子どもの担任の先生は私より20歳年下。
隣のクラスの主任の先生も17歳は年下だと思う。
20代前半、自分はどんなだっただろう。
卒業後バイトしながらアート活動をしていた。実家で暮らしていたしちゃんと自立している気がしなかった。それで地元の小さなデザイン会社に就職した。自分で決めたことだった。
PCを使えるようになって、毎月決まったお給料がもらえるようになった。でも、自分の大切な時間と引き換えにお金をもらっているように感じた。時間が奪われていく。
こんなことをして一生終えるなんて、生まれた意味あったんだろうか。1980円、お買い得、セール、そんな文字をカッコよく書いて見やすく当てはめる。商品の写真をスキャンして切り抜いて貼り付ける。簡単なことだ。覚えれば誰でもできる。
だけど、絵を描くよりは儲かった。
そんななげやりな気持ちで生きる為だけに働いていた。
同級生は、有名美大に進学後海外で個展をしたり、伝統工芸の職人になり取材を受けたり、工房を立ち上げブランドを作ったり、デザイン学校や小中学校の先生になったりしていた。
立派に躍進しているまわりに比べ、自分はゴミみたいだと思った。だけどプライドだけはある。惨めさ敗北感それこそが制作への原動力になると信じていた。エリート作家には分からない。打ちのめされた孤独こそ作品の力になる。なんて…そう思わなきゃ生きていけない。
どこにも属せないままの、ネガティブの塊だった。
実生活に役に立たない哲学は、屁理屈だと一蹴される。詩よりもパン。
世界に拒絶されている気分だった。
アート活動をするより、就職して働いている事を両親は喜んでいるようだった。うちの両親はアートとは無縁の人たちだ。普通が一番と考えていた。4〜5年働いて結婚して子どもを3人産むのが女性の幸せだと考えていた。その平凡がどれほど幸せなことか言って聞かされて育った。
それは真の自由ではない。そう反発すると同時に、両親を悲しませたくない気持ちも湧き上がる。
だけどその気持ちにすら疑問が湧く。
両親を悲しませたくない?挑戦して打ち砕かれることを恐れた言い訳ではないのか?
いつもアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような焦りと苛立ちを抱えて、どこにも走り出せないまま焼け尽きそうだった。
パンクしそうな頭を抱え外ではニコニコして、深夜制作に励んだ。今思えば、制作があったから生きていられたんだと思う。
それ程にいつも、死が側にあった。
あれから20年も経っているんだな。私は生きて文字を打っている。
私には子どもがいて、その子が今小学校の体育館で倒立前転を習ったりしている。時空をワープしたみたいだ。
若い担任の先生には、どこにも汚れがない。
あの頃の私と比べ物にならない無垢。
育ちの良さ、未来への希望、仕事への情熱。
あきらめの気配がない
カッコつけていない
めんどくさそうじゃない
ひねくれていない
綺麗だな。
こういう世界に住んでいる人が先生を目指すんだな。
私は彼らより何十年も長く生きているのにまだ、自分に絡まった紐を解いている最中。
未完成のままかっこ悪くもがいている。
若い頃
この世界はなぜ在るのか
人間とは何か
意識とは何か
宇宙とは何か
時間とは何か
そんなことを考えながら
目の前の仕事に集中するのは大変だった。
みんな一体どうやって生きているんだろうと不思議だった。
そして今も
あの頃とたいして変わってはいない。
バカ、なんだよねきっと😆
TED
宇宙はどうして存在するのか?
ジムホルト
https://www.ted.com/talks/jim_holt_why_does_the_universe_exist/transcript?language=ja#t-1024768