皆さま、おばんです!
前回のブログでも書きましたが、
昨日、明治40年に建てられた駅舎が残る
南海本線・浜寺公園(はまでらこうえん)駅
に行ってきました!
浜寺公園駅を含む南海本線の堺市市内の区間は
高架化工事の真っ只中でして、
浜寺公園駅も工事のために1月28日に仮駅舎に移設、
この駅舎も1月27日を最後に役目を終えることになったのです。
以前から、駅舎が現役であるうちに立ち寄りたいと思っていたのですが、
ラスト1週間前の昨日、ついに訪れることが出来たのですよ。
浜寺公園駅の駅舎は何がすごいってですね、
日本の近代建築の草分け的存在っである辰野金吾博士が
辰野金吾博士といえば、東京駅の駅舎を設計したことでも知られてますが、
初めて手がけた駅舎がこの浜寺公園駅なんですって。
辰野金吾作品と聞くと、赤レンガを多用した
いわゆる「辰野式建築」ばかり想像しちゃいますけど、
明治時代はこのような木造建築物にも携わっていたようですね。
自分が駅好きだってことは置いといて、
浜寺公園駅の駅舎は誰が見ても美しく感じると思います。
自分なんかもう、見ていてウットリしちゃいましたもん。
見て下さいよ、この門柱のラインを。
これらすべてが明治時代に造られたものなんですよね。
浜寺公園駅が開業した当時の写真が掲げられてましたが、
これを見ても、現在の姿と大差がないのがよくわかります。
なんば駅寄りには木製ラッチが残っておりました。
大阪近郊で今でもこれが残っているなんて、
3つの丸い蓋が見えますが、
これって電化される以前に使用していた油灯の跡だと思うのですが…
そして駅舎内と。
浜寺公園駅にはかつて、
特等車の乗客のための専用待合室があったそうで、
駅舎右側(上の画像部分)のスペースがそれに充てられていたとのこと。
南海の特等車といえば、南海クイシ二を思い浮かべますけど、
ここからも多くの乗客が利用していたのかな?
なお、駅舎はハーフティンバー様式で造られたものだそうです。
ハーフティンバー様式とは、柱や梁、筋違いや間柱などを隠すことなく
装飾材としての役目も持たせた建築様式とのこと。
駅舎全体に様々な装飾模様が見えますけど、
これらが単なる飾りではなく、
建物を強固にするための部材だって言うんですからすごいです。
辰野金吾博士は工学博士ですからね。
以上のウンチクは、
明治時代の空気がぷんぷん漂う浜寺公園駅でしたが…
自分は駅に立った途端、余りにも堂々としたその佇まいに衝撃を受け、
しばらく動くことが出来ませんでしたのよ、マジで。
こうして駅舎が楽しめるのも残り1週間です。
駅舎は移設されたのちに、高架化完成後の
新駅舎のエントランス部分に再用されるみたいですね。
浜寺公園駅についてはまだまだ書きたいことがありますが、
長くなりましたので次回に続きます。
(後編はこちらからどうぞ)
【まったり駅探訪】南海本線・浜寺公園駅に行ってきました。(後編)
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浜寺公園駅(平成28年1月21日)前編 ・後編
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