September 1,2020 vol.32 「慮る」
人は一人で生きていく訳ではありませんから、自分が思って行動することとは別に、他人への『配慮』というものがあります。
私自身も歳と経験を重ねて少しずつですが、配慮の意味を理解してきたように思います。
この配慮の字を分解すると「慮る」(おもんぱかる)という言葉と「配る」(くばる)という言葉でできています。
慮るは辞書を引くと周囲の状況などをよくよく考える、思いめぐらすと書かれています。
配るはそれぞれに行き渡るようにするといった意味です。
つまり配慮とは自分を中心に自分だけの小さな視野で物事を観るのではなく、自分以外の全体を観て、広い視野で物事を観る『心遣い』という意味になります。
似た言葉に「気遣い」という言葉がありますが、どちらも相手のことを「思いやる」時に使う言葉です。
人は自己中心的な行動をすると思いやりが欠けていきます。
自分都合の考えや、権利だけを主張するような行動は心遣いのない「無情」なものとなってしまいます。
先月、スタッフが急遽休みになった店舗があり、その穴を埋める為に13日連続で出勤したスタッフがいました。
普通だったら自分の努力や功績は会社にアピールしたいと思うところだと思います、ところがそのスタッフは私には何も相談をせずに、自己判断で愚痴や文句も言わずに皆が嫌がることを率先して、行動してくれました。
会社がスタッフに配慮する話しは聞いたことがあっても、スタッフが自ら考え行動して会社に配慮してくれることは中々珍しいことだったので、そのように会社のことを考えてくれる「心遣い」の行動に大変嬉しい気持ちになったと同時に、スタッフの心の成長を感じた瞬間でした。
心の成長というものは、生き方を直すことであり生き方を正すことです。
正直ともいいますが、正直に心を開いて素直に学んでいる人は信頼され謙虚であり心が強いと思います。
それは年齢の問題ではなく、生き方や考え方の問題だと思います。
世の中には不平不満ばかりを述べて言い訳ばかりして何もしない人もいます。
一方で言い訳をせずにどんなことも進んでやりきっている人もいます。
自分から進んで取り組むことは勇気がいることですが、他人が嫌がることや大変なことを自ら引き受けて取り組んでいる人は運命が明るく伸びていくように思います。
そういう人は他人への心遣いがあることで徳が積まれ、その徳によって運命も好転していくように思います。
徳と毒はよく似ています。
徳は毒のにごり(濁点)を取ったものです。
毒になることでも、そのにごりを取れば徳になります。
つまりはどんな嫌なことでも進んで行動し他人に対して慮る心が有る人は徳が高い人になれるのだと思います。
artticのスタッフも、そのような心を持って成長していってほしいと願っております。
ありがとうございました。