皆さま、おはようございます!
以前のブログで、
石北本線にある白滝シリーズのことを書きました。
石北本線には、上白滝駅・白滝駅・旧白滝駅・下白滝駅と、
4つの白滝駅があるのですが、
町の中心にあって特急列車も停車する白滝駅を除くと、
どれもが列車の停車頻度が少なく、
中でも上白滝駅は1日に1往復しか停まらないという、
ファンにとってはまさに聖地であり、
憧れの地でもあるのです。
それらの駅を称して、ファンは「白滝シリーズ」と呼ぶのですが、
平成13年まではもうひとつ、
5つ目の白滝シリーズの駅がありまして、
それが今回ご紹介するこちらなのです。
石北本線・奥白滝(おくしらたき)信号場です!
4つの白滝駅の更に西側にある信号場ですよ。
こちらの信号場、昭和7年に奥白滝駅として開業しました。
当時はこの地区、周囲に国鉄官舎が建ち並んでいて、
大変賑わっていたようですけど、
次第に過疎化が進みはじめ、
平成13年に乗降客数がゼロになったことから
ついに駅業務を廃止、現在は信号場になってしまいました。
信号場ですので列車の行き違い施設は残っているのですが、
当然無人の状態で、
多くの人で溢れかえっていた時代があったことなど、
想像も出来ない雰囲気なのですよ。
奥白滝駅の駅舎は、
保線職員の詰所として現在も残るものの、
入り口は塞がれ、窓もカーテンで遮られているのが残念なところ。
実は、窓ガラス越しに中を覗いたら、とんでもない数の虫がいてビックリ (;^ω^A
たまには空気の入れ換えも必要と思いますよ…JR北海道さん!
奥白滝駅は下白滝駅と同様に、
相対式ホーム2面が千鳥に配置されていたはずなのですが、
駅の廃止後にホームは剥がされてしまったようです。
それでもホームの遺構である盛土が残っておりまして、
駅時代の改札口が残っているのは何よりも嬉しい話で。
それにしても、この奥白滝信号場、
国道333号線からわずかに見える林の切れ目にあるのですけど、
奥白滝信号場のことを知らなければ、
絶対に見落としそうな場所です。
辺りには当然民家などなく、
つい10年ほど前までここに列車が停車して、
客扱いしていたこと自体が信じられません。
奥白滝信号場から一旦国道333号線に出ると、
この石碑、昭和48年に建てられたもののようですけど、
大正2年の入植から始まる奥白滝地区の歴史、
入植戸数、その代表者名、歴代村長の名前が刻まれておりました。
そしてもうひとつ、
「大山火の歌」という詩が刻まれているのですが、
入植して間もなくの大正6年に山火事が発生、
奥白滝地区のほぼ全土を襲い、
255戸の住宅が全焼してしまったそうです。
児童数100人を超える小学校があったとか、
わずかな滞在時間の中でも、町の栄枯盛衰が見れたような、
そんな奥白滝信号場でした。