最近ではネットやTVでも

たまに取り上げられるようになってきた、


HSP


Highly sensitive person


ハイリーセンシティブパーソン。



少し巷に情報が出回ったからといって、

やっぱりまだまだHSPとしての要望を伝えることには、抵抗あります😣



例えば


「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

先に帰ります。」


「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

参加しません。」


「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

テレビ消して。」


「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

土日は一人にして。」



なんて

なかなか言いづらくない?😅


さらには、



「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

家には来ないでね。」


(他人のエネルギーが部屋に残るのがイヤ。

他人の臭いが部屋に残るのもイヤ)




「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

50cm以上近づかないでね。」


(綺麗な気の人なら触っても大丈夫。近付かないでってことは相手のことを良い気だと思っていない。それがバレるのも失礼。)




「私、ハイリーセンシティブパーソンなので、

電話は極力かけてこないでね。」


(突然のエネルギー割り込みはキツイのです。メールならまだマシ。)




これ全部大声で言いたいんですが、

もしこれを全部言った場合、



「ハイリーセンシティブパーソンって、おまえ何様やねんっ!!お前みたいなもんと友達にならんわ!」



と言われそうで、怖くて言えない😅


そして、人を受け入れていない感満載の上記の台詞は、

かなり失礼な印象を与えそう。


そう考えると、結局…

HSPとは友達になれないのかもしれない😞




HSPという概念も知らず、

〝この性質を直さなきゃいかん〟

と思い込んでいた頃、

心療内科で、強迫性障害の相談をしたことがあります。


私は、子どもの頃から潔癖でした。

(潔癖にも程度があるようですが、

私の場合、我慢すればギリ普通に暮らせる程度。)



  「ママ友に誘われた家族ぐるみのバーベキュー大会に行きたくないんです。どうしたらいいですか?」


先生   「そんなもの、行きたい人がいるわけないでしょ。😄


もう80才を超えた、おばあちゃんの先生が、

ハキハキとあっけらかんとそう言ってくれたおかげで


本当に心が癒されました。



なーんだ、

人に合わせなくてもいいんだ!


自分一人だけ意見が違うことばかりだったけど、

そのままで通そう!


そう思えました。




その心療内科で分かった自分の性質は、


〝心が拒んでいることを、

体が絶対に受け付けない〟


ということでした。


皆がそこそこ周りの環境に合わせているのに、

私にはそれが全くできない😣


心に嘘をつくと、すぐに寝込む😰




子どもが幼稚園の年長の時、役員になりました。

対象者が少なく、仕方なくやることになったのですが、

なったからには頑張ろうという気持ちでした。


しかし、そんな気持ちとは反対に、

私の係は


全く共感できないイベントの、

毎年恒例で保護者に役割が振られているものでした。

園に意見を挟む余地ゼロです。


その係とは、劇の裏方。

衣装の管理と、当日の衣装の着せ替え、

劇中の大道具を動かす黒子、

25名程のお母さん達をタイムラインに沿って采配。



先生から与えられた振り付けと台詞を子ども達が覚え、

(子ども達の意見から作っている、とのことでしたがその割合は低いと感じます)


大きな会場で派手に披露する劇。

その為には、裏方の保護者の力が多大に必要でした。

その考え方に、全く共感できませんでした。




もっと形にならなくても、

もっと突飛な物語になっても、

〝大人の望むキレイ〟ではない仕上がりになったとしても、


子ども達の創造に全て任せ、

園内の体育館で緊張せずに発表させてあげた方が良い。

と思っていました。




委員長として、他の役員さんにそれを提案してみると、

全く取り合ってもらえず、

昨年通り無難にこなそうという意見に、

皆、賛同しました。

「めんどくさいからやりたくないの?」

ともとられました。


代わりに全部仕切るという子が現れて、

私は居ないような扱いになりました。


その後、〝名前だけ委員長さん〟として、

ずっと活動に参加するのですが、

教育への情熱と、プライドの高さのため、

屈辱的な空気に押しつぶされそうでした。


結構凹んで、

心療内科の薬が増えた時期です😓


もう2年も前のことなのに

ちゃんと自分自身の考えを大声で主張できなかったこと、


「強迫性障害で、係の仕事あまりできなくて。」

なんて


ぜんっぜんそんな理由じゃないのに、

心を守る為に作り上げた意味不明なスタンス。


1対全員

の構図に、打ちのめされていました。


心の奥では、


「全員、おかしいんちゃう?」


と、思っていました。




私は


先生の作った劇の台詞と振り付けを

子ども達に覚えさせて、

先生の作った衣装を着させて、

お母さん達の多大なサポートの結果、

市民会館でスポットライトを浴びながら、

保護者の為に行われるような見栄えの良い劇が、


大、大、大っ嫌いだ!!


そんな教育してる園も、

それをやりたい保護者も、


大、大、大っ嫌いだ!!


子ども達、もっと自由に生きろ!

大人に褒められることに価値があると思うな!

教えた通りにできたね、なんて褒められて、

喜ばないで!!


大人達、子どもから湧き出る創造力を潰して、

つまんない常識を早々と詰め込まないで!




それが、

あの時伝えたかった、本当の私の声。



今頃ブログでつぶやくなんて、だっさいよね😅




でもさ、こんな話

聞いてくれて、ありがとうございました😌