皆さま、おばんです!
相変わらず、昨日、一昨日に行ったような書き方をしますけど、
陸中折居駅を訪れたのは1年も前のことです。
ごめんなさい。
自分、自動車関係の仕事をしておりまして、
この日も商談で水沢市内にお邪魔してきました。
本当は帰り道に、名物の前沢牛を食べてみたかったんですけど、
見づらいですけど、前沢牛串1本2,000円なり~
ただ帰路につくのもしゃくでしたので、
陸中折居駅は大正13年1月に開設された折居信号場が前身だそうで、
前沢駅‐水沢駅間が複線化されたのは昭和33年のことで、
この区間で列車の行き違いをさせるために、
両駅間のちょうど中間地点に出来たのが折居信号場です。
現在も田んぼのど真ん中にある陸中折居駅ですが、
こんな場所に駅があるのは、そんな理由があったんですな。
ちなみに山陰本線にも折居駅がありますけど、
こちらは大正13年4月に開業した駅。
陸中折居駅が信号場としてではなくて、
最初から駅として開業していたら、
こちらが折居駅を名乗っていたのかもしれませんね。
信号場時代から使用していた木造駅舎は
東日本大震災によって破損したために、
駅舎のすぐ脇にあるコレ、ちっちゃなレオパレスかと思いきや、
バリアフリー対応のトイレだったようです。
思わず101~103号室の表札を付けたくなる雰囲気ですよ。
かつては相対式ホーム2面2線構造だった駅構造を、
複線化により2面3線に改めた造りは、
東北本線内の駅ではよく見かけるものです。
陸中折居駅もそんな造りの駅なのですが、
昼行特急なき今、列車の退避に使われていた中線は不要となり、
現在は再び2面2線構造になったようで。
2つのホームを結ぶ跨線橋には、
古レールが多数使われておりましたけど、
昭和元年と言えば、折居信号場開設~駅昇格とドンピシャリな時期。
陸中折居駅の跨線橋が建立されたのは、
東北本線の高速化(全線複線化・電化)が実現した
昭和43年前後のことですから、
線路の高規格化によって不要になった線路が、
そのまま跨線橋の構造材に使われたのかもしれませんね。
今週末は今月2回目の3連休がやってきます。
土・日は久しぶりにチビ(13歳・♀)と1泊でTDRにインパする予定。
3連休パスを使って土曜日に上京しまして、
日曜日の新幹線最終便で仙台に戻ります。
翌日、月曜日は始発電車に乗って、
大湊線の例のリベンジ を図りたいのですが、
月曜日って天気、大丈夫ですよね?
もし今回もはまなすベイライン号に乗れなかったら、
マジで立ち直れなさそうな予感…
↑(仙台駅方面)
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