面)
石原町駅(平成27年7月30日)
呼野駅
採銅所駅
香春駅
一本松駅
田川伊田駅
田川後藤寺駅
池尻駅
豊前川崎駅
西添田駅
添田駅
歓遊舎ひこさん駅
豊前桝田駅
彦山駅
筑前岩屋駅
大行司駅
宝珠山駅
大鶴駅
今山駅
↓(夜明駅方面)