を解く鍵は“裏側”にあります。

 現在、TOKYO NODE GALLERYで開催中の『トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~』を観てきました。

 昨年、アーツ前橋で開催された『ゴースト』展でアウスラーの作品を見たことがあります。今回そのアウスラーの日本初の大規模な個展ということで興味津々で行ってきました。



《スペキュラー》
 空中に巨大な眼球がいくつも浮遊しています。あるものはこちらを凝視し、あるものは彼方を見ています。視線恐怖症の人なら逃げ出したくなるかもしれません。そうでないにしても、落ち着かない気分にさせられます。自分達は観賞者、つまり「見る側」でありながら同時に見られてもいるからです。この見る側と見られる側の関係性はアウスラーの作品に通底音のように流れています。



《プライベート》
 続く部屋はさらに奇妙です。通路の両側に奇妙なものがあちこちに置かれているからです。ある人形は床に寝そべって私たちに向かって何か意味不明のことをブツブツとつぶやいています。床に置かれたモニターに映るのは観賞者自身です。よく見ると花瓶の中にもカメラが仕込まれています。



 勝手に写されては困るという方のために、壁には肖像権使用同意書が貼られています。



 壁に架けられた小さな札には次のように書かれています。

見られるためにー立て!
聞かれるためにー話せ!
感謝されるためにー黙れ!

 この通路でも見ることと見られることが扱われています。現代の監視社会はあちらこちらに防犯カメラがある時代です。この通路で繰り広げられていることは、ふつうに社会でも起きていることです。そこには真の意味での《プライベイト》はあるのでしょうか。



《塵》
 雲のような凸凹した球体が吊り下がっています。その雲の中から口や眼が浮かび上がり何かを囁いています。それらはタイトルの塵のごとく、はかなく虚ろに消え去って行きます。まるで人間の存在自体が塵芥のごとくだと囁いているかのようです。

 アウスラーの作品はいずれも視覚と映像技術を用いて、見ている私たちを困惑させるものばかりです。それらは何か特定のメッセージを発信しているようには見えません。なぜアウスラーはこのような作品を制作しているのでしょうか。そのヒントは作品を裏側にあるように思います。



 さきほどの度肝を抜かれる《スペキュラー》は後ろから見ると灰色のバルーンがいくつも浮いているだけです。正面から見た時の驚きに比べたら、かなりがっかりします。



 こちらのど派手な《ロック2、4、6》も



 横から見たら板を貼り付けた書割です。あまりの安っぽさに学園祭の建付けではないかと思うほどです。このような舞台裏は隠そうと思えばいくらでも隠す手段はあるはずです。しかしアウスラーはあえてそうしていないように見えます。なぜでしょうか。

 そのヒントは映像作品《計り知れないもの》の解説パネルの中にありました。オカルトの歴史を辿るような背景の中で、アウスラーの祖父、フルトン・アウスラーが登場します。フルトンは作家でありマジシャンであり、霊能者に対する懐疑論者だったそうです。あのコナン・ドイルとも交流があったそうです。稀代のマジシャン、ハリー・フーディニとともに詐欺のような心霊現象を糾弾したそうです。

 ここにきて「技術と霊知のはざま」というサブタイトルの意味が見えてきます。トニー・アウスラーの作品は現代の我々から見ればアートですが、昔の人が見れば心霊現象に見えるでしょう。それらはテクノロジーによる一種のトリックアートです。現代の詐称といってもいいでしょう。

 ドイルの時代の心霊現象は見世物でした。言ってみればお化け屋敷です。トニー・アウスラーの作品もまた見世物小屋だと思えば納得できます。そこでの主な目的は人々をギョッと言わせることだからです。私たちはまんまとトニー・アウスラーの術中にはまっているのです。トニー・アウスラーがあえて舞台裏を隠すことなく見せているのは、それが見世物小屋でしかないことを明示するためでしょう。

TOKYO NODE GALLERY
『トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~』は9月23日まで開催中です。
260909