皆さま、おはようございます!
夏の恒例となりました「青春18きっぷ」の利用可能期間が、
来週、20日へと迫ってきました。
今からワクワクしますね。
「青春18きっぷ」は、昭和57年に発売された
「青春18のびのびきっぷ」が起源となっておりますが、
当時は国鉄全線の乗りつぶし企画
「いい旅チャレンジ20,000km」の真っ只中でのことで、
この「トクトクきっぷ」にお世話になった方も多かったと思います。
そんな自分も今から26年前、高校1年生の時に、
どうしても1日分だけ余らせてしまって、
それを消化するために回った路線があったのです。
今回ご紹介する、国鉄・長井線でした。
現在は第3セクター化され、
「山形鉄道・フラワー長井線」となりましたが、
この当時、既に国鉄の赤字路線として、
存続自体が険ぶまれていた路線だったんですよね。
奥羽本線の中では乗降客数の多い赤湯駅です。
この当時は、まさかこの駅が新幹線の停車駅になろうとは、
想像もつきませんでしたよね。
キハ22+キハ40+キハ58の雑多編成です。
この当時の気動車列車はこれが当たり前、
もちろん冷房車なんかない時代なのですよ。
宮内町(みやうちまち)駅です!
信越本線の宮内駅との混乱を避けるために「宮内町駅」としたようですが、
昭和63年に現在の「宮内駅」に改称されております。
大正時代から利用されている駅舎がいい雰囲気ですね。
ここでは米坂線の上下列車、
そして長井線の行き違い列車が停車しており、
大変な賑わいを感じました。
気動車大国・東北!って感じですよね。
中央のキハ58系は急行「べにばな」かな?
まだまだ、あちらこちらで急行列車の活躍が見れた時代です。
列車は今泉駅を発車すると、米坂線と大きく分離してゆきます。
山形の山間をひた走る長井線。
長井線が全通する以前の終着駅であった、長井駅に到着します。
かつて存在した貨物列車の待避線が、
当時はまだまだ見ることが出来ました。
長井線は将来的には、
左沢(あてらざわ)線の終着駅・左沢駅まで延伸され、
置賜地方を周回する、
大きな環状線となるような計画もあったらしいですね。
駅の風景は、現在も変わっていないようです。
それなりに乗り心地の良かった、キハ22の車内。
木造駅舎も懐かしい、旧駅舎時代の荒砥駅です。
この当時は、蒸機が活躍した名残である転車台や給水塔も、
広い駅の構内に残っていたと記憶しております。
なんで写真を撮っておかなかったのかな…自分。
情報が簡単に手に入れらる現在とは違い、
行った者だけが味わえる到達感が、この頃の旅にはあったと思います。
旧き良き時代を思うのは、歳をとった証拠なのでしょうかね?
この夏に再び、長井線巡りを楽しみたく思いました。
…って、青春18きっぷじゃ、無理じゃんね!
フラワー長井線、第3セクター線だし。