皆さま、おはようございます!
前回のブログで、昭和59年に廃止された国鉄・宮原(みやのはる)線の
廃駅巡りを楽しんだことを書きましたが、今回はその続きです。
もうちょっとだけ、このネタにお付き合い下さいね。
(前回分はこちらです)
昭和59年に廃止された宮原線沿線をドライブしてみた①恵良駅~町田駅跡編
町田駅跡の次に訪れたのは宝泉寺(ほうせんじ)駅跡です。
町田駅との駅間距離は2,6キロ、
この区間はそのまま国道387号線バイパスに転用されてますので、
昭和51年に撮影された宝泉寺駅の航空写真より。
宮原線には戦前、昭和12年に開通した恵良駅-宝泉寺駅間と、
その先、昭和29年に開通した肥後小国駅までの区間がありまして、
宝泉寺駅は終着駅だった頃の名残か、
宮原線が現役だった頃は、唯一の列車交換可能駅だったそうです。
宮原線廃止直前は豊後森駅から宝泉寺駅までの列車本数が6往復、
この先、終点の肥後小国駅まではわずか3往復だったみたいですね。
地図の上にまっすぐに延びる国道が宮原線の廃線跡ですぞ。
本泉寺駅が現役だった頃の様子が知りたくて、
駅前にある一軒家のおじさまにお伺いしました。
そしたら駅のことを詳しく教えてくれましたの、ありがたや~
まずはこちらが本泉寺駅跡地のすぐ隣に建てられた建物、
地域の交流の場所でもあった宝泉寺駅の駅舎ですが、
路線の廃止に併せて撤去されるとのことで、
それに代わる建物として建てられたんだとか。
宝泉寺駅の遺物が展示されていたようですけど、
現在は公開も中止されて、ほとんど使われていないそうです。
この建物の裏手に植樹された木樹が生い茂ってましたけど、
なお、この信号機は廃線跡から移されて立っているモノです。
この場所は廃線跡ではありませんので念のため。
宝泉寺駅の駅舎はここ、資料館の脇の広い空き地にあったそうです。
そしてこの穴!
何を隠そうこのトンネル、駅舎とホームを繋ぐ通路だったんですって!
このトンネルの上り口に島式ホームがあったはず…
宝泉寺駅は町田駅と同様に、廃線跡は国道に転用されました。
駅設備は撤去され、緑地公園に代わってしまったようですけど、
今でも残るこの通路だけでも興奮モノです。
昭和51年に撮影された航空写真より。
宮原線跡は国道387号線から一旦離れ、
勾配が少ない、遠くの山里の中を走り抜けますが、
再び国道に接近する辺りに麻生釣駅があったようです。
昭和29年に開業した駅で、単式ホーム1本だけの棒線駅ですよ。
宝泉寺駅跡地から国道387号線を小国地区方面に進むと、
約10分ほどで熊本県と大分県の県境が見えてきます。
県境ちょっと手前に麻生釣駅があるらしいので、ちょっとだけ後進。
左側に見える細い道に入れば、宮原線の廃線跡が見えますよ。
こちらは現在は進入禁止になっている模様。
地元の酒造メーカーの貯蔵庫として活用されているとか。
麻生釣駅は道路を左折した側にあります。
駅跡を見たいので草むらの中を進みます。
雑草は生い茂っているし、虫がいっぱい飛んでるし、
Tシャツ1枚で来たのは失敗だったか?
しばらく歩くと敷地が広めに取れてている場所がありますが、
完全に、自然に返ってましたわ(;^ω^A
愛読書、国鉄全線各駅停車「九州720駅」によれば、
麻生釣駅は早春、ワラビ取りのお客さんで賑わっていたらしい。
まさか、そのためだけに出来た駅ではないんでしょうけど、
宮原線が現役だったら、間違えなくトップクラスの秘境駅だったはずです。
未舗装のホームや石積みの駅舎があったようですが、
その形跡も見当たりませんでした。
この後、宮原線跡は再び
国道387号線に転用された区間に突入しますが、
この先はまた次回に。
昭和59年に廃止された宮原線沿線をドライブしてみた③北里駅跡編
昭和59年に廃止された宮原線沿線をドライブしてみた④肥後小国駅跡編