皆さま、おばんです!
鉄道の世界にも、昔から数多くの都市伝説が存在します。
中でも多いのが、
「大昔に廃車になった〇〇という車両が、〇〇に現存するらしい」
という類のヤツでしょう。
その昔、「鉄道ファン」誌のバックナンバーを読み返した時に、
そのような内容の記事が載っていたのですよ。
通巻28号、昭和36年10月号に掲載された記事でした。
川上幸義さんが書かれた「”人車”は残っていた」という記事で、
内容は、志田郡松山町(現在の大崎市松山町)の公園内に
松山人車軌道の”人車”が完全な状態で残っている…
この時点で松山人車軌道が廃止されてから30年が経過しており、
当時としてはまさに、都市伝説さながらの話だったと思われます。
ちなみに廃車体はその後、NHK仙台中央放送局が回収して復元し、
現在は大宮の鉄道博物館で保存されているのですよ。
その車体とは別にもう1両、
梨畑で監視小屋として使われていた廃車体がやはり復元され、
今でも見ることが出来る…とのことで、行ってきましたぜ☆
仙台市内から車で1時間だってのに、
なんで今まで来なかったんでしょうね、自分。
ここは縄文時代からの、松山町の歴史的資料が展示されております。
もちろん松山人車軌道のことも、こと細かくチェックされてましたよ。
館の入口に車両が見えるこれこそが、
人車って聞き慣れないかもしれませんが、
人が車両を手押しして輸送する、れっきとした鉄道の一種なのです。
かつては全国各地で人車が見られたのですが、
バスが普及すると早々に姿を消してしまったのだとか。
松山人車軌道も大正11年冬に
金谷(東北本線・松山町駅付近)‐千石間2,5キロが開業するものの、
昭和4年に廃止、
わず6年の歳月でバスに転換されてしまったんですって。
ちなみにこの車両、
仙台市電の保守を手掛けた仙台市交通局によって復元され、
松山人車軌道の車両、テレビ局に何かと縁があるみたいですね。
松山人車軌道の写真と言えば、
多くの建物が現存している事実にびっくり!
電柱が立ったことや道路が舗装されたことを除けば、
この場所は100年近くも姿を変えていないみたいですね。
ここにはもう1両、
平成4年にイベント用に複製されたレプリカの人車があるのですよ。
こちらは毎年9月に催されるコスモス祭りで、
実際にお客さんを乗せて走らせるために制作されたもので、
製造はなんと、新幹線工場でもある仙台総合車両センターが手がけたとか。
自分ら、下に潜りこんで台車を見たり、
中を熱心に覗き込んでいたからなんでしょうね。
受付のおばちゃんが気を利かせてくれて、
満員時の定員15名って…
どうやってここに15人も乗ったんですの?
とにかく思った以上に狭い、松山人車軌道の人車でした。
なおこの車両、精密なレプリカではありましたが、
軌道上は楽に車両が転がせるように、
最新のベアリングが組まれていたことは、ここだけの秘密ですよ。