皆さま、おはようございます!
青い森鉄道・陸奥市川(むついちかわ)駅です!
戦前、鉄道輸送の増加によって、単線であった東北本線には、
貨物列車を行き違いさせるための信号場が数多く開業しました。
八戸市の北側に位置する轟(とどろき)信号場も、
そんな信号場のひとつだったのですが、
昭和16年に陸軍の八戸飛行場(現在の海上自衛隊八戸航空基地)
が近隣に完成したことで、昭和19年からは旅客・貨物の扱いを開始、
その後、軍事需要の拡大によって、
駅の構内が拡張された陸奥市川駅ですけど、
建設資材は同じ仙鉄管内から集められ、
東北本線・大河原駅から延びていた軍用線のレールも、
この地で使われたんですって。
陸奥市川駅の広いホームや構内はその当時の遺構なんだそうですよ。
戦後、八戸飛行場は進駐軍に摂取され、米軍キャンプ地が張られますが、
その際に陸奥市川駅にも、米軍の手によって巨大な駅舎が建てられたそうです。
現在は再び、小さな駅舎に建て替えられてしまいましたけど、
駅舎ホーム側にある車寄せ(屋根)や、
ホームの待合室は、その当時の名残りなんだとか。
日本離れした形状の車寄せや、ガラス張りの待合室には、
このような駅の経緯を聞くと、
同様に米軍に摂取されてキャンプ地になった、
神町海軍航空隊基地の最寄り駅である
奥羽本線・神町駅 を思い出すのですが、
よく見ると、建て替えられた駅舎の形状もどことなく似ているような。
参考までにこちらが奥羽本線・神町駅の駅舎でした。
終戦後からわずかな期間ですが、
陸奥市川駅から米軍キャンプ地まで延びる米軍専用線がありました。
ところが、調べてみても位置がなかなか定かに出来ず。
古い航空写真を眺めて見てたのですが、
ひょっとすると、三沢駅側に延びていた、
緑でなぞったラインです。飛行場の滑走路がこの先にあるのですよ。
だとすると、この専用線の廃線跡は道路に転用されて、
今度は赤いラインでなぞってみました。
この道路はストリートビューでも確認できますよ。
なんだか、まだまだ謎が多そうな陸奥市川駅。
機会があったらぜひ、廃線跡巡りでもしたいですね、
向山ミニミュージアムのお仲間さんの皆さま!
☆追 記☆
「八戸市30年誌」に、旧駅舎時代の陸奥市川駅の写真がありました。
☆更に追記☆
米軍の手によって建てられたといわれる旧・陸奥市川駅の駅舎。
その姿から「白い巨象」とも呼ばれていたそうなんですけど、
現在の駅舎は、旧駅舎の一部を利用したものなんですって。
昭和50年に撮影された航空写真と現在のモノを比べると、
その様子がよくわかりますよ。
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