皆さま、おばんです!
前回のブログ で南海和歌山港線・和歌山港駅のことを書きました。
現在の和歌山港線の終端は和歌山港駅ですが、
平成14年までは、更にこの先2,8キロ先に水軒(すいけん)駅があり、
1日わずか2往復の列車が細々と運行されていたんですよ。
今週半ばのことですが、水軒駅の現在の様子を知りたくて
和歌山港線の廃止区間を辿ってみました。
今回はその時のことを書いちゃいます。
現在の航空写真に和歌山港線の廃止区間を充ててみました。
赤線部分が現在の和歌山港線で緑線が廃止区間です。
廃止区間の総延長は2,7キロで、歩いても30分弱かかりません。
廃線跡をちょい楽しむにはもってこいのスポットですね。
こちらは和歌山港駅の終端部分から水軒駅方向を覗いた様子です。
車止めの先は木々が生い茂ってその先の様子は見えませんが、
線路を支える盛土が続き、
この先は、並行する県道から廃線跡を眺めてみますぜ☆
和歌山港駅構内を外れた廃線跡の盛土は
徐々に高さを下げてゆきます。
この辺りの見どころと言えば、なんたってコレ。
運行本数1日わずか2往復の和歌山港駅‐水軒駅間ですが、
電化されていて、しっかりと電車が運行されていたんですよね。
電車が車両の主体の南海電鉄、当然の話なのかもしれませんが。
廃線跡の奥に花王の和歌山工場が見えてきます。
廃線跡の一部は花王工場の敷地に変わってましたが、
しばらくは、バラストなども残っていて
いかにも廃線跡な感じの路盤が続きましたが、
水軒駅跡が近づくにつれ、用地は土が盛られた姿に変わってきました。
そしてその用地には松の植樹が…
和歌山港線末端区間の廃線跡、
しばらくは線路もそのままに放置されていたらしいのですが、
最近になって都市計画公園「水軒公園」として
水軒駅周辺はほとんどが緑地公園に変わっていて、
駅の遺構を確認することは出来ませんでした。
廃線になってから13年が経過、当然の結果なのかもしれませんね。
このドッグランの後ろが水軒駅跡地なのですが…
当の水軒駅ですが、昭和46年に開業した駅で、
辺りに民家が無い、こんな場所に駅が開業した理由ですが、
当時、水軒駅のすぐそばに貯木場がありまして、
ここから木材を出荷するための、
貨物輸送主体の駅として設けられたそうです。
こちらは昭和49年に撮影された航空写真、
ところが、駅が開業した頃は既に
木材輸送の実権はトラックが握っており、
水軒駅から貨物列車が運行されたことは1度もなかったとか。
本来の目的を失った水軒駅は開業時から、
1日に2往復の列車だけが運行される過疎路線に
墜ちてしまったんですって。
仮に木材の鉄道輸送が実現していても、
その後は長くは続かなかったと思います。
今現在、肝心の貯木場が姿を消してしまいましたからね。
こんな感じで水軒駅跡巡りを終えましたが、
見落としている箇所だらけなのかもしれません。
例えば、緑地公園内に残るコンクリート製の2条のライン、
これもひょっとしたら、駅の遺構なのかもしれませんし。
和歌山港線ネタ、まだまだ続きます。