皆さま、おばんです!
最近は駅ネタばかりのブログですが、
今回もどうぞ、お付き合い下さいね。
今日は午前中、お客様と打ち合わせのために、
仙台市の北側にある大郷町に行ってきたんですよ。
仙台からは利府街道に乗って松島に入り、
三陸道・松島大郷インターを潜ると、そこから先が大郷町です。
ここはよく利用する通りなのですが、
この近くには、以前から気にしていた場所があるのでした。
松島町健康館デイサービスセンターです。
…っていうかここ、
昭和37年に廃線になった東北本線・山線にあった、
旧・松島駅なんですよ!
ご存知の方も多いと思いますが、
その昔、東北本線は現在の塩釜駅を通る海側ではなく、
利府駅、そしてこの旧・松島駅を通る、
この山側ルート(山線)は15パーミルの勾配が続くために、
早い時期から平坦地を走る海側のルートが計画されまして、
昭和19年に貨物専用線として海側ルート(海線)が開業、
昭和31年には海線の旅客扱いを開始(本線機能を海線に移転)、
そして昭和37年、海線の複線化に合わせて、
山線の利府駅‐品井沼駅間が廃線になってしまったのです。
山線にあった松島駅の廃業に合わせて、
海線の新松島駅は松島駅 に改称、現在に至るわけなのですよ。
で、廃業してしまった初代・松島駅はというと、
その後に病院(国保診療所)を経て、
現在は、松島町健康館デイサービスセンターとして、
活用されておりました。
何度もここの前を通るたびに、
「今日こそは覗いてみようかな?」
なんて考えていたんですけど、
お仕事の邪魔をしちゃいけないと思うと、
気が引けちゃっていたんですよね。
そんで今日のことですが、
土曜日のお昼時といえば、仕事も緩む時間帯だと思ったんですよ。
この時がチャンスじゃないかと。
そこで意を決して、センターの中を覗いてみたんです。
「ごめんくださ~い」
玄関でそう呼びかけると、
奥の方から、40年前は美人だったと思われる、
元・お嬢様が出てこられました。
建物の中を見たいことを伝えたところ、
最初はとても戸惑われていたのですが、
自分が駅のファンで、ここが旧・松島駅だったことを話すと、
納得して、快く中を見せてくれたんですよ。
中は思ったよりも広い感じ。
採光もしっかりしていて、とても明るいセンター内でした。
そしたらお嬢様、
小さい頃に、この松島駅を利用したことがあるらしく、
当時のお話をいろいろと聞かせてくれたんです。
駅の時代には、時計がかかってる所の下辺りに、
改札口があったそうですが、
現在のセンターが出来た際に建物は大改装されて、
駅の面影はなくなっちゃったんですって。
ちょっと前には、この地区で育った長老さんの同窓会があったそうで、
思い出の場所として、この松島駅に皆さんが集まられたんだとか。
その長老さんからは、
戦時中は松島駅からも多くの若者が出兵され、
駅前の広場を埋め尽くすほどの数の兵隊さんを、
この松島駅で見送った…
「そうそう、ここに駅の面影が残ってるよ」
元々は改札口のあった、中央の通路を渡って扉を開けると、
ホームにあった、コンクリート製の階段でした。
建物の真ん前にある道路が本線の廃線跡で、
階段があったところがホームの跡なんだそうです。
ネットで閲覧することが出来る、
昭和23年に撮影された松島駅の航空写真を見ると、
松島駅、相対式と島式ホームを持つ2面3線構造の駅だったようですね。
緑のマークが付いているところが松島駅の位置です。
道路を挟んで住宅が建ち並んでいるところ、
ここも昔は駅の構内だったようです。
なにか新たな発見が出来ればと期待したのですが、
周囲にもすっかり変わっちゃっているみたい。
デイサービスセンターがある、この一角だけ、
土地が高くなっているんですけど、
これ、もともとホームだった盛土の上に、
建物が建ってるからですよね?
しかも、遠くから見ると感じるのですが、
なんとなくホームの面影が残っているんですよ。
最後にお嬢様にお礼を言って、
松島駅を改造したデイサービスセンターを後にしました。
戦前には松島電車が走っていたり、
利府駅との間には赤沼信号場があったりと、
まだまだ話題の尽きない旧・松島駅でしたけど、
なんせ仕事の途中でしたので、
今回はここまでにして帰ってきました。
最近は仕事の先で駅ネタが多く、
嬉しいやら(やっぱり見れるのは嬉しいです)、
悲しいやら(でも全部見れないのは辛いです)で…