現在、菊池寛実記念 智美術館で開催中の『走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代』を観てきました。

 走泥社は1948年に結成された前衛陶芸美術家の集団です。本展はその走泥社の1948年から1973年までの活動を振り返る展覧会です。前後期にわかれており、現在は1964年以降の作品を紹介する後期展示が行われています。

 走泥社といえば美術史の教科書にも載るほどですが、意外とまとまった作品を見る機会がありませんでした。私も今回が初めてです。これが実に面白かったのです。



 例えば最初に展示されているこの川上力三の『荒法師』からして奇妙な物体です。砲弾のような代物ですが、途中に裂け目が出来ていて、中から何かが溢れ出ています。確かにタイトル通り荒々しさを感じる作品です。



 次の山田光の『球体のある花生』は水道管の継ぎ手のようです。立方体の中には確かに球体があります。『荒法師』もそうですが、陶器の中に陶器がある構造で、いったいどうやって作ったのでしょうか。



 鈴木治の『フタツの箱』は、そのまんまふたつの箱です。半分にはビッシリカタカナが書かれています。まるで耳なし芳一の呪文のようです。



 八木一夫の『黒陶 環』も、その名の通り真っ黒な環なのですが、これも一部分が割れていると言うか裂けていて中の有機的な何かが露出しています。どうやら走泥社のみなさんはこの種の漏れ出し系がお好きなようです。



 ここから先はもう前衛陶芸の大喜利状態です。何しろ作品タイトルが『暴力団』とか『偽証』とか『ホットケーキ』とか『バットマン』とか、陶器らしからぬタイトルばかりだからです。実際の作品も陶芸らしからぬ驚きの造形のものばかりです。

 走泥社の作品は「オブジェ焼き」と呼ばれました。そのものであること以外、何ら実用性がないこれらの前衛陶芸は、ある意味何物にも依らない絶対的な存在感を放っています。同時に陶芸に何が表現できるのか、それぞれの陶芸家の探究心が表れています。

 ところで何で走泥社というのがずっと疑問だったのですが、本展でこれが蚯蚓走泥文という文様から来ていることを知りました。みみずがのたくったような文様ということですね。こんな感じです。


百度百科より


 走泥社の作品の中で最も有名なのが、この八木一夫の『ザムザ氏の散歩』でしょう。



 もちろんカフカの「変身」がモチーフになっています。小説の中ではザムザ氏の姿形はいっさい明らかにされていないのですが、こんな形をしてゴロゴロ回りながら移動してたらおかしかったですね。

菊池寛実記念 智美術館
『走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代』は9月1日まで開催中です。
240716