50年後、人類はこのような姿になってしまうのでしょうか。
ということで現在GYREギャラリーで開催中の『来たる世界2075テクノロジーと崇高』を観てきました。本展は未来の世界を予見する4名のアーティストによる展覧会です。奇しくも4名に共通するのは「キメラ」でした。
アンドレア・サモリーの作品はそのままに《キメラ》です。それも有機物としての人間の人体と無機物が奇妙に混合され入り混じった姿です。
作品のひとつは蛍光色に怪しく輝くカプセルの中に埋もれた「目」です。これは埋もれているのでしょうか、それとも一体化しているのでしょうか。カプセル状の物体は無機物のはずですが、人間の筋肉のように生命感を感じます。
川田大介さんの作品《シノプテス》はさらに奇妙です。ふたりの人間が融合しています。その全身にこちらも「目」が発生しています。しかもこの目は「まばたき」するのです。明らかに周囲を見つめています。
《シノプテス》とはギリシア神話の100の目を持つ巨人「アルゴス・パノプテス」と、トマス・マシーセンが提唱した「シノプティコン」の合成語です。前者はオールド・ファンの私はイギリスのロック・バンド「ウィッシュボーン・アッシュ」の1972年の名盤「百眼の巨人アーガス」を思い出しました。一方「シノプティコン」は刑務所の集中監視システム「パノプティコン」に対し、多数が少数を監視する社会構造を表す言葉です。すでに日本でも防犯カメラやドライブレコーダーのカメラが様々な場面で使われるようになっています。あらゆる場所に「目」が存在する監視社会が始まっているのです。それは安全な社会なのでしょうか、それとも不安な社会なのでしょうか。
このほか多重なイメージを重ねて画像を作る牧田愛さんの作品はH・R・ギーガーの「バイオメカノイド」のように非人間性と非機械性が入り混じっています。
またイズナ・ズールさんの《人工子宮》がテーマです。《キメラ》はここから始まっているのかもしれません。
本展のサブタイトルにある「崇高」は美術史的には、もともと自然に対して用いられる言葉です。人間には及びもよばない自然の力に対する恐れと崇拝の念を込めて「崇高」と呼んでいました。50年後にはこの言葉が、人間の、あるいは人間と「何か」の《キメラ》に対して用いられることになるのかもしれません。
GYRE GALLERY
「来る世界2075」展は3月16日まで開催中です。
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