皆さま、おばんです!
最近はブログのネタが尽きると「鉄道ファン誌」を漁ってしまう歩王です。
今回のネタは、こちらの号からですよ。
鉄道ファン・通巻96号(1969年6月号)です!
実はコレ、自分が生まれた1ヶ月後に発売された号だったりします。
この頃は東海道新幹線も開通して
在来線の高速化も徐々に着手されつつあった時代でした。
貨物用のマンモス直流機関車・EF66や
高出力型・本線用ディーゼル機関車・DE50(試作)の
登場アナウンスがあったのもこの時期でしたっけ。
また振子式電車の開発が始められたのもこの時期だったはずです。
次々と姿を見せる新技術のひとつに
ガスタービンを利用した高出力動車がありました。
それまで主に航空機や火力発電等に用いられるガスタービンを
鉄道車両に導入しようと計画されたもので、
試験車両の第1号としてIHI(石川島播磨重工業)製の
ターボシャフトエンジンを搭載した車両が
汽車会社東京にて改造されたのでした。
最新かつ最大出力のエンジンを搭載したこの試験車、
さぞカッコイイ車両かと思われましたが、
現れたのはなんと!
戦前製の気動車の流れを汲むキハ07形気動車でしたの。
写真のキハ07の床下に見えるのが
1,050psの出力を持つガスタービン・エンジンです。
当時最新の大出力気動車・キハ181系のエンジン出力は500ps。
このエンジンの出力がいかに大きいかがわかりますよね。
種車となったキハ07 204は大垣機関区に籍を置く車両で
明知線を中心に活躍してました。
まさか末期にこんな役目が待っていたなんて…
運命のいたずらとしか思えません。
キハ07 204は車籍を抹消後、
国鉄から鉄道技研に貸し出されるというカタチで
高速走行試験が開始されました。
スタイルはキハ07時代のままながらも
動力台車はキハ181系で用いられているDT36、
付随台車は種車の持つ菱枠台車TR29という、とってもユニークな姿で
鉄道技研内の試験線で性能試験が行われたのです。
鉄道技研内で試験中のキハ07 204
試験の結果、心配された騒音も予想の範囲内で、
性能的にはとっても優れた成績を残したようです。
その後、本線上でも試験運転が行われることになったですが、
抹消された車籍が復活された際に番号はキハ07 901に改番され、
更には前後の”顔”を鉄仮面風に改造、
塗装も独自のグレーと赤を基調としたものに変わったのでした。
磐越東線で試験運転中のキハ07 901
それにしてもこの顔、すごすぎっすよね~!
キハ07 901は国鉄・郡山工場を基地に
磐越東線の郡山-大越駅間で試験運転が繰り返されました。
途中、エンジンの位置を床下から床上に改造する際に
塗装の一部が変更されたものの、
特異なマスクはそのままで
昭和46年の試験終了まで活躍したのでした。
その後のガスタービン動力の試験は、
国鉄・大宮工場が新製したキハ391形気動車に変わったのですが、
後に世界中を襲ったオイルショックのためにガスタービン動車の計画は頓挫、
日本ではこの技術、日の目を見ぬままに終わってしまったのは周知の通りです。
…で、なんでこんなことを書いたかというと、
自分が住んでいる地区(仙台)の近くで、こんな試験が行われていたなんて、
今だったら、飛んで見にいってたんだろうな…って思ったのですよ。
本当に最近の鉄道業界はネタが小振りすぎ!
そう思っているのは自分だけ?
以上、「鉄道ファン」96号、106号、107号、112号からの転載でした。
交友社の皆さま、本当にごめんなさい。
最近はブログのネタが尽きると「鉄道ファン誌」を漁ってしまう歩王です。
今回のネタは、こちらの号からですよ。
鉄道ファン・通巻96号(1969年6月号)です!
実はコレ、自分が生まれた1ヶ月後に発売された号だったりします。
この頃は東海道新幹線も開通して
在来線の高速化も徐々に着手されつつあった時代でした。
貨物用のマンモス直流機関車・EF66や
高出力型・本線用ディーゼル機関車・DE50(試作)の
登場アナウンスがあったのもこの時期でしたっけ。
また振子式電車の開発が始められたのもこの時期だったはずです。
次々と姿を見せる新技術のひとつに
ガスタービンを利用した高出力動車がありました。
それまで主に航空機や火力発電等に用いられるガスタービンを
鉄道車両に導入しようと計画されたもので、
試験車両の第1号としてIHI(石川島播磨重工業)製の
ターボシャフトエンジンを搭載した車両が
汽車会社東京にて改造されたのでした。
最新かつ最大出力のエンジンを搭載したこの試験車、
さぞカッコイイ車両かと思われましたが、
現れたのはなんと!
戦前製の気動車の流れを汲むキハ07形気動車でしたの。
写真のキハ07の床下に見えるのが
1,050psの出力を持つガスタービン・エンジンです。
当時最新の大出力気動車・キハ181系のエンジン出力は500ps。
このエンジンの出力がいかに大きいかがわかりますよね。
種車となったキハ07 204は大垣機関区に籍を置く車両で
明知線を中心に活躍してました。
まさか末期にこんな役目が待っていたなんて…
運命のいたずらとしか思えません。
キハ07 204は車籍を抹消後、
国鉄から鉄道技研に貸し出されるというカタチで
高速走行試験が開始されました。
スタイルはキハ07時代のままながらも
動力台車はキハ181系で用いられているDT36、
付随台車は種車の持つ菱枠台車TR29という、とってもユニークな姿で
鉄道技研内の試験線で性能試験が行われたのです。
鉄道技研内で試験中のキハ07 204
試験の結果、心配された騒音も予想の範囲内で、
性能的にはとっても優れた成績を残したようです。
その後、本線上でも試験運転が行われることになったですが、
抹消された車籍が復活された際に番号はキハ07 901に改番され、
更には前後の”顔”を鉄仮面風に改造、
塗装も独自のグレーと赤を基調としたものに変わったのでした。
磐越東線で試験運転中のキハ07 901
それにしてもこの顔、すごすぎっすよね~!
キハ07 901は国鉄・郡山工場を基地に
磐越東線の郡山-大越駅間で試験運転が繰り返されました。
途中、エンジンの位置を床下から床上に改造する際に
塗装の一部が変更されたものの、
特異なマスクはそのままで
昭和46年の試験終了まで活躍したのでした。
その後のガスタービン動力の試験は、
国鉄・大宮工場が新製したキハ391形気動車に変わったのですが、
後に世界中を襲ったオイルショックのためにガスタービン動車の計画は頓挫、
日本ではこの技術、日の目を見ぬままに終わってしまったのは周知の通りです。
…で、なんでこんなことを書いたかというと、
自分が住んでいる地区(仙台)の近くで、こんな試験が行われていたなんて、
今だったら、飛んで見にいってたんだろうな…って思ったのですよ。
本当に最近の鉄道業界はネタが小振りすぎ!
そう思っているのは自分だけ?
以上、「鉄道ファン」96号、106号、107号、112号からの転載でした。
交友社の皆さま、本当にごめんなさい。