皆さま、おばんです!
ここ最近、やたらと青森県のことばかり書いている自分ですが、
今回もまたまた、青森県の話題でいっちゃいますよ。
青い森鉄道・向山(むかいやま)駅です!
現在は無人駅となってる向山駅ですが、
駅舎の大きさ、構内の広さを見ると、
ただの無人駅ではない雰囲気が、プンプン漂ってきます。
この謎解きが、駅巡りの醍醐味なのですよね。
向山駅の歴史を見ると、
大正11年に開設した木ノ下信号所が起源で、
昭和11年に駅に昇格、現在の向山駅になりました。
この周囲には、このパターンで開業した駅が多く、
2つ隣の陸奥市川駅も、
大正15年に開業した轟信号所が昭和19年に駅に昇格して現在に至ります。
かつては東北本線であったこの区間も、JR東日本を経て、
大きな駅舎を持つ向山駅なのですが、
普段開放されているのは、待合室の部分だけ。
そのスペースは、テーブルや書籍が並べられていて、
地域のコミュニティースペースとして利用されているみたいです。
それでは以前、事務室として使われていたスペースは、
向山駅で使われていた鉄道部品を展示する、
「向山駅ミニミュージアム」になっていたのですよ!
自分が向山駅にお邪魔したのが朝の8時10分だったのですが、
9時まで待っていれば、こちらもじっくりと見れたみたいです。
相変わらず自分、タイミング悪しです (;^ω^A
国鉄OBの方が持ち寄った貴重なアイテムや、
向山駅が無人駅となってから保管されていたアイテムが展示されているとか。
こちらも機会を見て、改めてお邪魔しましょう。
向山駅は島式ホーム1面2線構造で、
駅の東西方向からは、跨線橋で結ばれております。
気になる跨線橋ですが、予想通り古レールで組まれているものでした。
古レールマニアとしては、このレールの出所がとっても気になります。
東北本線が国有化される以前の、日本鉄道が輸入した、
明治時代の古レールなんかが出てくると面白かったのですが、
残念ながら、そのような代物はチェック出来ませんでした。
その代わりといってはなんですが、
自分がチェックした限りで一番古い年号が入った、こちらのレール。
国産レールですが1924年製の刻印が入っております。
1924年と言えば、向山駅の前歴である木ノ下信号所や、
先に挙げた轟信号所が開設された時期と一致しております。
今から90年も前に、
東北本線の輸送量増強のために造られた信号所のレールが、
今もなお、現役の駅施設として活用されている…
と想像しちゃったのですが、現実はいかがでしょうね。
そしてもういっちょ、
向山駅の歴史で、忘れてはならないものがありました。
こちら、昭和50年の向山駅の航空写真です。
向山駅から西方向に弧を描くカーブが見れますが、
これがわずか5年間で休止となってしまった、フジ製糖専用線跡なのです。
昭和42年の工場閉鎖から既に8年が経過している時点での航空写真なのですが、
まだ工場がそのままになっているのがわかりますね。
フジ製糖が青森県の、この地に工場の新設をする際に、
十和田市と六戸町とで誘致合戦が繰り広げられたらしい。
1日1,200トンとも言われる原材料の輸送需要に、
十和田観光電鉄も大きな期待でこの誘致合戦を見守ったらしいですが、
結果的には六戸町の、この場所に建設が決まったようで。
工場の操業開始に合わせて、昭和37年に専用線も開業しました。
工場の場所は、十鉄の大曲駅から1キロの地点にあるためか、
大曲駅も乗降客が増加し、
十鉄にもそれなりの恩恵もあったようですが、
肝心の工場の方は、貿易自由化のあおりを受けて業績が悪化、
5年の期間を待たずして、昭和42年に工場は閉鎖されてしまいました。
(昭和41年に粗糖の輸入自由化が閣議決定されたんですね。)
そんな薄命だった専用線の廃線跡が、
こちら、グーグルマップで見た現在の様子です。
廃線から44年も経過しているのにも関わらず、現在でもその様子が手に取るようにわかりますよね。
工場跡の方は整地され、「六戸フラワーガーデン」に変わってしまったようです。
こうなると、再び向山駅を訪問したくなるのが駅マニア心というもの。
これだから、駅巡りはやめられません!
そんな歴史を知ってか知らずか、
また来週も、青森まで行ってしまいそうな予感です。
モーリーくんのジャンケン大会があるからじゃないからね!
十鉄のアテンダントさんから、コメントに「来てね!」って、言われたからじゃないからね!
訪問駅リスト(第三セクター 私鉄線 ほか)
青い森鉄道
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三戸駅
向山駅(平成23年10月16日)
野辺地駅
小湊駅
↓(青森駅方面)